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2019.1.14

ワンマンやトップダウンは、過去の遺物になるのか?

個々の自由や自主性が尊重されるにしたがって、ワンマン経営やトップダウン型の組織が否定的に見られる風潮が出てきたのはいつからだろう。個人の「働きがい」や「生きがい」にスポットライトが当たるのにともなって、各々に裁量が与えられる会社が「いい会社」だと言われるようにもなった。果たしてそうなのだろうか?

以前、20代半ばで創業して以来、約50年間、トップを張ってきたオーナー社長を父に持つ2代目社長さんの話を聞く機会があった。長らく、超がつくほどのワンマンでトップダウン型経営をしてきたからだろう。経営会議に同席した際、社長の顔色をうかがって、みんなが言いたいことを言えない状況を目の当たりにして、父を反面教師としたボトムアップ型をとりいれたのだという。しかし、である。

「ひとりで考えつくことには限りがあるし、みんなの知恵を集約したほうがいい案が出るだろう。そう考えて幹部に任せてみたものの、上がってくる意見が首をひねってしまうようなものばかり。抜けが多いというか、必要な観点がごっそり抜け落ちていることが多かった。

個人の資質による部分もあるだろうけど、結局は責任感や覚悟の問題なんだなと。彼らが経営者と同レベルの責任感や覚悟を持った上で発案しているかというと、必ずしもそうじゃない。みんなの知恵を集約することはすごく大事だと思うけれど、ワンマンでやるほうがよほどうまくいくと感じた」とのこと。

「独断」や「ワンマン」と表現すると否定的に聞こえるが、それはそれでひとつの流儀として成立しているのだと受け容れてみると、否定的な風潮に疑問が生まれてくる。

「ワンマン」は時代が求めていないという前提はさしおいて、「大功を成す者は衆に謀らず」ということわざが存在するのは実際にそれでうまくいった人がいるからだろう。「船頭多くして船山に登る」ということわざが存在するのも、実際にそういう事例が一度ならず起こっていたからだろう。過去の歴史を踏まえれば、ますます否定的な風潮に待ったをかけたくなる。

社長が社員の猛反対を押し切って自分のやり方を貫いたからこそ、ビジネス書を出すほどの成功を収めるに 至った。そんな実例を直接聞いた身には、よけいにそう思うのだ。

ただ、今という時代が、新時代を創造するために必要な破壊がおこなわれている最中、いわば時代の変わり目にあたっているのだと考えれば、「否定」は通らざるを得ないプロセスだとも言える。

先ほどのエピソードで言うと、多くの場合、会社の課題を「自分ごと」として捉える経営者感覚は、一朝一夕に備わるものではないだろう。代が変わってはじめて裁量を与えられた幹部の人たちは、急な方向転換についていけなかっただけで、相応の訓練を積めば、いずれ社長が期待するレベルの案を出せるようになるのではないか、と思ったりもする。

以前、鉄道関係の会社の社長さんがこんな話をしていた。

『1975年頃から「鉄道はもう斜陽だ。これからは自動車の時代だ」と言われるようになったけれど、40年以上経った今、全然そうなってない』

極端な意見は耳に残りやすく、ともすれば心をかき乱される。しかし、「社会に爪痕を残したい」という個人の欲求によって捻じ曲げられた戯言と見れば恐るるに足らず、とも言える。

ありとあらゆる情報が氾濫し、錯綜している時代だからこそ、情報の本質を見極められる「情報の目利き」を目指したいと思う今日この頃である。