ライフストーリー

公開日 2016.2.6

Story

「とらわれない生き方が、わたしには必要だったんです」

Freedom 代表 / NPO法人大阪ダルク ディレクター / 元職業カメラマン 倉田めばさん

育て直してきた「自分」

「もともとひじょうに極端で、すぐに人とパワーゲームをして、勝ち負けで物事を決めたがる。薬をやめてからもそうだけど、わき目も振らずにというか、衝動的に行動することがしょっちゅう。大江健三郎の「見るまえに跳べ」という言葉があるけど、いつも見る前に飛ぶような人間でしたから」

小学生の頃は、誰彼かまわず話しかけるような子どもだった。父の転勤を機に、新しい土地で高校生活をはじめてからは、うまくなじめずに学校空間から逃避するようになった。だが、じっとしていない、というよりじっとしていられない性分は相変わらず。学校をサボって、ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンなど、ロックバンドのコンサートを観るため大阪まで足を運び、八坂神社で野宿して帰ったことも何度かある。興味のおもむくまま行動するという顕著な傾向は今も変わらないところだという。
「薬物依存者になったからには飛ぶ前に見ないと、ほんとに飛んでしまうんです(笑)。

かつてのわたしは“真剣に”薬を使いながら生きていたわけです。適当に、たとえば年に1回、覚せい剤を使うような人は依存症にならない。アディクション(嗜癖、病的依存)にはまりこんでいくのは、ひじょうに真面目な人なんです。自分の感情にとらわれた結果、あ~、どうでもいいや~と、破れかぶれになってしまい、損得勘定や処世術みたいなものを考えられなくなっていく。

そんなわたしが「信念を持って生きる」のは、すごく危険なこと。依存症という病気だから、すぐとらわれるんです。事実、依存症から回復していく過程において、薬にとらわれるかわりに、人間関係とか他のことにとらわれるというのはしばしば起こります。

今でも、人に嫌がられているんじゃないか、これって正しいのか……というとらわれは絶えず襲いかかってくるわけです。つい正当性を主張したくもなります。でも、そこでもう一人の中庸を求める自分が出てきて、偏ってきてるぞとか、動機に不純なものがあるんじゃないの……というように、ちゃんとわたしに忠告してくれる。アンビバレントな2つの考え方を持っていないと、思想や信念に凝り固まってしまいますから」

めばがクリーン、いわば薬をやめた状態になってから32年が経つ。長年の間、(精神安定剤や睡眠薬を含めた)薬はなくてはならないものだっためばにとって、薬のない生活を続けていくことは、未踏の砂漠に足を踏み入れていくようなものだった。

とりわけ薬の使用をやめたばかりの頃は、喪失感や未練も手伝って、いつ薬を使ってもおかしくないような感情の乱れに数日間振り回されることもあった。しかし「もう一人の自分」を育てていくにつれ、1年後にはその乱れが1日で収まるようになり、5年後には1時間、そして20年後にはさらなる時間短縮が可能になるなど、ふだんの心がけは着実に変化をもたらしていった。
『「32年も使っていなければ薬物依存者じゃないでしょ」とか言われるかもしれないけど、そうじゃない。現に10年、20年とまっていた再使用する人も見てきたし、ほんとに再発、再使用は一寸先にある。だから、とらわれそうになる自分を自覚、軌道修正して中和させるもう一人の自分の存在は欠かせないし、それが精神的な安定にもつながるんですよね。

この32年間をひと言で言い表すなら、いかにとらわれずに生きるかを求めてきた時間だったのかなと。たまたま薬物依存者に関わる仕事をしてはいるけど、いかにして薬を使わずに生きていけるか、というのがわたしにとってのすべてなんです。いまは仕事がそれに役立っているだけであって。

そのためには、いかにアバウトに、いいかげんに、幅広く余裕をもってやっていくかってことが大事なのかなと。薬を使っていた20代の頃なんかは、太く短く生きればいい、とかカッコつけたことを言う自分もいました。そういう意思もあったし、実際にそうなるとも思ってた。一方、やめてからは、ふわふわ、ゆらゆらしている自分を認めて生きてきたようなところはありますね。それが依存回復プログラムの効果でもあり、そういう自分を育て直してきたってことなんです」

 

薬物依存症になって

「いまは感情が乱れていても安眠できるよう落ち着かせてから眠りにつく。そして6、7時間寝たら、心地よい目覚めがやってきて、また1日がはじまる。そんなふうにおだやかに過ぎる1日の時間は、体感でいうと薬を使っていた頃の2倍ほど。ずっと楽な生き方なんだけど、感情にとらわれて破壊的な感じになっていた当時ほどおもしろくはないし、刺激的でもないんです。

