ライフストーリー

公開日 2016.4.12

Story

「人が生きていくうえで一番必要なのは、希望だと思うんです」

NPO法人スマイルスタイル 事務局長 古市 邦人さん

大事なのはbe(存在)

一連の経験を振り返りながら、古市は自身の原点となった過去の記憶を探り当てていた。足つぼサークルでの練習中の一場面である。

その日は、いつものようにお互いの足を練習台としながら、マッサージの練習に取り組んでいた。サークルを立ち上げた顧問講師もその場には居合わせていた。足の裏を扱うリフレクソロジストとして長らく仕事をしていた60代の彼女は、社会人枠で入学している学生だった。

その顧問講師にひとりの女子メンバーが相談を持ちかけた。
「先生、むっちゃ足でかい人に「強く足揉んで」って言われたんですけど、強く揉めなかったから、気を悪くさせたかなと思ってるんです。どうやったら強く揉めるんですか?」

顧問講師は彼女に向き合い、やさしく問いかけた。
「○○ちゃん、人がされて一番嫌なことは何だと思う?」
「いじめられることとか…ですか」

言いよどみながら学生が答えるのを待って、顧問講師は語りかけるように言った。
「それはね、無視されることなんだよ」

顧問講師は彼女の手を取り、足ツボを押すときのように手のひらを押しながら話を続けた。
「ふつう、足を揉むのはこの強さでいいんだ。これが3の強さね。ちょっと悪いとことか重点的にやったほうがいいとこは5の強さで揉みなさい。で、これが0でこれが1」

数値で表した強度で手のひらを押す講師の語りは明快だった。
「○○ちゃんがその人のことを触っている状態が1。0は触っていない状態、相手からすれば無視されている状態ね。0と1ってぜんぜん違うの。触ってあげているだけで、人はすごく安心感を持てる。あなたは足を触ってあげるだけで、人が一番されて嫌な状態をなくしてあげることができるのよ。

1と3、1と5の差に比べて、0と1の差は絶対的。テクニックとかじゃないの。1を5にしようとか考えなくても、0を1にしてあげられているあなたの存在自体にすごく価値があるんだから、そこに自信を持ちなさい」

その日、心に書き留め、のちの人生の折々で支えとなった彼女の言葉は、当時の温度を保ったままいまも古市の胸に息づいている。

彼女の影響は、マッサージのスキルを生かしてヒッチハイクでラオスを縦断する計画を立てていたときにもあらわれていた。腕には自信があったというのもある。ラオスが比較的治安のよい国だったというのも選んだ理由のひとつである。しかしそれ以上に、あえて英語の通じない国でトライしてみよう、という思いが勝っていた。古市が日本を発つ前から決めていたのは、ラオス語で書いた「マッサージができるから車に乗せてください」「マッサージができるから家に泊めてください」という二枚の看板だけをたよりに旅を進めることだった。

結果、2週間弱で古市は目的を達成する。数十台の車に乗せてもらったり、数軒の家に泊めてもらったりしながら、無事1000km近くの道のりを縦断することができたのである。

だがそのときも古市の心を占めていたのは達成感ではなかった。のべ数十人のラオスの人々にお世話になったなかで、「マッサージができるならおまえを乗せてやるよ」という人はひとりもいなかった。僕の笑顔とか身振り手振り、あるいは同情や憐憫を買うような状況に反応してくれたのだろう。マッサージができることが自分の価値だと思っていたけれど、僕の存在自体に価値があるんだ。スキルやテクニックは小手先のもの。インパクトがあってほんとうに大事なのは、be(存在)の部分だ――。顧問教師からインスパイアされた価値観は自身の体感と相まって、古市の生き方の軸となっていく。

マッサージから肩たたきに転向した後、肩たたきイベントの参加者から「どうやれば肩たたきをうまくやれますか?」と尋ねられたとき、古市はこう答えていた。「テクニックはそんなに重要じゃないですよ。あえてコツを言うなら、目の前の人との時間を楽しむこと」

スマスタにて、知識も経験もない素人として意図的に「体当たり」で取り組んでいた就労支援にも、その志向性は息づいていた。
「いろんな支援の知識や経験を得たいま振り返ると、当時のぼくの対応はほんとに粗いし、下手だったなぁって思う。(笑)とはいえ、ここのおかげで人生変わりました、と言ってくれる人はたくさんいたわけです。それはつまり、スキルやテクニックがなくてもできることはたくさんあったという証ですよね。

近頃では、僕だけじゃなくすべての人にとっても、haveとかdo、canなんて枝葉にすぎない、と自然と思えるようになってきました。ハローライフに来る人たちの中には「僕には何もできなくて……」と言う人も多いけど、根拠のない自信はみんな持ったほうがいいと思うんです。だから、根拠のない自信を持っていたかつての自分にも、おまえは正しいと言ってあげたいなと」

 

