ライフストーリー

公開日 2016.8.15

Story

「この会社で働くことを通じて、人間を磨いていきたい」

シューズミニッシュ 品質管理部 一木 晃一さん

衝撃の再会

すぐ投げ出してしまう自分、弱音を吐く自分をふがいなく思う気持ちがなかったわけではない。いずれも3年間続けた高校のラグビー部しかり、レギュラーはおろか、背番号すらもらえなかった中学のサッカー部しかり、粘り強いところがなかったわけでもない。しかし数年ほど前まで「仕事が嫌になったら辞めればいい」と考えていた一木が変わったのは、2012年、ミニッシュに入社したことがきっかけだった。
「あまり弱音を吐いたらあかんと思ったというのかな。いや、そういうこと自体あまり考えないようにしないといけないと思ったというほうが正しいかもしれません。仲間にも支えられているし、自分もしっかりせなあかんと思っている。ここは最後までやりきるつもりで入った会社ですから」

信州大学を卒業後に就職した会社では、ノイローゼになって辞めたり、精神的に参っていたりする上司がたえずいるような殺伐とした雰囲気に違和感を拭えず1年で退職。

その後、プータロー、パチンコ屋でアルバイトをした時期を経て、プラスチック容器製造メーカー(以下、A社)で働く高校時代の友人から「うちの会社に来ないか」と誘われた数ヶ月後、同じく高校時代の友人である高本泰朗(現有限会社シューズ・ミニッシュ代表)からも同じように声をかけられている。
そのとき先に声をかけてくれた方を優先した一木は数年後、高本から再度「一緒に働かないか」と誘われている。しかし、折しもA社での課長昇進が決まった矢先のこと。給料は高くはないが、これといって仕事への不満はなく、彼女との結婚も考えていた時期でもある。そんな状況での転職に心は傾かず、一木は断りの意思を告げている。

そして2012年。「あなたのところの会社で働かせてほしい」と声をかけたのは、ふたり目の子どもができて間もない一木のほうだった。

A社で一木が担当していたのはルート営業。荷物を運んで帰ってくるだけの「正直めっちゃ楽な仕事」である。ガツガツ営業するでもなく、それなりの給料をもらえて、土日を奪われることもない。しかし石ころ一つとて転がっていないような平坦な日常がかえって、心にぽっかり穴が空いたような感覚をもたらした。高校時代の友人であるミニッシュ専務(当時部長)の藤尾にダメ元で電話をかけた一木の胸には、希望の持てない未来を憂う気持ちが息づいていた。
「とはいうものの、自分でレボリューションは起こしてはいないわけですよ。レールの上で流されていながら不満を感じている、要は会社のせいにしていただけなんです。でもそれは後になってから気づくこと。当時はそういう自覚もなかったんですよね」

何はともあれ、一木はミニッシュの社員となる。働かせてほしい旨を伝えるために会った高本からは「昔のよしみがある。一木やったら(一緒に働きたい)と思ってた」と言われた。
「自分がツイているだけじゃないかもしれない。自分のそれまでの生き方が結びつけてくれた縁だったのかもしれない。だとしても、社長(高本)に「命燃やして働いてくれ」と言われて、その日に採用が決まったことには驚いたんです」

高校卒業後、一度も会っていなかったわけではない。だが入社後ほどなくして一木は、ほぼ20年ぶりに時を共にした同級生の姿に衝撃を覚えることとなる。
「ものの考え方にせよ、仕事の出来にせよ、高校時代とは見比べられないくらい、えらいところにいる人間になってもうたなと。生きている限り、完成することはないやろうけど、見上げるほどの人格者になってすごいなと感じたんです。

いろんなことを勉強しはったんやなぁ、経験しはったんやなぁと感じた当時からもずっと勉強は続けてはるわけやから、こうなってしかるべき。やっぱり、誰よりも従業員に気を遣っていたり、声がけしたり、従業員のことが見えていたりするのは社長ですから。あ、だから社長やってはるんやなぁとはいつも思ってしまいます。と同時に、ええ経営者に巡り会えたな、この会社でこの環境で働けてよかったなとは思うんです」

 

惑いながら生きる

調和性という強みが生かされているのだろうか。「自分はツイてるなとは常に思っているし、人にはずっと恵まれてきた。僕のことを全然できない、頼りないと見る人もたくさんいてるでしょう。でも自分で言うのもなんやけど、僕を助けてくれてる人もたくさんいたから、今ここにおれるんやと思います」と一木は言う。

「会社のなかで一木さんのことを嫌っている人は誰もいないと思う」(日吉)、「みんなに愛されている感じ。涙もろくてすぐ泣くから、「あいつの涙は信用したらあかん」と言っている(笑)」(高本)という声もある。一木自身、「一木さんの隣におったら落ち着きますわ」「ほっとする」と言われたことは一度や二度ではない。

