ライフストーリー

公開日 2016.6.16

Story

「ここで働くようになってはじめて、人生の目的が定まったんです」

シューズミニッシュ インターネット事業部 総括マネージャー 廣嶋孝洋さん

消化されてきた過去

20歳の春。明確な目標こそなかったが、がむしゃらに働きたいという熱を帯びた想いを胸に入社した化粧品メーカーでの滑り出しは順調だった。

40代、50代の課長級、係長級の上司が登壇する報告会議の末席に置かれた新卒1年目の社員はふつう黙って座っているものである。しかし廣嶋はそんな不文律めいた空気を顧みることなく、積極的に質問するなどして、知らない単語が飛び交う会議へのキャッチアップを試みていた。尻込みする気持ちがないわけではなかったが、つのる興味が勝ったのだ。そんな廣嶋が、常ならば新卒1年目の社員には与えられない仕事を振られるなど、上から目をかけられるようになるのは時間の問題だった。

しかし同期や先輩にはそれがおもしろくなかったのだろう。根も葉もない陰口が飛び交ったり、ミーティング中、船を漕いでいた失態をあげつらわれたり。組織内でしだいに強まっていく逆風を肌で感じながら、廣嶋は出しゃばって自分の思いや主張を表明しないほうがいいんや、という“処世術”を学んでいた。

結局、仕事そのものは嫌いではなかったが、こじれた人間関係のなかで自分の居場所を見つけられず、2年ほどで退職。それから7、8年。廣嶋の胸中でいまだ尾を引く残像を溶かしていったのは、高本から真摯に受け止められた喜びだった。
「正直、めっちゃ恨んでたんです。自分をいじめた人とか認めてくれなかった人に対して、すごくネガティブな感情をずっと持っていたんです。でも、ここで自分の生き方が見つかってからは考え方が変わってきた。だって、そこで辞めさせてくれなかったら、今ここにたどり着いていないわけですから」

25歳頃のとき、先輩から人手不足に悩む金型屋に斡旋されたのは、高専で培ったであろう機械系の知識を買われたからだった。入社後も、定年を間近に控える年配の職人からかわいがられるなど、廣嶋は新しい職場で幸先のいいスタートを切る。

しかし、いつ頃からか廣嶋の前途に暗雲が立ち込めていく。しだいにその職人から距離を置かれるようになるなど、良好だったふたりの関係に亀裂が生じたのだ。

古きよき職人の世界では背中で教えるのが当たり前。そう解釈しようにも、最低限のコミュニケーションすら放棄したかのように無視を決め込む職人の態度は否応なく感情を波立たせるばかり。のちに聞かされたところでは「若手を入れたことで、自分が首を切られるんじゃないかという被害妄想のようなものがあったんやろう」という話だが、廣嶋にしてみれば謂れなき仕打ちでしかない。

結局、無視がつづくこと半年近く、目に見えて業務に支障が出ている状況を見かねたのだろう、廣嶋は専務に呼ばれてこう告げられた。
「将来のことを考えれば、若い人を残して定年間近の人を切るのが経営者としては正しいんやろうけど、現状として売上を生み出しているその職人さんを失うわけにはいかない。申し訳ないけど、辞めてくれへんか」

その退職勧告に従い、会社を辞した廣嶋だが、理不尽な人事に憤ることもなければ、世の不条理を嘆くこともなかった。むしろ引導を渡してもらったことへの安堵感が、事情をすんなりと飲み込んだ廣嶋の胸に打ち寄せていた。逃げるのは嫌だ、そう依怙地になってはいたものの、一刻も早く辞めたいというのが偽らざる本音だったのだ。
「思い出って美化されるんですね。それこそ、いつか殺したろ、死ぬ前にとどめ刺したろ、というくらいの感情を向けていた職人のおっさんも、もしかしたら僕の適性を見抜いて辞めさせてくれたんちゃうか、という性善説に基づいたような見方をするようになりましたから。(笑)きっと過去が消化されてきているんでしょう。

