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2020.2.9

どうすれば人は動くのか? あるたとえ話がそのヒントを教えてくれた

辞書の言葉を借りれば、触媒は「自身とは別の物質の化学反応を促進したり抑制したりする物質」だ。たとえば、よりよいものを生み出すために人と人をつなぐ人の役割について、比喩的に用いることもある。そんな「触媒」についての素晴らしい解釈に出会えたので、ご紹介したい。

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ケースA:ある夕暮れ時の公園の池のほとり、今日初めて一緒に映画に行ったアベックがやってきました。しかし、辺りには腰かけて話をするようなベンチは見当たらず、日も暮れそうなのでしかたなく二人は帰ってしまいました。

ケースB:ある夕暮れ時の公園の池のほとり、アベックがやってきました。近くにあったベンチに腰かけて二人は沈みゆく秋の夕日を眺めながら時間をわすれて楽しそうにすごしました。

ケースBの場合のベンチこそが触媒の働きなのです。反応物質と反応物質を結びつけ化学反応を促進する技ありのコーディネーター。化学工業のキーテクノロジー。そのくせ、無理難題一挙解決後は「あっしにはかかわりのないことでござんす」と化学反応に見かけ上でしゃばらない、まさに化学の木枯し紋次郎的存在...。環境浄化とエネルギー製造においても中核をなす新触媒を開発する。それがわれわれの研究の目標です。 ※引用元

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中高生時代にこんな解釈と出会えていれば、嫌いだった化学ももう少し好きになれたかもしれない。

スイヘイリーベーを覚えることや化学式の成り立ちを理解すること、実験で検証し、知識を深めること……。化学の世界を深めるには避けて通れないそのどれもが、悲しいくらいに無味乾燥だった。

ギリシャ文字で書かれた暗号のような化学式を解読するのに苦戦し、テストも不甲斐ない結果に終わるとなれば、やる気が枯渇していくのも我が事ながら致し方ない。しかも化学の先生は、自分の教え方に絶対の自負を持っている印象だったから、よけいに遠ざけたくなったのだと思う。

だからといってその先生を恨んでいるわけではない。むしろ、人が自発的、主体的に動くにはどうすればよいかを考える教材を与えてもらった、という意味でありがたいと思っている。

「触媒=ベンチ」の話を聞いてモチベーションが湧いてくるのは、なぜ学ぶか、この学びがどうつながるか、という未来への道筋がそれとなく、かつ端的に示されているからだろう。その道筋を思い描くことができれば、目の前の大きな石を動かそうという気にもなるものだ。

思うに、センスがあるわけでもなく、興味や関心があるわけでもない分野の作業に取り組むことは、「とりあえず、リヤカーでコンクリートをここまで運ぶ作業を続けろ」と指示されてやっている状態に近い。だからこそ必要なのだ、「いい建物を建てるためには、基礎を造るこの作業が欠かせないんだよ」などと伝える周囲のサポートが。

もちろん「この建物が完成するのを心待ちにしている人がいるんだよ」でもいいし、「この建物は歴史に残るかもしれない」でもいい。「あなたがこの作業をしてくれているおかげで助かっているんだ」なら、もっといいかもしれない。いや、百聞は一見にしかず。そういったことを感じられる機会を作る方が得策だろうか。とにかく『その人が出演する物語の脚本を提供する』ことが重要なのだ。

よく「◯◯は、人々の暮らしを縁の下で支える仕事です」などと表現されるが、世の中の仕事は9割以上そうだろう。しかし現実には、「縁の下」に人がいるありがたみを支えられる側が実感できていないケースはとても多いはずだ。触媒の話でも、登場したカップルがベンチに感謝するとは考えにくいように。

人を動かすのがうまい人は、「縁の下」を「家の一部」だと感じさせるのがうまいのだと思う。公園にベンチがあるのも、当たり前ではないのである。