Profile
※ 約8,000字
存在を認められて
「会社員としてやるならば、ゴールは取締役やと思っています」
ミニッシュ社長の高本により交流会めいた食事会が催された2013年夏。会場となる焼肉屋に集ったのは、廣嶋を含めた8~9名のスタッフたち。「この会社に入って、みんなは何をしたいんや?」高本からそう問われたとき、検品作業に従事するいちアルバイトの身だった廣嶋はそう答えていた。
その日、高本と廣嶋は初対面である。にもかかわらず「ほんなら一回チャレンジしてみぃひんか? 楽天とかECの小売事業を担当してみぃひんか?」と事態は急展開を見せる。20代をプラプラ過ごしてきた、何の実績もない人間が何をえらそうなことを吹いてるんや。そう思われて、嗤われたり茶化されたりしたらどうしよう……。驚きは胸にあった懸念を洗い流していた。
「心のどこかではかねがね思っていたのかもしれないけれど、はっきり口に出したのはおそらくその時がはじめて。発言を真剣に受け止めてくれた人がいたことで具体性を帯びたというのかな。そこで高本泰朗の器みたいなのを感じて好きになったというか、おもしろい人がいるなぁと感じたんです」
かといって具体的なビジョンや、手がけたい仕事があったわけでもない。しかしその一件を機に正社員となった廣嶋の中には、この人らとずっと仕事できるんやったらそれはそれでアリやな、という思いが育まれてゆく。胸の底には、自分の存在を受け止めてくれた人と仕事ができる喜びがたゆたっていた。
「僕の人生において、存在を承認されることはけっこう大きなウエイトを占めているんでしょうね」そんな自覚を最初にもたらしたのは父だった。
「基本的に親父は僕のことを褒めない人だったんです。評論家体質というか、何をやっても「おまえはあかん」「そんなやり方間違ってる」と頭ごなしに否定する。趣味にせよ行動にせよ、親父に認められたことは一回もないんです」
廣嶋が「人生ではじめて存在を承認してくれた人」と出逢ったのは高校時代のことである。アルバイト先のマクドナルドで仕事をしていたある日、2つ上の大学生の先輩と何気ない会話をしていたさなか、廣嶋は言ったそばから自分の間違いを自覚するような発言をしてしまう。だが思わぬことに、先輩からかけられたのは「いや、その間違いはアホにはできへんから。考えてるやつじゃないとできへん間違いやから」という肯定的なニュアンスの言葉だった。
その先輩との出逢いは、先輩の言うことに従わなければシバかれるような生粋の縦社会に生きていた廣嶋の日常に新たな風を吹き込んでいく。当時から15年近く経ったいまでも、その先輩とは付き合いがあるという。
「きっと僕は、自分の存在を承認してくれた人と一緒に生きていきたいと思うんでしょうね。そういう父だったからこそ、人生の目的は「誰と生きていくか」という方向に寄っているのかもしれません」
総括マネージャーとしてインターネット事業部に属する10数名のスタッフを束ねているいま、廣嶋が自身に誓っているのは「絶対に頭ごなしには怒らない」こと。印象深く残っているのは、「後輩が先輩に気を遣うんじゃない。先輩が後輩に気を遣わなあかん」という高本の教えである。
「後輩は先輩はどうしても気を遣うもの。経験ある先輩が後輩に気を遣ってあげたほうが後輩も気が楽になるという意味では、すごく合理的だなと思ったんです。実際、そのほうが組織はうまく回りますしね。
僕の性分でもあるのかもしれませんけど、高圧的に物を言われたりするのが嫌やったんです。締めつけると一時的には業績が上がるのかもしれないけど、いつかきっと破綻する。会社を100年、200年存続させようと思ったら、次世代を担う後輩を気遣っていい流れを作っていかなきゃいけない。僕自身がそうであるように、存在を認めてもらったら離職率は下がるだろうし、この人と一緒に生きていきたい、この会社で一生働きたいと思うようになると僕は信じているんです」
