ライフストーリー

公開日 2016.9.21

Story

「ミニッシュは僕が働きたい会社そのものだったんです」

シューズミニッシュ 営業 上嶋 敦さん

組織で感じた限界

「僕はこれまでの人生で、深く考えて就職、転職を決めたことがないんです。新卒で旅行会社に入ったのも、小中高の修学旅行が思い出に残っているから修学旅行に携わる仕事がしたいという程度の理由しかなかった。自己分析や自問自答を素通りしたどころか、ほとんど思いつきでしたよね」

その会社は真っ先に内定を得た会社である。ラグビー部に所属していた22歳の上嶋にとって大事なのは、卒業後の人生ではなく、ラグビー人生を締めくくるにふさわしい1年間を過ごすことだった。嫌いな就活から早く逃げ出したかったというのもあるだろう。早々に内定を獲得して部活に専念していく他のラグビー部員と同様、上嶋も1社目の内定を得た時点で就活にはピリオドを打っていた。

そうやって突き詰めていない状態で就職した会社だったが、仕事自体は嫌いではなかった。添乗員として修学旅行に同行するとなれば、1、2週間大阪には帰ってこられないなど、肉体的なしんどさはあったが、それ以上に大きな問題があった。

鬼門となったのは、事あるごとに「俺が言うてることやってたらええんやから」と頭ごなしに怒鳴りつける10歳ほど歳の離れた上司(課長)である。おしゃれを楽しみたい気持ちもあって、スーツに合うような茶色の靴を履いていったときには「なんで黒を履いてけぇへんねん。おれらは(黒髪で七三分けにした)銀行員と一緒やぞ」と声を荒げられた。添乗員として同行しているさなか、突然、蹴りを入れられて、社会人としてのマナーを叩きこまれたこともある。

発散する場を持たずに溜めこむ一方だったストレスは身体の変化として表れた。以前の上嶋を知る誰もが痩せたことに気づくほどに体重は減少。最低2年は続けよう、と己を鼓舞するも、まったく反りの合わない上司のもとで働く苦痛は情熱の種火をかき消し、やり遂げることへの人一倍強いこだわりをも凌駕していった。
「中学時代のサッカー、高校、大学時代のラグビーしかり、それまでの人生でやると決めたことを途中で投げ出した経験がなかった自分にとって、初めての挫折だったのかもしれません」

2000年8月〜10月。上嶋の履歴書からは2ヶ月間の空白期間というリセットタイムが浮かび上がる。偶然にも同じ時期に仕事に就いていなかった藤尾と一木とともに、毎日パチンコに時間を空費していた期間である。
「パチンコは「逃げた自分」を認めたくないがゆえの逃避行為だったんだろうなと。ただ、次の仕事は早く決めなあかんという気持ちには常に駆られていたから、なんの自慢にもならないけど、その3人の中では一番就職するのが早かったんです(笑)」

その後も長く尾を引いた挫折感、敗北感は、O社で上嶋を奮い立たせるひとつの活力源だった。
「O社でいろんな部署を経験させてもらって対話の重要性を感じたことは、今も生きています。ミニッシュの行動指針の中に「部署の壁を無くし現場を知り協力しよう」という項目があるけど、部署間を隔てる壁は、チームが前進する上での障害になりますから。

いま思えばO社では、組織で働くことに限界を感じていたのかもしれません。(2,000人ほど社員がいる会社では)社長や部長クラスの人たちとは話を交わしたことすらない。個々に割り当てられる仕事は決まっていて、それさえやっておけば、会社が自動的に金を生み出していくというくらい、組織が出来上がっていた。当時はおかしいと思わなかったけど、ミーティングでも上の人間が一方的に決めたことに対して「はい」と言うだけの“軍隊”でしたから。

そうはいっても、営業の仕事には満足していたんです。新婚カップルや家を新築したお客さんにとって、家具は家、車に次ぐような大きな買い物です。そこでプロのインテリアアドバイザーとして親身になって色々と提案できることは誇らしかった。10年間東北にいたときのお客さんとは未だに付き合いもありますしね。つまるところ、上司に振り回されるような仕事人生に納得していなかったところが大きいんじゃないかなと思います」

 

まっとうだからこそ

「自分で言うのもなんですけど、僕はあまり敵を作らないタイプだと思っています。ただ抗体がないぶん、対話すら受けつけないような態度をとる店長にどう接したらいいかわからなかったんです。その店長からは、「上嶋を辞めさせてやろう」という情熱のようなものすら感じていましたしね。

幸いにも僕は、そういう扱いに押し潰されるハートの持ち主でもなかったし、出社を拒否するような心境に至ったこともない。当時付き合っていた嫁さんが僕の置かれている状況を理解して支えてくれていたり、まわりに友達や仲間がいたりしたこともあって、居場所を作ろうと前向きに取り組むことができていたんです。

ただ思うのは、店長のように決裁権を持っている人たちは、転勤とか降格とか、相手の人生を狂わせられるくらいの権力を持っているということ。実際、追いつめられた社員が自殺したり、パワハラが問題になったりするケースもありましたから。

今にして思えば、O社に入ってまもなく商品管理部にまわされたのも、当時の店長が僕の受け答えとか振る舞いとかから何かを感じていたのかもしれないなと。自分が手なずけられるような人間にはならないだろうと感じて爪弾きにされたようにも思えるんです。