見出した希望

スマスタでの活動、旅する屋台、カンボジアの孤児院訪問、釜ヶ崎での炊き出し。傍目にはいずれも「社会貢献」に該当するような活動をしている古市だが、社会貢献をしたいという熱意に溢れているわけではない。

古市には忘れられないできごとがある。バレーボール部に所属していた中学2年生の時のことだ。

ある日の部活動中、もともとタオルとして使われていた雑巾に書かれているフレーズを指差しながら、古市は同意を求めるように「これおもろいな」と親しい友人に告げた。が、彼から返ってきたのは「おまえ全然おもんないな」という思いもよらぬ反応だった。彼の一言がもつ冷たく、突き放すような響きに、無防備だった古市の心は小さからぬダメージを負っていた。自分自身をまるごと否定されたような気分になったのである。

おもんないとしゃべったらあかんのや……。そんな意識が植えつけられたその日以来、古市は人前でしゃべれなくなった。休み時間は、どう過ごせばよいかわからない憂鬱な時間になった。所在ない時間の空白を埋めるために、何度も水を飲みに行く日々だった。

だがそうした態度とは裏腹に、古市のなかでは、おれは絶対なんかやってやるんだ、おれは他のヤツらとちがうんだ、という燃えるような思いが渦巻いていた。とはいえ根拠はまるでなかった。何か誇れるようなものがあるわけでもない。抜きん出たものを持っているわけでもない。しかも人付き合いへの苦手意識ゆえ、自分から話しかけることができないという現実もあるのだ。

だったら、話し下手なぶん、まわりが勝手に寄ってきてくれるようなことをしなければいけない。おもしろい人間になれば、人は自分のことを見てくれるんじゃないか――。葛藤はやがて危機感とも焦燥感ともつかぬ思いに変わり、古市をせき立てるようになる。

やり場のない思いをいくぶん昇華させることができたのは、高校に入ってからだった。きっかけとなったのは、友人とバンドを組んだこと。作曲活動を通して、悔しさ、悲しみ、怒りなど負の感情を吐き出すことで、古市は充実感を得られるようになっていた。それは同時に、誰もやっていないことをやるという、自身の存在を主張する術でもあった。

しかし大学生のころにバンド活動を辞めてからは、一転、憂鬱な日々が訪れた。何もやる気が起きず、引きこもりのようになっていた時期もある。行き場を失ったもろもろの感情。無為なときを過ごした日の夜、きまって胸にうずきだす後悔。このままでは、疲れた顔をしながら、感情を殺して生きる大人になってしまうのではないか……。波立つ心がようやく調和を取り戻していったのは、足つぼマッサージという表現手段を得られてからだった。
「高校でのバンド活動しかり、大学での足つぼマッサージを通した一連の活動しかり。おれを見てくれというか、誰か気づいてというか(笑)、自分に関心を持ってほしいという思いが大きな原動力になっていたと思います。僕が大学に入ったのはちょうどミクシィが流行りはじめた頃。当時は自身の活動を日記に書いて、コメントをもらうのが生き甲斐でしたから。周りからは「社会貢献みたいなことをよくやるね」って言われるけど、根っこはそこなんですよね。

でも、それもきっと背中合わせにあるのは、誰かに求められるだけのことをしなきゃいけないというプレッシャーでしょう。怖くて走り出す感覚というのかな。

もっと言うと、あまり他人に批判されないことを選んでやってきた気がします。(笑)賛否両論があるようなことは怖くてできない。だからおのずと社会貢献的な方に向かったのかなと。

四条大橋で肩たたきをやっていた時なんかも、うまい具合に自分を守っているところはあったんです。無視されるのが嫌だから、呼び込みとか声かけとかはしない。(笑)そこに存在はしてるんだけど、積極的なアピールはしてないんです。自分が無視されている現実を認めることが怖かったんですよね。

ただ、だからこそ、声をかけてくれた路上詩人の人の存在は大きかったし、「たったひとり」をキーワードにしている今の自分がいるんだろうなと思うんです。「いい出会い方をする」のは出会う人全員じゃなくていい。たったひとりいればいいんです。大学時代に顧問の先生が言っていた、0と1の違いですよね」

恐怖心の存在を確認しつつも、古市がよりハードルの高いチャレンジを続けられたのはなぜだったのか?
「どんなチャレンジでも、チャレンジしている限り、すげぇうれしいことがどこかで待っている。それがわかってきたというか、信じられるようになったんです。

たとえばヒッチハイクをしていると、何百台という車が僕の前を通り過ぎていくなかで、無視されつづけることがしんどくて諦めそうになるわけです。でも、乗せてくれたらめっちゃうれしい。そういう大逆転を経験すると、次やるときには、今はしんどいけど、2時間後くらいにはうれしくなっているんだろうな、という希望を持てているんですよね。

