ライフストーリー

公開日 2019.1.8

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技術と理の伝承を目指す伝統工芸士

家具のあづま 代表 東 福太郎さん

Profile

1981年生。和歌山県紀の川市出身。大学時代、「おれの代で終わらせてはいけない」と明治の創業以来、4世代、100年以上にわたって受け継がれていた家業を継ぐことを決意。京都伝統工芸専門学校(現・京都伝統工芸大学校)にて京指物を学んだのち、家業である家具のあづまに就職。

現在は、職人として桐だんすを製作するかたわら、和歌山県重要文化財の名手八幡神社の内装工事など、宮大工の仕事にも取り組む。その他、桐の生活雑貨の制作、エステサロンや美容室の改装など、桐材の仕入れから加工、販売まで手がけてきた家業の強みを生かし、「木に関する仕事はほぼなんでもやる」姿勢を貫いている。

※ 約5,000字

 

● 子ども時代 自覚
父や祖父が働く工場が子ども時代の遊び場。桐の材木問屋として創業した1891(明治24)年以来、時代に適応しながら仕事が受け継がれてきた空気を肌で感じながら育つ。いつしか、唯一の男である自分があとを継がなければならないと感じるように。憧れていた祖父や父に喜んでもらいたいという気持ちが無意識に表れたのか、小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「世界一の総桐だんす屋」。

 

● 小学生時代 萌芽
頭がよくてスポーツ万能ゆえ一番モテる同級生Aくんに、これまで真剣に取り組んできた水泳ですら敵わないことに絶望。「ぼく、あの子になにひとつ勝てるものがない」と告げた母親から、「そんなことないで。そのうちわかるよ」と励ましの言葉をもらう。一方で、「今回テストわるいねん。でも、つぎはだいじょうぶ」と根拠のない自信を見せ、実際に言った通りの結果を出すことも。

 

● 大学時代 没頭
家業はダサいからと遠ざける。仲間とチームを組んで、約1/4マイルの距離を競うドラッグレース(通称:ゼロヨン)をするなど、モータースポーツに没頭。週の半分ほどは友人の車屋に行き、バイト半分遊び半分で仕事を手伝ったり、車をカスタムしまくったり。チームメンバーで雑誌『Dcar(ドレスアップカー)』や『カスタムCAR』などの表紙を飾ることもしょっちゅう。それから約20年が経ち、木工用の機械をある程度までは自分で修理できる今、「昔取った杵柄」を実感。

 

● 大学時代 自己発見
関西国際大学経営学部にて、心理学やコミュニケーション技法を学ぶ。「人間学」という授業の「余暇の使い方をONとOFFに分けて書き記す」課題に取り組む中で、自分の好きなことをやっている時間がON、それ以外がOFFだと気づく。日常における自分の行動や思考を逐一チェックするための客観的な視点が加わる。

 

● 大学時代 知恵
金髪ロン毛でバンド活動にいそしむ。後にクラシックギター日本一になったBくん(16歳)をバンドメンバーに引き入れる。日本一を志す彼の、陰の努力が垣間見えるパフォーマンスに触発される。一方で、彼と自身を比較する中で、技術だけではなく理論や経験も重要だと知り、「生きていくためには、単独技ではなく複合技が必要」という処世術を見出す。

 

● 大学3回生 揺動
まるで関心のなかった家業を継ぐことを決意。きっかけは、イタリアンレストランや学生食堂を経営する料理人のC氏。写真家の父の後を追うべく入学した大阪芸大の写真学科を1年で中退。単身でイタリアに渡り、料理の修行を積んだのち、料理人として身を立てた―—。そんな経歴を持つC氏に「ガイドに断られるほど危険な場所にも、親父は写真を撮りに行っていたことを最近知った。料理人の道を選んだことに後悔はないけど、親父が命を賭けていた仕事をもし自分がやっていたらどうなっていたか気になる。おまえはどうや?」そう問われたのを機に、心に火がつく。

 

● 2004年22歳 専門学校 専心
大学を卒業。「伝統工芸は京都で学べ。日本のものづくりの技術のすべての発祥は京都や」という父の勧めにしたがい、京都伝統工芸専門校(現・京都伝統工芸大学校)に入学。京の名工・内藤邦雄に師事し、京指物を学ぶ。ものづくりの世界で一番になりたいと、休みの日も師匠の工房に入り浸り、仕事を手伝ったり学んだり。ライバル視していた師匠に「師匠ができるのに、なんでおれはできへんねん」とぼやいていると、「あんた何日、わし何十年」と言われてぐうの音も出ず。

 

