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2018.11.12

充実感や生きがいを生む「背徳」と「禁断」

ここしばらくの間に読んだ本の中で、いちばんおもしろかった。

捨てられた馬券を万馬券に偽造し、10年間で10億円の金を獲得した男の半生記。

背徳の香りが漂う「馬券偽造」という究極のトリックアートから得られる悦楽は、代えがきかないものらしい。「夢と現実が交錯するパンドラの箱を開けた以上、もう後戻りはできなかった」という。綱渡り的な危うさの上に身を置きながら、自室にこもって作業に心血を注ぐ様子は、静かな狂気を孕んだ芸術家のようだ。

1940年生まれの著者の「本業」は画工、今でいうデザイナーだ。緻密な線画を引いたり、文字を描いたりと模写的な仕事を行っていた職人である。

周到を期した換金の手口も含めて、法の網をかいくぐることに全身全霊を傾けるさまは、いわば「プロ知能犯」。結果的には、気の緩みが呼んだミスにより何度か捕まった報いとして刑務所暮らしを余儀なくされるのだが、「曖昧な惰性の人生は行き着くところがない。いままでの生き方を反省し、人生をやり直したい」と自ら極力重い刑を課してほしいと著者は望むのである。

しかし、三度目の逮捕後、警察の取り調べで手口を洗いざらい明かしても、「こんな現実離れしたことが10年も続けられるわけがない」とまったく信じてもらえなかったこと。刑務所にありながら、馬券偽造で培った技術を生かして「看板制作」という仕事を生み出したこと……。それらのエピソードは、何かひとつのことに集中してこそ切り拓かれる未来があるのだと教えてくれる。

犯罪に手を染めたことを賞賛できないのはもちろん、妻との離婚をはじめ、その過程で多くの犠牲を伴っているのだが、いい人生だなぁと憧れる気持ちは止めることができない。持てる技術、体力、精神力を総動員して、一枚の完璧な偽造馬券を造り上げる−−。その充実感や生きがいは、「背徳」や「禁断」がたえずつきまとう世界でしか味わえないものなのだろうか。

著者は「負の勲章」と表現しているが、常人には到達し得ない領域に足を踏み入れ、骨の髄まで「人生」を味わい尽くしてきたような生き様にはいたく魅了された。おすすめです。

『馬券偽造師』 中山兼治

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