廣嶋はかつての自身を重ねながら、20代の後輩によくこんな言葉を掛けている。「心の片隅で、自分がどう生きていきたいかを考えといてね。それが定まったら生きやすくなるから」まなざしの奥には、彼ら、彼女らにも自分の生き方を見つけさせてあげたいという想いが宿っている。
充実感を求めて
廣嶋は入社するまで、ミニッシュの製品であるリゲッタシリーズを知らないどころか、生まれてから30年近く過ごしてきた生野区の地場産業がサンダルの製造であることすら知らなかった。
5年制の府立高専を卒業後、20歳で大手化粧品メーカーに入社するも2年ほどで退職。次に就職したマクドナルドでは店長が直属の上司となるマネージャーを任されたが、3年ほどで退職。先輩から斡旋された金型屋で働いたのも1年とすこしの間だけ。その後は、食いつなぐためにグレーゾーンの仕事に1年ほど従事。そんな漂流人生の途上で着岸したミニッシュのアルバイトは、とりあえず日陰の仕事から抜け出そう、食いつなごうという思いで選んだ仕事だった。
「今思えば、長続きしなかった理由として共通して言えるのが、自分が何をして生きていきたいのか明確じゃなかったことに尽きるのかなと」
廣嶋は、祖父の代よりシャツのボタンの裁縫を生業とする家庭に長男として生まれ育った。しかし人件費の安い中国に生産拠点が移行し仕事が激減、未来が閉ざされたような重苦しい空気を肌で感じつつ育ったなかで、家業を継ぐという選択肢を思い浮かべたことは一度もない。「世の長男長女のご多分に漏れず、堅実な選択をする子どもだった」廣嶋が専門性の高い工業高校のような高専に進学したのは、「就職率100%」と謳われていたからだった。
「長男としての責任感や長屋の一角に暮らす貧乏な家庭に育ったことが、無意識のうちに堅実な道を選ばせたのかもしれません。手に職をつければ食いっぱぐれない、という考えもどこかにあったでしょう。
で、思惑どおり、大手企業に就職して安定路線に乗ったわけですけど、つまらなかったんです。せなあかんことを優先していただけで、安定することが僕の本望ではなかったですから」
大手化粧品メーカーを辞めて安定路線から外れたとき、廣嶋の胸を占めていたのは不安ではなく自身を縛っていたものから解き放れたような感覚だった。
長年、意に沿わない堅実な人生を歩むなかで鬱積していたものが弾けたのだろうか。無駄遣いを戒めながら、コツコツ貯金するような生活から一転、「飲む・打つ・買う」をコンプリートするがごとく、給料や貯金を含めた有り金をすべて、酒やタバコにギャンブル、キャバクラに風俗と、大人の遊びにつぎこむ生活へ。
そんな日常において、毎月振り込まれる給料が銀行口座の中で一晩を過ごしたことはない。「宵越しの金は持たない」歌舞伎役者のような生き方に憧れつつ、オールオアナッシングの世界で溺れるように泳ぎはじめた廣嶋の胸には、死ぬ間際に後悔したくないとの思いが息づいていた。預金通帳にはいつも、堅実に生きた過去への後悔を物語るかのように、2桁・3桁の数字が並んでいた。
「知らず知らずのうちにガタが来ていて、会社での人間関係がトリガーになったのかもしれません。その振り幅を思えば、よっぽど抑圧されていたんでしょう(笑)。そこで弾けたものが安定してきて、今やっと形を成した感じはありますよね。
ただそこで一回とち狂って無一文になっているから、金がない状態には抵抗がなくなりました。ないならないで結構やっていけるもんだなという実感もあるし、それ以上の金を稼げるように頑張ればいいかなと。お金がないことはバネにもなりますから。いまは堅実からほど遠い生き方をしているけど充実感はありますね」