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2020.1.20

努力や心の持ちようだけでは、負の連鎖を断ち切れない/映画『天使の分け前』

少年院から出た後、地元に戻って更生した友人はひとりもいません。〈環境〉と〈付き合う友〉を変えることが更生するためには欠かせないんです

若い頃はワルだった人から聞いたその話が思い浮かんだのは、ケン・ローチ監督の映画『天使の分け前』(2012)を観終わってからだ。

一言で言うなら、本作は恵まれない境遇で育った主人公の青年が負の連鎖を断ち切ろうとする物語である。逮捕と服役を繰り返していた両親のもとで幼少期を過ごしたことも影響しているのだろう。少年院の入所歴がある青年は、因縁の相手から売られたケンカを買ったために傷害で逮捕される。

裁判官の情状酌量により、服役を免れた青年だったが、その判決を不服とする“被害者”に報復される危険がつきまとうことになる。目には目を、暴力には暴力を、とばかりに、事あるごとにイチャモンをつけてくる因縁の相手への憤怒から、同じ轍を踏んでしまいそうになる青年は頭を抱える。

怒りのコントロールが難しく、怒りが暴力に直結しやすい自分は、「怒りが報復を呼び、たやすく暴力に昇華される」世界で生きている限り、自身や家庭の安寧は望めない。だったら彼らとの因縁から身を引き剥がすために、妻と生まれたばかりの子を置いて、出稼ぎに行った方がいいのではないか……。

そんなやるせない思いを抱える青年を、「悪者」や「クズ」と切って捨てるのはいささか安直に過ぎる。本作の魅力は、人間の中に眠る「〜せずにはいられない」衝動というか、「〜せざるを得ない」業というか、抗いがたい何かが表現されているところにもある。

「起こった事実だけを見て判断するな」という制作者のメッセージなのだろうか。「赤ん坊は脳が半分しかできていない。だから、あとは親次第」というセリフが、この映画の肝だと思った。

善と悪がはっきりと色分けされ。意図的に「敵」が作られた作品は、一時的に爽快な気分を抱けたとしても、何も残らない場合が少なくない。その点、本作は善悪や正邪が揺らぐところにおもしろさがある。立つ場所によって、見える景色は変わるのだ。(NHKドラマ『ハゲタカ』やフジテレビ系のドラマ『リーガル・ハイ』にも同じおもしろさがある)

この物語の舞台は、格差が固定化され、今や「ソーシャル・アパルトヘイト」という言葉すら生まれているイギリスだ。自分次第だとか、心の持ちようといった精神論だけでは、解決しようがない。かといって、努力すれば何とかなるというものでもない。そもそも「努力すれば道が開ける」という希望が広がっていないのに、努力しようとする人間などいるのだろうか。

こうした根深い社会問題がテーマとして伏流しているものの、重々しいストーリーが続くわけではない。むしろ爽やかで、洒落っ気があって、あたたかみがある。そして何より希望がある。

主人公が選んだ「負の連鎖を断ち切る」ための手段は邪道だが、そこはフィクションの醍醐味として愉しめるところ。手を差し伸べてくれる人がいて、生き直すチャンスがある。そんな出会いを通して、人はすこしずつ変わってゆくのだ。

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