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2020.5.27

最近の若者は欲がないのか? 視点を変えれば、理解はできる

5年ほど前、とある中小企業の経営者の人からこんな話を聞いた。

「この頃の若い人には、出世しようという野心にも仕事での積極性にも欠けている。でも、東日本大震災が起こった後、募金を募ったり、ボランティア活動に行ったりすることにかけては驚くほどの積極性を見せた」

「最近の若い人は欲がない」という年配の人たちの発言は「最近の若い人は、自分たちの世代が持っていた種類の欲を持っていない」と言い換えられる。事実、注目を浴びたい、影響力のある存在になりたい、人から認められたいといった種類の欲求が強い“若い人”は少なくないだろう。欲求の対象が物質的なもの(かたちあるもの)から精神的なもの(かたちないもの)に移ったために「欲がない」ように見えるだけなのだ。

“若い人”がボランティア活動などに積極的に取り組むのも、根は同じである。困っている人に手を差し伸べることで得られる感謝は、自分の心を満たしてくれるにちがいない。そんな「よき未来」が想像しやすく、気軽にアクセスできるという点で、ボランティアはとても魅力的なツールである。

こうした“若い人”と重なるのが、「将来は医者になって人助けをしたい」と語る発展途上国の子どもたちだ。彼ら彼女らを「立派だ」とか「大人びている」と見る向きもあるが、単純に「医者になって人々を助けることで社会に貢献できている」自分の姿を描きやすいからだろう。場合によっては、功績を残した人間として尊敬を集めたり、英雄視されたりするという青写真も、子どもたちをつき動かしているのかもしれない。発展途上だったひと昔前の日本にも、こういう子どもは多くいたはずである。

肩書きや高級車、豪邸といった「かたちあるもの」であれ、褒められたい、認められたい、モテたいといった「かたちないもの」であれ、将来手に入ると期待できる「よき未来」を具体的に思い描けるから活力が湧いてくる、というのは人間の性なのだろう。生きている時代や場所、環境に左右されるものではないのだ。

世界を動かしているのは、足りないもの、欠けているものを埋めようとする人間の営みだ。完璧な世界で誰もが幸せに暮らしていたら、人間が関わる余地はなくなってしまう。未完成で不完全な世界だから、人は生きようとするのだ。