ブログ

2019.7.23

使い古された「顔の見える関係」という言葉について、改めて考えてみる。

今やあらゆる業界で使われるようになった「顔の見える関係」という言葉が広く浸透したのは、いつなのだろう。

自分が食べているものは、誰が作っているかわからない。自分が作ったものは、誰が食べているかわからない。流通の進化によって分断された生産者と消費者。その両者をつなぎ直す産直の仕組みができた1970年代に「顔の見える関係」という概念は生まれたらしい。

これも「顔の見える関係」のひとつなのか、近年、生産者の顔写真が貼られている直売所や、社員の顔や紹介文が載せられている企業のホームページをよく見るようになった。だが、そこから心に訴えかけるほどの力を感じたことはあまりない。

「顔の見える関係」とは、突き詰めると「顔が浮かぶ関係」ではないか。いつからかそう思うようになったきっかけとして思い出すのは、特徴あるガラスびんを作っている会社で働く社員さんの話である。いつも工場で働いているその方が、ガラスびんを卸している販売店を初めて訪問した後にこんな感想を抱いたという。

「もしこれから仕事がいやになることがあっても、今回出会ったみなさん(販売店の方々)のお顔とありがたい言葉を思い出したらもうちょっとがんばれそうです」

直接会って顔を見ただけではなく、人柄や思いを知り、体温を感じたことで情が湧いたのだろう。こだわりを持って自社商品を選んでくれていると肌で感じた社員の方は、お客さんの「顔が浮かぶ」ようになったことで、関係を断ちがたくなったのだと思う。

がんばっているのを知っているから、買いたくなる。
喜んでくれているのを知っているから、仕事にも力が入る。

そんなシンプルな関係性を構築するには直接会うのが理想だが、実現性は低いからこそ、僕はその代役を言葉に任せたい。言葉に話し手の体温を乗せ、直接会うのに匹敵する“情報”を届けることが、ライターの役目だと思っている。