1があれば、2があると信じられるようになる。僕にとっての人生かけてのミッションは、誰かにとってのたったひとりと出会う場面をなるべくたくさん作っていくこと。今はそれを就労支援の現場でやっているけど、今後は教育でやるのか、異文化交流でやるのか、まだわかりません。最終的にやりたいのは、平和な世界を作ることなんですけどね」

 

なくてはならない希望

もっともセンシティブな時期である10代の中高生に、大人や世の中といい出会い方をさせてあげたい――。大手教育企業を辞めた2013年夏。古市が旧知の仲だったスマスタ代表・塩山と再会したのは、かねてより思い描いていたゲストハウス機能を持つ寺子屋事業を具現化させようとするも、うまくいかずに悩んでいた頃だった。

「教育をやる前に、その先の働く(就労支援の現場)を見たほうがいいんじゃないか」塩山の誘いに乗り、スマスタに合流してから2年半。胸中でくすぶっていた独立したいとの思いはいつしか消えていた。
「ひとりだったら自分の好きなことができるけれど、小さいことしかできない。チームなら自分の好きなようにはできないけれど、できることは大きい。東京オリンピックにどっちが近づきやすいかなと考えたら、スマスタにいてチームで動くことかなと思ったんです。自分にできないこともだんだんわかってきたし、スマスタのメンバーはみんな特技をもっている。ここで働きながら、いつか自分が思い描いているものに近い案件がとれたとき、それを任せてもらえるだけの企画力や運営力をつけていきたいなと思っています」

「世界中の人々が集まる東京オリンピックで肩たたきをする」これは古市が学生時代から公言してきた、人生における中間目標だ。
「口にしていたら叶うと思っているからです。でも、必ずしも肩たたきじゃなくてもいいかなと。朝鮮人と韓国人が仲良くなったりするなど、国や文化を超えて、人と人がいい出会い方をするための場づくりが僕のやりたいことですから。

オリンピックという舞台でそういうコミュニケーションデザインのあり方が認められたら、国どうしではいがみ合っていても、世界中の人たちが人単位でつながっていく。そしてそれがオリンピック・スタンダードになっていくことも考えられると思うんです」

ほんとうは、世界は思ったほどクソじゃない――。18歳の頃にはじめて観た『ペイ・フォワード』の主人公の台詞は、10年以上経った今もありありと思い出せるほど古市の記憶のなかに色濃く残っている。
「観てきた映画が数あるなかで一番強く印象に残っているのは、きっと主人公の彼と同じように思っていたからでしょうね」

人付き合いをはじめとして、いろんなことが器用にできない。『DAYS JAPAN』を読んでも、世の中はおかしなことばかり……。自身をとりまく世界に暗雲が垂れこめていた10代後半の古市にとって『ペイ・フォワード』の主人公の台詞は、希望そのものだった。

大学時代、就活をしている頃も、働くことには肯定的なイメージを持てていなかった。唯一憧れていた職業はフォトジャーナリスト。『DAYS JAPAN』を毎月のように読むなかで、一流のジャーナリストたちが切り取る決定的瞬間に古市の目は留まっていたのである。

なんでこんなふうになっちゃうんだろう、なんで人は争うんだろう……。心がつい悲観に覆われがちな古市にとって、情熱大陸などで見かけるあらゆる分野で希望を作っている人たちの存在は大きかった。
「彼らに触れるなかで、僕自身、がんばらなきゃと思えたというか救われてきたところはありますよね。だから、自分もそういう存在になりたいという漠然とした思いは今もあります。

昨年4月からカウンセリングを勉強しはじめて、本質的なことを考えるようになったのは大きいですね。希望を起点として考えると、マネジメントではスタッフにプロジェクトの価値を伝えてあげること、カウンセラーとしては相談者の中から見つけた希望をストーリーにしてあげること……みたくいろんな分野に生かしていけそうな可能性を感じていますから。

やっぱり、人が生きていく上で一番必要なのは希望なのかなと思うんです。ギリシャ神話の『パンドラの箱』でも、いろんな災いが起こったあと、希望だけが残るという話があるくらいですしね。希望がひとつ生まれると、人生は好転するんです」

日本、ラオスでのヒッチハイク、肩たたき1000回プロジェクト、旅する屋台、学生時代から通いつづけているカンボジアの孤児院……。固有の経験を重ねてきた古市は、相談者から「古市さんの話を聞かせてください」と言われることもある。直近の1年間では、スピーカーとして呼ばれ、人前で体験談を語る機会も6、7回あった。

与えられるものだった希望は、生み出すものとなり、与えるものへ。「このサークルに入った君たちは無力ではないのだ」足つぼマッサージサークルで代表を務めていた頃、つねづね後輩に説くように語っていた言葉は、その実、自身を鼓舞するための祈りにも似た願いだったのかもしれない。

いま、東京オリンピックに向けて歩みを止めることなく日々を過ごす古市の胸には、希望をともなった10年越しの夢がひろがっている。

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