テレビ出演の本番前に一木と話すと気持ちが落ち着いて成功する。そんなジンクスを持つ高本はこう語る。「会社でいちばんの名聞き役。一木といると、しゃべってもいいし、しゃべらなくてもいい。パッと見たら寝ているかと思えば(笑)、缶コーヒーを差し出してくれることもある。とにかく一緒にいてストレスを感じない一木は、月並みな表現やけど、履きなれたジーパンのような存在です」

一木は言う。「意識してやっているわけではないから、自分ではわかりません。ただその裏には、情けなかったり、弱かったりする自分もいると思うんです。

調和性が強い=優柔不断で決断できないということ。そこは表裏一体で、僕のダメなところでもあります。どう捉えるかも相手次第だったりするし、優柔不断にならないよう調和性を出すのがすごく難しい。実際、パートのスタッフさんから「一木さんが決めてください」と言われることはよくありますから。
だから言うべきところでビシっと言える人に憧れたりもするけど、そうはなれないこともわかっている。自分らしくないやり方はせずに、僕なりの厳しい言い方を模索していったほうがいいのかなと思っています。

いま目指しているのは、トップダウンで進めたり、決めたりしないといけない局面で、まわりにそれをあまり感じさせず、納得した形で進んでいけるようなリーダーシップのあり方です。フォロワーもなんとなくやらされてる感覚ではなく、自分事としてやっている。で、僕もやらそうと思ってやっているんじゃなくて、やってほしいと思ってやっている。そんな場を作っていきたいと考えています」

その考えのルーツは、高校時代、些細なきっかけから化学に引きこまれていった自身の体験にある。
「わかるから楽しいし、できるからおもしろい。人は好きなことならとことんやるもの。いつ、どこで、何と出会うかだけの違いやと思います。要は、人にやらされているか、自分でやっているかがミソなんです」

パートで働く女性たちに一木はよくこんな言葉をかけている。
「僕は作業という言い方が嫌いです。自分たちで頭を使って考えた時点で仕事やと思っています。だからお母さんが家族に「検品作業」と言うのは間違ってると思う。ここには仕事しに来ているという誇りを持ってほしい」

それだけに厳しい態度で接するときもある。
「おしゃべりもしながら、楽しく仕事するのはよいかと思います。ただ度が過ぎたり、おしゃべりに夢中になって手が止まったりして、検品ができてないということになると話は別です。

周囲からそう感じられたり、実際できていない状況が目の前にあったりするのならば、行き過ぎているようかもしれませんが、「私語は一切禁止」というルールを作ることになります。

ルールはすべてあらかじめ決められているものではなく、自分たちの行動が決めるものもあります。何をしに来ているか、そこを大事にしてください。

自分がまわりを見て感じることがあるのと同じように、自分もまわりから感じられていることがある。そのことを忘れずに、ふだんから行動してほしいです」

同じことを伝えるにしても、一木は人より多くの労力や言葉を必要とする。それでもまわりから「ちゃんと言ったほうがいい」「言い方として弱い」と指摘されることも少なくはない。口調は穏やかであっても、厳しく伝えていることを相手が感じるためにはどうすればいいのか。それがここ最近の一木のテーマである。
「人を叱ることはエネルギーを使うなと感じます。たまにしかないけど、叱るべき時には叱らなければならない使命感も感じつつも、叱ったときは自己嫌悪に陥ります。叱らなければその人は気づかないまま一生を終えるかもしれない。そうとはわかっていても、いざ叱るとなるとやっぱり腰が重いんです」

とはいえ、何も言えなかった数年前までを思えば、大きな進歩である。仕事を人に振ることすら嫌で、抱え込むところがあった過去を思えば、指示を出すようになったこともまた、ひとつの進歩である。

決断力に優れた人間しかリーダーになれないわけでもない。統率力に長けた人間のみがリーダーにふさわしいわけでもない。それらは重要な要素だと踏まえつつも、一木は自分らしいリーダーシップを模索しているところである。
「むかしは怒らないことや物事が丸く収まることが愛とか正義みたいに思っている自分がいました。でもやっぱり、ずっと平和でおれたらいいという気持ちでいては、仕事はうまく回らないですよね」

怒らないことは逃げだったのかもしれない。いざこざを起こしてしまうのを恐れていただけかもしれない。「一木さんはやさしい」と言われているのはあかんことかもしれない……。ミニッシュで働くようになって気づいたことは数知れず。一木にとってミニッシュは、「弱い自分」の存在を教えてくれた場所だった。
「この会社にいてすごく感じるのは、自分自身を鍛えるために仕事をしているということ。試練にぶつかっても、会社の仲間となら乗り越えていけると思うし、自分を成長させるためも向き合わなければいけないなと。ここで働くことを通じて僕は、人間を磨いていきたいなと思っているんです」

先日、41歳の誕生日を迎えた一木の前に、やさしさと背中合わせにある“惑い”の日々は変わることなく続いていく。