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2018.12.21

田舎は出るべきなのか?

この話を聞いたとき、軽い衝撃を覚えた。否、それは、自分が立っている土俵が音を立てて崩れ落ちていく快感だったのかもしれない。脳内の隠し扉が開いたような感覚とも言える。4年ほど経った今でも変わらないその感覚は、「自分の経験や価値観で物事を判断するべからず」という戒めとなり、僕の胸に残っている。

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(移住者が人口の4割ほどを占める和歌山県色川地域で暮らす原は)決まって「一度は(子どもを)街に出さなあかん」「まずは街に出さなあかん」と言われるが、考えが揺らいだことは一度もない。むしろ「まずは田舎にいるべきだろう」と考えてきた。

「街と田舎の両方を知っている身としても、街って怖い場所やと思うんです。犯罪に限らず、得体の知れない人がたくさんいたり、わけのわからない物事がたくさんあったりする環境では、一歩間違えればどこに埋まっていくかわからないし、どういう流れに引き込まれてしまうかもわからない。悪い意味で街に洗脳されてしまったとき、その子の持ってるいいところも潰されてしまうんじゃないかという怖れもある。でも、田舎で時間を重ねて、田舎が染み込んだ後なら、いくら街に出ても大丈夫やろうとは思うんです。(中略)

 自由とか束縛って、内面的な問題じゃないですか。昨今、個々が自分自身を開花させていこうとする自由は、封建的な田舎の不自由と対極にあるものとして捉えられているきらいがある。その変化に伴って、現代に生きている人たちが持つふるさと感はずいぶん薄まってきているんじゃないかなと感じています。

 いや、「ふるさと感」や「居場所感」のような基盤となる存在があった上で自由になるのはいいと思うんです。でも、そうした基盤をしっかり意識できていない状態で自由になると、どこに飛んでいったらいいかも、どこに戻っていったらいいかもわからないんじゃないかと。だから、大人が子どもたちにできることとして一番大事なのは、個々に心の拠りどころや帰る場所を持たせてあげることだと思っています。私が思い描いていることって、あくまでも居場所づくりなんですよね」

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この話を聞くまでは、他の移住者の人たちと同じ考えだった。だがそれは、都会で生まれ育った自分自身や身のまわりの人たちが、都会のどこかに埋まっていくことも、悪い流れに引き込まれてしまうこともなかったからに他ならない。要は、自分のものさしだけで物事を判断してしまっていたということだ。もし僕が田舎に生まれ育ち、都会とのギャップに翻弄されていたら、原さんの考え方に同調したかもしれない。

「田舎という素材の味で育ってきた人間が、都会という化学調味料の味を知れば、あまりに刺激的すぎて舌がおかしくなりかねない。だから、化学調味料の味を身体が受けつけなくなるほどに、素材の味を身体に染み込ませておくべき」というのが原さんの考え方ではないかと僕は解釈している。「環境を買う」と表現されたりもするが、子どもをなるべく危険から遠ざけるために、私立の学校に行かせるという発想に近いのかもしれない。

強引に二分するなら、世の中には「自分の磁場に引き寄せる人」と「誰かの磁場に引き寄せられる人」がいる。個人の内面に宿る強い信念は強力な磁場となり、その引力に導かれるように人は集まる。逆に、自分の中に磁場がなければ、空中を漂い続けたあげく、強力な磁場の発信者のもとへと吸い寄せられていく。

どちらがいい悪いという問題ではないが、「世の中にはいい磁場と悪い磁場が存在する。自分の中に磁場を持たない人のために、「ふるさと」といういい磁場を用意してあげよう」というのが原さんの考え方ではなかろうか。

改めて、原さんに会いに行くことを勧めてくれた友人には感謝している。

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