● 専門学校時代 疾走
師匠の“英才教育”と自身の惜しみない努力の甲斐あって、「生徒」は1年でほぼ終了。2年目からは師匠の助手のような存在になり、同じクラスの生徒が自分で作る治具(道具)の修理を任される。生徒30人分の治具を作ったことも。「できないと言うな」など、今も生きる師の教えは多数。

 

● 専門学校時代 達成
退路を断つべく、「特別賞が出るくらい、ものすごいものを作ってみせる」と宣言し、3年生のとき、受賞対象からは外れた作品展に桐だんすを出品。自分に暗示をかけて、奮い立たせた結果、前例のない特別賞を獲得。「有言実行」「為せば成る」が座右の銘になる。

 

● 専門学校時代 財産
おいしいお菓子が食べられるからという理由で、茶道の授業を選択。茶道の師匠からは卒業後もお寺の献茶会に連れていってもらったり、国宝を生で見せてもらったりと、「最上」に触れる機会に恵まれる。「三畳のお茶室の中に宇宙がある、とても奥の深い世界」に、今も触れ続けている。

 

● 卒業後 鼓舞
学生時代、校内外での作品展において、入賞はするものの、なかなか1位を取れなかった「ドラフト4位レベルの自分」を、「ドラフト4位の無名選手から出発するも、スター街道に躍り出て、メジャーの第一線で活躍するようになった」イチローのストーリーになぞらえて、奮い立たせる。

 

● 2008 28歳 光明
会社を継ぐため、故郷に戻る。婚礼用などでかつて重宝されていた紀州たんす(桐たんす)はすでにどん底にまで落ち込んでいたが、悲観的にはならず、やるしかないと肚を決めて取り組む。低迷している現状は、裏を返せば競争が少ないということ。自身が社会的評価を得て、仲間とともに大きなムーブメントを作ることができれば、業界を発展させられるだろうと、楽観にも似た前向きなビジョンを思い描く。

 

● 2010年頃 必然
父の紹介で、高松の漆芸家・安倍耕治と出会う。漆が手や顔についてもかぶれない自身の特異体質が判明。まるで必然であったかのように、「君ならいけるわ。誰もやっていない僕の一番の技法を教えてあげる。君のおじいちゃんとか親父には世話になったから、君にその恩を返すわ」と、手のひらできめ細かく漆を塗る秘技を伝授してもらう。そのしばらく後に、「風雅」シリーズの原型となるリビングボードを作り、「京の伝統工芸新人作品展 最優秀賞」を受賞。

 

● 心得
師匠の内藤邦雄が逝去。その息子でもあり、師匠でもあった内藤政一から、内藤邦雄が使っていた道具(木製のスコヤ)を譲り受ける。「何事においても手を抜くな。完璧を目指せ。完璧なものを作るのには時間がかかるけど、あとで補修する必要がないことを思えば、結局はいちばん速く作ることができる」「金属製のスコヤを落としたりして、目に見えないレベルの曲がりができたら全部くるうし、直されへん。木製やったら曲がっても、自分で直すことができるやろ」と内藤政一から教わる。

 

● 2014年頃〜 奉仕
桐だんすづくりには欠かせない「曲げわっぱ」や「うるし塗り」の技法を転用しながら、和歌山県重要文化財の名手八幡神社の内装工事など、宮大工の仕事にも取り組む。祖父や父の考え方を受け継ぎ、寺社の仕事には無償で腕を振るう。2016年冬、糸魚川市大規模火災の被害に遭った呉服屋に、着物を収納するための桐だんす1,500万円分を寄付。

 

● 2014年頃 栄誉
師匠・内藤政一が逝去する。師匠の妻からすぐに電話があり、「他の子が来る前に、あんたが欲しいお父ちゃんの道具を全部持っていき」と言われる。師匠から道具を譲り受けるという栄誉にあずかったことに胸がいっぱいになる。

 

● 近年 振興
「紀州箪笥」として国から伝統的工芸品に指定されているにもかかわらず、需要減に伴い、県内で100軒あった工場が5軒にまで減少。そんな現状を憂えつつ、業界を盛り上げるためには、桐で何を作るべきなのかを模索する。「会社を増やして競争相手を増やさないことには、この産業は成り立たない」と、3人の職人を育て、独立させる。その他、和歌山県立和歌山産業技術専門学院の特別講師を務めるなど、国の文化の担い手づくりに尽力。

 

● 2015年頃 打開
メンター的な存在として頼りにしているコンサルタントのT氏から、初対面の折、「東福太郎をブランドにしよう」と言われる。「日本の最先端を知るために東京に行かなあかん」といった助言をもらう中で、技術を磨くことに執心するがあまり、井の中の蛙と化しつつあった自分に気づく。高級なイメージが根強い桐製品をもっと身近に感じてもらうために、カッティングボードやトレイなどの生活雑貨をつくる。