親父にしても、下請けの家内工業というごく狭い世界で生きてはったからしゃーないんやろな、親父の世界のなかで自分の位置や存在を示したかったんやろなという理解ができてからは、抱いていた感情もやわらぎました。趣味や素行、友人関係といった瑣末なことは否定されたけど、仕事や人生の選択について何も言われたことがないのは、根っこのところでは信用してもらえてたからなのかなとも思いますしね。

高校時代の先輩しかり、高本泰朗しかり、僕は人との出会い運がすごくいいんです。ギャンブル運がからっきしないのは、そっちに全部吸い取られてしまってるからなのかと思うくらい。(笑)ミニッシュでは一緒に働くスタッフにも恵まれているし、入ってくる後輩もみんないい子やし、ツイてるなと思います」

 

定まった生き方

靴業界について右も左もわからないような状態で廣嶋が入社してから4年が経つ。「インターネット事業部が抱えていた負の遺産を帳消しにしてくれた。0から1や2を生み出すタイプではないけど、1や2をブラッシュアップしていくことには長けている」と高本は評する。

そのひとつが経費削減だ。ここ1,2年、社内の電球をLEDに変えたり、もちろん意図は説明したが、強制的にモノクロ印刷しかできないようにプリンターの設定を変えたりと自発的に取り組んできたのである。
「自分ができることをやっているだけなんです。高専にいたから物理とか数学の考え方がベースに染み付いてるんでしょうね、グラフで傾向を読んだり、施策の効果を追ったりするのが楽しくって。やっぱり、やりたいことと会社のためになることが合致していたら、やりがいを感じられるしおもしろいですよね」

会社の忘年会で恒例となっている表彰式で、廣嶋は社内投票により2014年、2015年と2年連続でMVPを獲得。焼肉屋での発言を機に用意された舞台で、その発言がはったりではないことを証明してきたのだ。
「ただ経費削減をすると、仕事の利便性や効率性が下がったりと、スタッフさんを締めつける部分がどうしても出てきます。正直、絶対嫌われてると思ってました。でもだからこそ、(2年目の受賞では)自身の考えを理解してもらえた、認めてもらえたという実感を得られたことがうれしかったんです」

現在、廣嶋は社長のカバン持ちとして、商談や出演するTVに同行するなど、経営のノウハウを学ぶ機会を与えられている。
「大きい物事を動かすことが純粋におもしろいんです。そのほうが色んな人と関われるし楽しいんですよね。会社の全体像を見る立場に置いていたただいている今、いろんなことを総合的に判断して決裁するのは苦しいけど楽しい。お金が欲しいという気持ちもあるけど、それ以上におもしろいことをすることに強い魅力を感じます。

その点、マクドナルドにいるときは物足りなかったんですよね。店の方向性を決めるとか、大きな流れを作るような立場にいたいのに、与えられていた裁量は無きに等しいもの。小手先の仕事のやり方を褒められたところで、真の満足感みたいなものは得られませんでしたから」

子どもの頃から廣嶋は、武士の生き方に漠然とした憧れを抱いてきた。自身の現状も相まってなのか、その理由が言語化できるようになったのは最近のことだ。
「国のために死ぬ、みたく、所作や成すべきこと、とるべき言動といったすべてがひとつの目的に紐付いているのが気持ちよくて、すごく美しいと感じるんです。単純明快なのが一番。自身も武士のように一本筋の通った生き方に沿って、いろんなことを決められる感じでありたいなと。

いまの人生の目的は、おもしろい人たちとおもしろい仕事をすること。だからぶっちゃけ、靴屋じゃなくてもいいんです。仮に不景気になって、靴を諦める必要が出て、カバンにスイッチしても全然構わない。そう思えるようになってからは、ものすごく生きやすくなったというか、心が安定した感じはありますね。もうたぶん他の会社に行くことはないでしょうし、一生ここのメンバーと仕事がしたいなと思っています。

