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2020.6.4

「目で盗め」「背中を見て学べ」という指導法は時代おくれなのか?

なんか布団作りの職人さんが、息子さんに、絶対に目で盗めって言わずに、最初から丁寧に教えてたら、布団作りの大会かなんかで、10年とかの経験者をぶち抜いて、3年くらいで優勝したって話聞いてから、技術ってものはしっかり伝えた方がいいのだなと思いましたね。” Twitterより

このバズったツイートを読んでまず考えたのが、「事実」と「主観」の境目である。事実は「職人の父から技術を教わっていた」こと、「経験の長い職人も出場する布団づくりの大会において、その人は三年目で優勝した」ことであり、「技術はしっかり伝えた方がいい」というのは投稿者の主観だ。

この情報だけではどの程度「丁寧」に教わっていたのかもわからないし、この人に素養があったからうまくいっただけかもしれない。布団づくりの大会では何を競うのかも定かではないし、どういう人がどういう基準で審査をしたのかも不明である。そんな断片的な情報が「技術はきちんと教えるべき」という世論を後押しするところに怖さを感じてしまう。

いずれにしても、この投稿者が「目で盗め」という指導法を否定していることは伝わってきた。「目で盗め」が続けられてきた事情や背景、両方の指導法のメリット・デメリットに目を向けずに事実を解釈するのはいささか早計ではないか。そう思うところもあるが、この投稿者にも「目で盗め」を否定するに至った事情や背景があるのだろう。

確かに「目で盗め」や「背中を見て学べ」は非効率的で、時代にそぐわない指導法だ。しかし、それによって自分で答えにたどり着くというプロセスが失われる。

その是非はともかく、「観察して得た気づきを技術の向上に生かしつつ、自己解決力を磨く」手段だと解釈すると、長い目で見た指導法とも言える。あるいは、それくらいの試練も乗り越えられないようではこの先やっていけないよ、というメッセージが隠されているのかもしれない。

そういえば、自分の店を持つシェフもこう話していた。
「料理人の世界では、従業員が飛ぶ(ある日突然、出勤しなくなる)のは珍しくない。でも、僕は飛ぶことだけはしたくなかった。雇われている店で飛ぶことは、自分の店に来たお客さんから逃げることと根本的につながっている気がします」

指導法について思い巡らせたとき、脳裏に浮かぶのは、高さ数十mまで自然石を積み上げて城の石垣をつくる「穴太衆(あのうしゅう)」という技術者集団だ。300〜400年もつほどの耐久性や強度を有し、現代のコンクリート技術を凌ぐその石積み(穴太衆積)の技を現代につないでいる㈱粟田建設の14代目石匠・粟田純司氏はこう語っている。

「石を見分けるというより、石と対話しながら石の声に耳を傾けていく。 石と長く付き合っていると石のほうから教えてくれるようになるのです。穴太衆積の技法はすべて口伝されてきましたが、 それは秘技だからというよりも文字では表現できないからです」(粟田建設 ホームページより)

時代の風雪に耐えながら、何百年も変わらぬ姿を保ち続けるものを作るなら、それ相応の積み重ねが必要だということか。「短時間でかんたんに手に入るもの」がもてはやされる今の時代だからこそ、「時間をかけてようやく手に入るもの」の価値はどんどん高まっていくのかもしれない。