 

● 2017 36歳 到来
誰も作ることができない桐製品はないか、模索しつづける中で、薄さ1mmのロックグラスを開発。日本文化を支える伝統の桐だんすが流行に左右されないクラシックミュージックだとすれば、桐のロックグラスはその時々のトレンドを意識しながら作り上げていく即興演奏のジャズミュージック。もがいた時期は短くなかったが、技術だけをひたすらに追求した時代がなければ、作ることはできなかっただろうと回想。

 

● 2017.9 新境地
古来、泰平の世が訪れると姿を現すとされていた吉兆の霊鳥・鳳凰。秦の始皇帝はその鳳凰が舞い込んでくるように、鳳凰が寝床とする桐を宮中に植えたという。僕は桐を扱う職人として、何度もよみがえる不死鳥・鳳凰のごとく、低迷する桐だんす業界を復活させよう。きっとその先には、伝統工芸界の明るい未来が待っている―—。そんな物語を「何度転んでも起き上がる」起き上がりこぼしのロックグラスに託し、クラウドファンディングに参加。開始7時間で目標額を超える約32万円を調達。一般消費者と直接触れ合うことで、開かれていない伝統工芸の世界を客観的に見る機会を得る。

 

● 2017.9 新機軸
桐の小物や地元産の布小物、ジャムや紅茶等の生活雑貨を扱うセレクトショップ「Active Zone(アクティブゾーン)」を工房のそばにオープン。置いてある雑貨から建物まで、すべてが桐だんすにつながる「技術のショーケース」。全国から集めたセレクト商品はすべて、自身が直接会って話をした職人の品。

 

● 2018.1 成就
レクサスが主催する「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT ※」で、薄さ1mmのロックグラスの姉妹品となる「桐のビア杯鳳凰」を出品し、「小山薫堂氏注目の匠」としてグランプリを獲得。全国47都道府県から選出された51名の匠の頂点に立つ。物心がついた頃から肌身離さず抱き続けてきた「一番になりたい」という切なる願望が成就する。その活躍を見届けた父が、1ヶ月後、69歳で逝去。次男が物心がついた頃より「おれが家業を継ぐ」と宣言している。

※日本の各地域の若き匠が日本全国に、そして世界へと羽ばたけるようにサポートすることを目的としたプロジェクト。

 

● 2018 収穫
グランプリ受賞を機に、人生が大きく動き出す。トヨタ自動車㈱本社より(全LEXUS販売店で取り扱いがある)LEXUSコレクションの商品として「桐のビア杯鳳凰」が選ばれた上、各地のLEXUS販売店よりオブジェやノベルティーの製作を依頼される。秋には、業界関係者ではなくてもその名を知っているような錚々たるメンバーが講師陣に名を連ねるものづくり人材育成講座※の講師として招かれる。数段上にいる人たちと出逢い、引き上げてもらった経験から、次は自分が下に手を伸ばして、誰かを引き上げようと考えている。

※「ふくしまクリエイティブクラフトアカデミー」(校長:コシノジュンコ)

 

● 現在(2019) 進化
「知る職人ぞ知る」師匠を目指して、プレイヤーからの脱却を図る。
「レースの帝王」と呼ばれながらも、レース中の大事故をきっかけとして全盛期に引退。長らく表舞台から姿を消していたものの、若き有望なレーサーをサポートするクルーチーフを務めたのを機に、ふたたび脚光を浴びた―—。そんなストーリーを持つ、ディズニー映画「カーズ」の伝説のレーサー「ハドソン・ドック」がロールモデル。

 

● 現在(2019) 展望
脂の乗り切った今と同程度のパフォーマンスを発揮できるのはせいぜい50歳までだろうと、体力を要する作業を中心に、自身の技術を機械に覚えさせている。いわば技術を次代に残すための合理的な手段として、職人技と機械のハイブリッド化を推進中。新たな技術を生み出せるゆとりを作ろうとしている今、尊敬している人からもらった「新たなことを始めるためには必ず、今までやっていたことを終わらせやなあかん」という言葉を噛みしめている。

 

● 現在(2019) 挑戦
技術の伝承以上に重要なのが、理(ことわり)の伝承。努力で補いうる技術と違って、言い伝えやうんちく、理は持ち主が墓場に行ってしまったが最後、二度と再生できない。そう考えて口伝が多い職人の理を明文化しようと試みるも、言葉では表現できない感覚的な内容が多く、深い混沌の中をさまようことに。

 

● 現在(2019)目標
技術や理の伝承も含め、「あいつがいたから歴史がつながった」と言われるような、時代の点と点をつないで線にするハブになることが目標。伝統工芸界の未来のため、次代を担う子どもたちが職人に憧れるような仕事を心がけている。