ふつう、社長と専務と休みの日に並んでパチスロを打つことなんてないじゃないですか。でもそれがよりいっそう好きになる理由というか、おもしろい人たちやなと感じるんです。下ネタも言うし、すぐ脱ぎますしね。(笑)高本も藤尾(専務)も同じ町で育っているから、感性がすごく似ている。こんな人らと出逢えることはもうないやろな、と感じるからこそ、大事にせなあかんなと思わされるんです」

 

黄金時代に生きたくて

もとより熱い部分を秘めた人間だった。どうすれば売上目標を達成できるか? どうすれば他店に勝てるか? マクドナルドでマネージャーを務めていた頃、高校生や大学生のアルバイトスタッフと、ファミレスで夜な夜な作戦会議を重ねているときの思い出が廣嶋の胸には刻まれている。
「チーム内で存在承認された感じが心地よかったんです。熱い子が多くて喧嘩もしたけど、競争心だけで盛り上がる感じが楽しかったし、がむしゃらにもなれた。高校の文化祭の雰囲気に似ているのかもしれませんね」

かくいう廣嶋自身、高専時代に文化祭を楽しんだ覚えはない。「日の当たる場所に飛び込んでいけるタイプではなく根暗だった」廣嶋には、体育祭や文化祭で盛り上がる学生を、痛い奴らやのぅと斜に構えて見ているところがあったのだ。
「男しかいない、工業高校みたいなくすんでいる環境(笑)で盛り上がったところでどうすんねん、みたいな気持ちもありました。でもきっと、前のめりになれば文化祭も楽しかったのかなと。中2病の時期が長かったというか、傷つくのが怖かっただけなんでしょうね。

そこは後悔しているので、生まれ変わったら絶対共学に行こうと思っています(笑)。一緒に看板を塗っているとき、気になっている女子と手が触れ合って心ときめく、みたいな感じに憧れるんです(笑)」

当時『スーパーロボット大戦』というゲームにハマっていた“少年”の家ではいま、1体3万ほどするガンダムのプラモデルが7体、持ち主の帰宅を待っている。
「要はまだ中2病が抜けていないんです。(笑)ロボットがでかい剣を振り回している姿とか、ジェットエンジンみたいな装備を背負っている姿を見てかっちょええなぁと思う気持ちには抗えない。ただそれが「少年の心を失っていない」で通用するのは20代まで、さすがに30歳を過ぎてからだと引かれてしまいます。

実を言うと、ふだん会社で20:30、21:00くらいまで働いて身体がしんどくなってきたら、近くに転がっている棒を剣に見立てて素振りをしたりしているんです。それを見たスタッフからさらに引かれるんですけど、振り切って40歳までいったら、あいつは貫いたと評価されるはず。道が拓けるまであと8年。いまは正念場なんです(笑)」

マクドナルド時代、皆で合言葉のように口にしていた「店の黄金時代をつくろう」という思いはいまも廣嶋の胸底に横たわっている。「5年後に(廣嶋を)インタビューしたらもっとおもろいと思います」と高本は期待を寄せる。
「会長(故・高本成雄、現社長・高本泰朗の父)や社長が作ってきた売上を僕らの世代でもっと伸ばせたら、黄金時代を作れたことになりますよね。100年、200年とつづく長寿企業の黄金時代にメンバーとして関わることが僕のひとつの目標なんです」

廣嶋の憧れや情熱をかき立てるのは、時たまTVで見かける大企業の成長物語だ。この人らが熱を持って仕事に取り組んだ時代があったから、大企業になったんやなぁ……。汚い町工場を背に、中年の男たちが溌剌とした表情で写るセピア色の写真は、『ミニッシュ成長物語』の恰好のモチーフなのだ。いま、人生の“黄金時代”を生きる廣嶋の目には、数十年後、色褪せた写真に会社のメンバーと収まる自身の姿が浮かんでいる。