ライフストーリー

公開日 2016.5.20

Story

「まさか靴屋で人生を終えるとは思いもしなかったんです」

RegettaCanoe 代表取締役社長 日吉 慶三郎さん

仲間と出会えて

日吉が8~9年身を置いていた瓦屋は、いわゆる職人の世界であった。日吉は営業も任されていたが、たいていは屋根の上が仕事場となるため、真夏であれ真冬であれ一日中外気に晒されつづける。それゆえ一にも二にも体力が求められる仕事だった。

とはいえ、嫌いな仕事ではなかった。手に職をつけられるという意味ではすごく学ばせてもらったというのもある。けれども、体力面を考えるとここで働き続けられるのはせいぜい50歳までだろう。人と接する仕事の方が自分には向いていると感じたし、長くやっていけそうな気がする――。そんな思いに加えて、年を追うごとに膨らんできていた一発当ててやりたい、何かで一番になりたいという思いを退けられなかったこともあり、日吉は会社を辞めたのである。

その意思を社長に告げる折、日吉は決断してから行動に移すまで1ヶ月ほどの時間を要している。ここで辞めれば、自身の境遇を慮って声をかけてくれた先輩を裏切ることになる……。そんな思いに苛まれながら、辞める意思を伝えるのはたやすいことではなかった。今日こそ言おう、今日こそ言おうと自身を奮い立たせるものの、いざ現場に立つと尻込みし、実行を先送りにしてしまっていたのだ。

それから10年以上経った今も、日吉は先輩と会っておらず、人づてに近況を聞くに留まっている。しかるべき手順を踏んでいる上に、先輩の本心こそわからないが、自分を送り出してくれたことは確かであり、日吉の落ち度を指摘する者はいないだろう。しかし義理を果たせなかったことを申し訳なく思う気持ちはいまだ胸底でわだかまっているという。

そんな日吉は高本いわく「情に厚く、自分が犠牲になってでも、人が得するように行動する人」。
日吉は言う。「意識的にやっているのか無意識的にやっているのかはわからないけれど、たとえば休日返上で働きに来てくれている子らへの声かけとかはすごく大切にしています。敵と味方って分けたらダメですけど、味方は守ってあげたいという気持ちは強いですね。会社でいうと、従業員とその家族を何がなんでも守らなあかんという思いは常に持っています。だから「同じ釜の飯を食う」というのはすごく深い言葉だなと。

組織の長である高本さんも、仲間で、家族で仕事に取り組むという考えの持ち主ですし、高本さんの考え方に深く共感できるところがたくさんあったから、すっと入っていけたのかなと思います。
どちらかというと、僕は人にすぐ情が移るんです。人と会ったらすぐ好きになってしまう。もちろん嫌な人もいるけど、極力その人のええところを見つけるようには心がけています。人の悪いところを見だしたらキリがないですから。基本的には気が短いけれど、根っこのところでは争いごとが嫌いなんでしょう。ただ人を好きになるぶん、裏切られたときにはすごくヘコむんです」

かいがいしく世話を焼くという感じではないが、相手が喜ぶこと、相手のためになることであれば何でもやろうという性格は公私を問わずあらわれていた。瓦屋で勤めていた頃によく、「あんたは気ぃ遣いや」と言われていたのがひとつの証拠である。「とくべつ自分が周囲に気を遣っている自覚はなかったけれど、周りの人たちが心地よくいられたらいいなという思いはずっと持っていたんです」

しかし性格にも良し悪しがあるというもの。「裏切られた」と感じる相手の振る舞いに憤りを覚えたりすることが続くのに嫌気がさした日吉は、ほうっておくと情に走る自分に歯止めをかけるようになっていく。
「行き過ぎると、自分はこれだけやってあげてんのに……と相手を責めることになりますから。今はそんなことはないけど、むかしは見返りへの期待も大きかったんでしょう。僕は、人と浅く広く付き合っていくというよりは、ひとりの人と関係を深めていきたいという気持ちが強いのかもしれません。群れをあまり好まないのは、1対1で話す機会のほうがよりその人のことを知れるからなのかなと思っています」

