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2020.2.25

出せなかった手紙 〜人生でいちばん後悔していること〜

人生における後悔をひとつ挙げるとしたら、書いたのに出せなかった手紙が山ほどあることだ。

ドラマチックな物語を想像された方には申し訳ないが、これはもののたとえであって、思ったことや感じたことを伝えられずに終わったケースが僕の人生にはたくさんある。仕事か私生活かを問わず、相手がお客さんか友人、知人か恋人かを問わず、「その服が似合っている」から「出会えてうれしい」まで、相手に届けられなかった(届けた方がよかった)メッセージは数知れない。

もし伝えていたらその関係を続けられたのに、あるいは新たな関係が生まれたかもしれないのに……などとあり得た日々を夢見ているわけでもない。伝えたからといって、劇的に何かが変わるというものでもないと思う。ただ、なんだろう、ずいぶんと損をしてきたような気がするのだ。

というわけで最近は、出会った人に「伝えること」を半ば自分に課しているのだけれど、言葉を扱っている人間としては、どこかで聞いたことのある言葉ではなく、自分なりに考えた言葉で届けたいと思っている。

そんなことを考えたきっかけが、『ドラえもん短歌』という本に載っていたこの一句。

自転車で君を家まで送ってた
どこでもドアがなくてよかった(仁尾智)

ちゃんと気持ちは伝わるんだけど、本当に大事なところはぼかしているのがいい。いや、ぼかしているから、より気持ちが伝わると言った方が正確だろうか。せまい教室の中でも楽しめる遊びはあるように、「三十一文字」「五七五七七」という制約のもとでも、広く、自由な世界に羽ばたけるんだなぁと胸が躍った。

その後、自分の中に眠っていた懐かしい感情がよみがえってきたからか、むしょうに短歌を詠みたくなったので、いつか抱いた想いを三十一文字に乗せることにした。

せっかちな僕の性格 変える君
ただ助手席にいるだけなのに

説明を補足したい気持ちは山々だが、それでは短歌という手段を選んだ意味が失われてしまう。ダイレクトな反応を得られないことが、今はとてももどかしい。