薬によって出せていた破れかぶれの勇気みたいなものを失うから、臆病な感じにもなりますしね。「後者(急性疼痛)の痛みが大きくなると、前者の痛み(慢性疼痛における自発痛)の緩和が起きるようなのである。(中略)このことは、慢性疼痛患者が潜在意識の中では急性疼痛を求めている可能性を示唆している ※1」と熊谷晋一郎さんは書いているけれど、たとえばリストカットした瞬間、手首に痛みが集中するぶん、一時しのぎではあっても慢性的な心の痛みは忘れられるわけです。

アディクションによるごまかしが効かなくなるのは、自分の弱さや痛みをもろに抱えたまま生きていかなきゃいけないってこと。ギャンブルもそうだし、暴力もそうかもしれないけど、心に空いた穴をふさぐ蓋が使えなくなれば、あとは見るしかない。でも、たとえばダルクでほかの依存症の仲間と一緒にいたりすると穴は埋まっていく。そうやって人との信頼関係を取り戻していくんです。

わたし自身、もともと破滅的な傾向を持っていて、芸術とかがすごく好きで、ふっと偏ったところに行って、エロスと狂気の世界に溺れていくようなタイプでしたから。でも、依存症になったわたしは、そういう過去の自分を捨てて新しい生き方をしないとこの社会と調和して生きていけなかった。だから、世間的によしとされているかどうかは関係なく、とらわれない生き方がわたしには必要だったんです。

ただ、好き嫌いでいうと、30歳までの狂った自分のほうが好きかもしれない。芸術とかヤクにはまっているあるタイプの人たちからすれば、そういう私のほうが魅力的に映るのかもしれません。(笑)でも、それをよしとして生きつづけるのはダメなんですよね。そうするには薬を使うしかないですから。

講演とかでよく当時の話をすると、「生きづらさがあったんですね」とか言われますけど、とんでもない。教育者とか治療者とか支援者にとって、そういう言葉で解釈することが理解しやすいから言っているだけ。

売人をどうやって見つけるか、次の薬をどうやって手に入れるか、そのための金をどうせしめるか……。薬のことで頭がいっぱいになっているから、自分の痛みや生きづらさを感じる前に、すでに薬を使うための行動をはじめているわけです。薬がないときはないときで、ギャンブルとか刺激的なセックスとかに向かいますしね。

当時は自分を客観視できなかったし、たとえば、急に怒りが沸点に達するというように感情をうまく扱えなかった。で、そんな自分に情けなさとか自己憐憫を感じるわけです。でも、いやな感情にもかかわらず、酒や薬が入るとその感情に酔っ払える。つまり快感を覚えるんですよ。おそらく脳内麻薬物質が出ていたんでしょう。

もっとも、自身、薬をやめてから「当時は生きづらかった、しんどかった」と書いたり話したりはしています。ただ、現在進行形のヤク中の世界はまったく違うものだという認識を持ってほしい。パチンコにはまっている人しかり。それがアディクションなんです。

そもそも、薬を使ったことはそんなに後悔していません。薬を使って、やめるという過程において、いろんな出会いがあったり、視野が広がったり、気づきがあったりと、人生が豊かになりましたから。

たとえばダルクでも採用している薬物依存症者向けの回復プログラムの内容は、決して真新しいことじゃない。ごく当たり前のことというか、いろんな宗教で言っているようなことなんじゃないかと思うんです。「無力な存在であることを認め、自分自身より大きな存在を信じ、委ねる」という考え方を例にとれば、親鸞の「他力本願」とひじょうに近いものがあるのかなと。

そんな普遍的な価値観に触れられたというのもあるから、生まれ変わってもヤク中になってもいいな、くらいにしか思っていないんです。いまは「薬をやめたい自分」を大事にしながら生きていますけどね」

人前で話すときはTPOに合わせて発言内容を選ぶめばだが、かつては教育現場に呼ばれたときなど、反抗的な気分で、あえてそうした本音を口にしていたこともある。
「そういうことも自由に言える環境があってはじめて、教育って成り立つと思うんです。日本の薬物依存者が再犯を繰り返し、社会が支援体制を作っていけない背景には、スティグマを本人が負うようなマスコミ報道や教育があるわけです。はっきりしているのは、そのスティグマを外せれば、多くの薬物依存者がよくなっていくということ。これはわたしの問題じゃなくて社会の問題なんです。

そうやって世間から疎外されてきた人たちが、ダルクとかに来れば、「ここにいていいんだよ」と共感される。「昨日まで薬をやっていたけど、今日はやっていない」となれば、「すばらしい」「よかったね」と褒められるわけです。そこでまずは自分を許す、誰かに許されるという経験なくして、よい方には向かっていかない。ただでさえ彼らは罪悪感でいっぱいになっているわけですから」

 

※1 『当事者研究の研究』(2013) / 石原孝二・編
第5章「痛みから始める当事者研究」熊谷晋一郎