高本は言う。「日吉さんは人の悲しいところに手を差し伸べられる人。日吉さんが社長になることに不満を感じたメンバーはひとりもいないと思います」

日吉は言う。「若い子たちの成長っぷりは、見ていて頼もしいし嬉しいんです。若いぶんだけ吸収もしやすいんでしょう。自分の役割を認識できて、存在承認されていると感じたら、彼らはむっちゃ力を発揮しますから。土日でも出社したり、夜遅くまで残って仕事に励んだりしている彼らの姿を見ると、こっちも頑張らなあかんなと思わせられる。相乗効果ですよね。

おかげさまでいま、会社は右肩上がりに成長できています。ベタな言い方ですけど、フラットな関係が築かれている今のチームメンバーと仕事をできることがすごく幸せ。と同時に、20代の頃からそういう環境で仕事をやれる彼らをうらやましくも感じるんです。

一人ひとりの個性とか強みを補い合えるというのも、チームで取り組むよさですよね。人間ってどうしても自分の弱みを補おうとするけど、そんなものに気を取られたらキリがないですから」

かくいう日吉自身、そういうものにこだわった時代もあったのだろうか。
「自分で会社をやっていた頃は、自分さえ何とかなったらええわ、という気持ちが大いにありましたから。家族を食わしていくためでもあったけど、儲けることしか考えていなかった自分の浅はかさは今になって感じるところです。

かたや今の仕事には、お金以外のやりがいがたくさんあります。より多くのお金を稼ぎたい、というような気持ちは一切ありません。的に向かってブレずにやっていたら、お金は後からついてくるもんなんや、ということはこの会社で学ばせてもらいましたから」

思い起こすは、イギリスでラグビーをやっていた10代の頃の生活だ。
「もちろん仕事ですよ。ただ言葉は悪いけど、みんなで部活をやっている感覚にすごく似ているかもしれません。僕自身、「代表取締役」という肩書きはあるけど、実質的にはあだ名みたいなもの。ふだんは会社の子らとアホな話をしてるだけですから。(笑)

ただ、いざというときにみんなが迷わないよう、決断を下すことは自分の役割かなと思っています。人間って丸くなりすぎたらナメられるし、とんがりすぎたら避けられる。そのバランスがとれるところってどこなんやろというのはずっと考えていますね」

 

人に恵まれていたからこそ

「警察に何度もお世話になった時期もあれば、反骨一色みたいな感じだった時代もある。やんちゃをしていた頃の僕は人としてほんまにクズやったと思うけど、そんなこともあっての今かもしれませんね。人は自分で痛みを経験しないと、相手の痛みもわからないでしょうし。

予定は未定じゃないけど、どこでどう転ぶかわからないようなこれまでの人生が遠回りやったのか、順調に来たのか、現時点ではわかりません。ただ思うのは、人には恵まれていたんやなということ。いま、自身が充実した毎日を過ごせているのは、過去の経験なり出会いのおかげですね」

自分の会社をどうしよう……。4年前、「一緒にやらないか」と高本から声をかけられた刹那、脳裏に浮かんだ懸念点は、次の瞬間、「お願いします」という自身の声にかき消されていた。
「当時は自分の会社とミニッシュ、どっちつかずな状況だったうえに、商売も低迷していて突破口が見つからず悩んでいた時期だったから、タイミングとしてもベストやったんです。心のどこかに、ミニッシュ一本でやりたいという気持ちもあったでしょう。だから今となっては、迷いはなかったのかなと思うんです」

日吉が正式にリゲッタカヌーのメンバーとなって4年目になる。40歳の足音が聞こえつつあった日吉に高本との出逢いがもたらしたのは、骨を埋める場所だった。
「0から1や2を作っていける、新たな挑戦ができる環境に惹かれたんです。のべ10年ほど海外生活を送ってきた身として、英語力という強みを生かす場所や機会は心のどこかでずっと求めていましたから。浄水器のメンテナンス、瓦屋、自身での商売。それまでその強みを生かす機会がないわけではなかったけど、商品の海外展開を目指しているとくれば、やっときたか、自分が出せるものを最大限発揮してやろう、とがぜん腕は鳴りました。だから来るべくして来た縁だという実感もすごくあったんです。

もしその誘いがなければ、僕がいま感じている幸せや味わえている喜びはたぶん一生経験できなかった。だから何年経っても、声をかけてもらったことには恩義を感じているでしょうし、ひとつでも結果を残して恩に報いなきゃいけないなと思っています。まさか靴屋で人生を終えるとは思いもしなかったから、そういうご縁にめぐりあえてほんまにありがたい。とにかく今が一番いいですね」