キノコの中には毒キノコがあることは知っているけれど、それが実際にどういう形や色をしていて、食べるとどういう症状を引き起こしてしまうのか、というところまで知っている人は案外少ないのではないだろうか。
多数のブラック企業経営者へのインタビューをもとに、ジャーナリストの著者が「経営者サイドの視点をあぶり出す」ために書かれた本書は、いわば「毒キノコハンドブック」である。
採用の段階から社員は“消耗品”と割り切っている経営者や「人心掌握術の肝は、もしかして給料を払ってくれないのでは、と思わせることに尽きる」と考える経営者。「従業員を長時間拘束するのは、世間と隔絶させて出口をふさぐため」と話す経営者……。
どのような思考や手法で従業員を洗脳、支配するかが、良心のかけらもないような経営者の視点で明かされていく本書は、「悪い」人間の標本ギャラリーとして異彩を放っている。世に知られているブラック企業の実態は、ほとんどが従業員サイドから発信されたもの」と書かれたプロローグを読んで、なるほどと思った。ちなみに、採用したい人物像について、「いい子がそのまま大人になったような人たち」「そこそこ育ちのいい人間」「人を疑うことを知らず、責任感の強い人間」だと経営者たちは語っている。
知ることは、人間の脳の中に「前提」を生む。「そういう人も世の中にはいる」という前提をもとに、起こりうるリスクを想定し、備えることができる。ウィルスや毒から身体を守る抗体を作り出すことで、免疫力が高まるのと同じ理屈である。知ることは、有効な防衛手段になりうるということだ。もちろん、攻撃力が弱まってしまうというデメリットもあるのだろうが。
「想像力」は人間が人間たるゆえんとも言える能力だが、そもそも「前提」にないことは想像ができない。想像が及ばないのではなく、想像しようがない。ヒンドゥー教徒は手でものを食べるという習慣を知らなければ、汚い、行儀が悪いとしか思えないはずだ。
もちろん「知識」を手がかりとした想像は「経験」に裏打ちされた嗅覚や眼力に敵わないだろうが、免疫力を高めておくに越したことはない。ブラック企業経営者を「悪」とみなした著者のスタンスには引っかかりを覚えたが、「毒キノコ」の生態を知ることができる実用書である。
知らない土地へ旅に出るときに携帯するハンドブックのように、社会に出る前には目を通し、社会に出てからも携帯しておきたい一冊。おすすめです。
『ブラック企業 経営者の本音』秋山謙一郎
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