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2020.2.14

主語はあくまでも「私」なんだ。見通しのよい道をつくるライターの仕事

ライターとは、見通しのよい道をつくる人である。そう思ったのは、自身の書いた求人記事が架け橋となって、3名の採用が実現した会社の入社ガイダンスに立ち会った先日のことだ。

そもそも(僕がやっている)ライターの仕事は、記事を書き上げた時点で役割を終える場合が多く、その記事がどう読まれて、どういう反響があったかまで具体的に関知することはあまりない。

いわば誰かに届けという願いを込めながら、風船を空に飛ばしているような日常だけに、風船を受け取った人と会う貴重な機会を僕は楽しみにしていたのである。

しかし、結果から言えば、僕の期待は外れた。その日、「記事を読んでどう感じたか?」という質問に対して、採用された女性のひとりがしばらく考えてからこう話してくれたのだ。

「仕事=人生という理想の生き方と重なった。会社がどこを目指しているのか、そこにどう向かっているのかが伝わってきた」

前提として、この記事を掲載している求人媒体(ハローライフ)には、人生における仕事の重要度や優先順位が高い人たちが集まりやすい、という特徴がある。

それを証明するかのような、私を主語にして語られた感想がとてもリアルだった。彼女は新しい仕事を通して、人生をより充実させるために、記事を読んで応募を決めたわけで、「文章がうまいか」とか「タイトルがよいか」といったものさしは持っていなかったのだと思う。

そこで僕は、高望みしていた自分自身を自覚した。代表の方から「魂が伝わる記事」と評価してもらったことに気をよくし、彼女もまた琴線に触れるところがあったなら‥‥‥なんてことを思っていたのだ。

今いちど客観的に見ても、同じベクトルを持つ人どうしのよきマッチングには多少なりとも貢献できたのかなと思う。「ここで働くことは、私によって変わっていく物語を紡ぐこと。あくまでも起点は自分なんだ」という代表の方の話が印象に残っている。

視線の先に海が見えれば、海に行きたい人はおのずとそこに向かう道の上を歩いていくだろうし、この道は山に通じているとわかれば、山に登りたい人はおのずとその道を進んでいくだろう。人が普段生活しているなかで、道に対して感謝の気持ちを抱くことは(災害時などを除いて)ない。

視界がぼやけておらず、遮るものもない「見通しのよい道」をつくることに徹する。ライターとしてその姿勢を忘れずにいたいと思うよい機会となった。主語はあくまでも、道を歩く一人ひとりなのだ。