ただそれがケガの功名というか、おかげでいろんな部署を経験できて、福島や仙台にも行けて、嫁はんとも一緒になれて……とすべてがつながってくるんですけどね。

僕は自分が納得できないことを、権力を使って進められることに納得できない。そういうこととは無縁のミニッシュにいると忘れそうになるけど、前職では営業の仕事とは別に、組織の不条理にどう抗っていくか、どうそれを改善していくかということばかり考えながら働いていたような気もするんです」

上嶋がそんな自身の性分にはじめて気づかされたのは大学生のときだった。

大阪の公立高校を卒業した上嶋は、一般入試を受けて神戸にある甲南大学に進学している。

小学校の頃にはじめたラグビーが大好きだった上嶋は、迷うことなく体育会のラグビー部に入部する。甲南大学のラグビー部は、関西大学ラグビーフットボールリーグ内ではBリーグ(いわゆる2部)に属するチームである。

そこで上嶋は、1ポジションにつき1人はいるようなスポーツ推薦の枠で入ったメンバー(全体の2割程度)をも押しのけて、1年のときからレギュラーの座を獲得する。練習設備が整っていたわけでも、優秀な指導者がいたわけでもない。マークされることもないごくふつうの公立高校のラグビー部を出た部員にしては異例なことだった。

笑い話のような本当の話だが、中学3年のときから5年ほど、放置していた手首の痛みが骨折を原因とするものだと判明したのは翌年のことだ。テーピングに守られつつも長らくフル稼働してきた患部の骨は粉砕、レントゲン写真を見た医師から「めっちゃ痛かったでしょ?」と言われたように、記憶を紐解けば眠れないほどの鈍い痛みと闘う夜もあったはずである。それでも、「そういう痛みとかは消化できる」のがゴリラの真骨頂。結果的には、ラグビーを続けていくためによりよい選択をと、骨盤から骨を移植する手術を受けることになったのである。

かくして、筋トレはおろか、ボールを持つことすらできない状態が続くこと約3ヶ月。そんな状況でも、レギュラーの座は明け渡すまいと足腰のトレーニングに集中的に取り組んだのが功を奏したのだろう。想定外のパワーアップを果たした上嶋はレギュラーに復帰、プレイヤーとしてもさらなる飛躍を遂げてゆく。
「1、2年とレギュラーを張りつづけられたから、ちょっといい気になっていたのかもしれません。金を払ってんのは俺らやねんから言うとおりにやれ、という監督やコーチ(ともにOB)の態度が気に入らなかったんでしょう。おまえらラグビーの何を知ってんねん、というような見方をしてしまっていたんです」

納得のいかないことがあると、彼らに食ってかかるようになった上嶋は、やがて二軍に落とされてしまう。だが上嶋はそんなことで腐るようなタマではなかった。このチームで強くなって一軍に勝って見返してやろう―—。生来の負けん気を胸にたぎらせながら、以前よりも練習に励むようになっていた。

かくして迎えた試合当日、ひとりのレギュラーメンバーが集合時間に遅れてきた。真偽のほどは定かではないが、車で試合会場に向かう途中、高速のパーキングで足止めを食らったらしい。

彼にしかできないようなサインプレーも練習してきたのだ。試合には間に合ってよかった……。そう胸を撫で下ろす上嶋の耳に聞こえてきたのは、情状酌量の余地を一切与えないような二軍監督(OB)の言葉だった。
「そんなもん出すか。なんで遅れてきた奴、試合に出さなあかんねん」

上嶋は納得できなかった。まずは1学年上のチームリーダーに、彼を出してくれるように交渉してもらえないかと話を持ちかけた。だがリーダーは「よう言わへんわ。絶対聞いてくれへんもん」と渋るだけである。このままでは埒が明かない。そう判断した上嶋は監督に直訴する。
「この日のために彼も交えてずっと練習してきたんです。なんとか試合に出させてあげてください」

だが率直に己の意見を主張した代償はあまりにも大きかった。
「おまえ、誰に口聞いてんねん。おまえももう(試合に)出んな」

聞く耳すら持たないような態度だった。上嶋はベンチで試合の行方を見守る羽目になったのは言うまでもなく、後にその二軍監督から退部寸前まで追い込まれることになる。

もはやわけがわからなかった。人生ではじめて、己の正しさを否定された瞬間だった。

やがて一軍には復帰する上嶋だが、チームの主将から「勝つためにはおまえが必要や。頼むから二軍監督に謝って(丸く収めて)くれ」と諭すように言われたところで、まるで気が進まなかった。二軍監督からも他のOBからも「(部活も)会社と一緒やから」と印籠を突きつけられたが、そんな理屈で納得できようはずもない。みんなラグビーが好きでやってんのに、会社ってなんやねん―—。

結局、上嶋が折れる形で二軍監督に頭を下げたのだが、彼をはじめとしたOB陣とは和解することもないまま、卒業を迎えている。
「今でもそのときのわだかまるような気持ちは解消されていません。決してごねたいわけではなく、理由を聞いて納得できれば、潔く引き下がるつもりだったんです。

ただその時学んだ“教訓”が自分の中に染みついてきていたんでしょうね。自分の正しさに自信がなくなってきていたというか、「イエスマンにならなきゃいけない」という思い込みが旅行会社でのストレスを増大させていたように思うんです」

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