5年ほど前、「高校生の頃、ときどき、仙台は国分町の高級クラブに連れて行かれていた」人から聞いたエピソードが脳裏に焼きついている。50代半ばの人が語ってくれたエピソードだから、1970年代の話である。
客がみんな帰った後、酒を飲みながら談笑していたホステスのひとりが「毎晩の儀式をやりましょう」と口火を切った。すると〈各々がいっせいにその日の客からもらった名刺を1枚ずつ出し合い、その中で一番地位の低い客の名刺を出したホステスが全員分のご飯代を払う〉ゲームが始まった。地位が低いといっても、みな社長や会長クラスではあったのだが。
さすがに趣味が悪いと思う一方で、憂さ晴らしのための高等技術だとも思った。もし尊敬に値する客であれば、その儀式をしようという発想には至らなかったはずである。芸術家が胸に渦巻く怒りや鬱屈を作品に昇華させるように、ホステスたちは客に対する負の感情を儀式に昇華させたのだろう。現実を受け流すための有効な手立てとして、彼女たちはその儀式を編み出したのかもしれない。
島田紳助が以前、「腹が立つ人間がいたら、人間が初めてなんやと思ったらいい」という趣旨の話をしていた。「業を背負って生きている」とか「神は乗り越えられる試練しか与えない」といった解釈も、根本的には同じだろう。人は「目に見えない物語」のなかに自分自身を投じることで、変わらない、あるいは変えがたい現実に処するのだと思う。生きていく前提を変えることで寛容さや穏やかさを自らの心に取り戻す、とも言える。
以前、「あなたが人を殺さないのは、あなたがいい人だからではなく、あなたに人間を殺す『業縁』がないからにすぎない。いくらあなたが人を殺したくないと思っていても、『業縁』があれば百人でも千人でも殺すのだ」という親鸞の考え方に触れて、深く感じ入った覚えがある。
物事に対する見方や解釈が多様になればなるほど、人は身軽になり、自由になれる気がする。もしかしたら、自由を獲得するために、僕は「インタビュー」というアプローチを選んだのかもしれない、とふと思った。
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