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2018.12.31

知識はどう役立つのか?

「ことばは知識の案内人」というコンセプトのもと、1945(昭和20)年から2005(平成17)年まで、戦後60年の時代が生んだ「新語・流行語」を収録した『新語・流行語大全』。いろいろと新たな発見があっておもしろかった。

たとえば、1919年の「サボる」を筆頭に、1953年の「プラス・アルファ」、1981年の「ぶりっ子」、2001年の「風評被害」は、思っていた以上に古いことばで驚いた。1960年の「家つきカーつきババア抜き ※」、1967年の「核家族」もしかりである。

※ 家つきカーつきババア抜き:若い未婚女性が結婚相手の男性に希望する条件。家と自家用車があって、姑がいないこと。

一番意外だったのは、「現代ッ子」ということばが60年近くも前(1961年)に生まれていたことだ。1970年の「三無主義 ※」や1981年の「指示待ち世代」、1983年の「くれない族 ※」、1986年の「新人類」も、表現は違えどそこに映し出された社会のすがたは同じである。旧世代と新世代を隔てる溝は、社会の自然な在りようなのだろうか。

※ 三無主義:無気力、無関心、無責任(無感動を加えて四無主義)といわれる現代高校生の性格を指していうことば。

※ くれない族:ある問題がわからなかったとき、両親や教師が悪いなどと、人のせいにする子どもたち。

1965年の「しごき ※」は、 2008年頃に話題になった相撲界の「かわいがり」とよく似ている。今年の春に起きた日大タックル事件以降、スポーツ界で起きた不祥事のマスコミ報道は過熱しているが、そういった事件はただ明るみに出ていなかっただけなのだろうと思えてくる。

日本のスポーツ界の本流を占める縦社会の伝統が息づいているとも言えるし、裏を返せば、そう簡単には時代は変わらないという見方もできる。あるいは、どこにでも転がっている社会問題のひとつにたまたまスポットライトが当たっただけなのかもしれない。ともあれ、ことばが知識の案内人だとすれば、知識は思考の翼である、とは言えそうだ。

※ しごき:東京農大ワンダーフォーゲル部の登山訓練中、新入生たちが監督と上級生にしごかれて死者を出した事件をきっかけに、大学運動部のあり方が問題として表面化した。

本書ではそれぞれの言葉に100〜200字程度の注釈がつけられているおかげで、社会情勢や庶民の生活・風俗といった「時代の息吹」が感じられる。

「ことばは時代が生み落とす。日の目を見ないうちにたちまち死語と化すことばもある」著者はそう前置きしているが、ことばに対してひとかたならぬ思い入れを抱く著者に生命を吹き込まれたからこそ、登場することばは「すぐれた案内人」になったのかもしれない。

本書には巻末付録として、1901年から44年までの新語・流行語も載っている。過去に遡れば遡るほど、(「関東大震災」や「普通選挙法」といった一般教養レベルの知識は別として)、知らない言葉が増えてゆく。

その中でも、1906年の「成金」、1949年の「自転車操業」「ワンマン」といったことばが今なお現役として生き続けているのは、どうしてだろう。わかりやすいたとえで人間や社会の普遍的な姿を描き出しているからだろうか。

そう考えると、いつの時代からか、人々の間で永く生きてきたことわざや慣用句、格言は、洗練されたことばとして、あるいは生き残るべくして生き残ってきた「理」として、大きな意味を持っているのだと思う。

それにしても、1956年の「もはや戦後ではない」は際立っている。戦後復興の終了を宣言した象徴的なことばは、戦後復興に尽力した人びとをねぎらいつつ励ますような前向きなメッセージとして浸透しているが、「ひとつの時代が終わりを告げた今、新しい国づくりが喫緊の課題だ」と示す警句が発言者の意図するところであったようだ。「正解」はどうあれ、いくつかの解釈が生まれたという事実は、エッセンスが凝縮されている証だろう。

60年という時間の流れを通じて、物事を広く、大きく捉えられる一冊だと思う。おすすめです。