ライフストーリー

公開日 2016.2.5

Story

「40歳近くになってようやく、 仲間と一緒に仕事をするすばらしさに気づいたんです」

シューズミニッシュ / RegettaCanoe 代表取締役 高本 泰朗さん

価値は誇りに

今年で10歳になる息子が生まれたのは、その年のことである。おれはこの子を養えるんだろうか。いつか壊れてしまうんじゃないだろうか……。ふだん作っている靴とさほど変わらぬ大きさの赤ん坊を抱いたとき、まず襲ってきたのは恐怖だった。しかし同時に、このままじゃあかんと目が覚めると、ふたたび闘争心が頭をもたげてきた。財布の中身を気にして正直な自分に蓋をするのはやめよう、やりたいことだけやろう、との思いも深まっていく。自身のストレス成分を見極められたこともあり、パニック障害の症状はピタッと止んだ。

浮上のきっかけとなったのは、4,980円のリゲッタを並べた靴業界の展示会にて、某靴メーカーの社長からもらった一言だった。「高本くん、いい靴作ってるね~。ただ、出る展示会を間違えてるんじゃない?」
「広い世間では完璧なレッドオーシャンになっているにもかかわらず、靴業界しか舞台はないと思っていました。世間を知らなさすぎたんです」

同年、東京ビックサイトで開かれたギフトショーに出展したことが高本の人生を大きく動かしていく。10万人が来場する“大舞台”に立つことは、かねてより望んでいた夢でもあった。さりとて条件面も甘くはない。家族経営の小さな会社には見合わぬ200万オーバーという出展料をつぎこんで確保できたのは、なみいる出展者の中でもっとも狭いと思われる3m四方のスペースだった。

蓋をあけてみれば挑戦は大成功に終わった。来場したバイヤーから「何してんの、君? 日本製の商品、こんな安い値段(5,980円)で売ったらあかんで」「君が作ってるの? 作り手の顔も見えるし、絶対売れるやん」と口々に言われたのだ。200枚以上の名刺が集まったことは思わぬ発見でもあった。それもそのはず。「生野区の相場である1,980円に照らせば、5,980円の靴は高級品」という物差しか高本は持っていなかったのだ。

清水の舞台に飛び降りるつもりで大枚をはたいたことが、結果として高本の命運を分けた。ギフトショーへの出展をさかいに、ディノスや千趣会など、通販業界とのパイプもできるなど、会社は急成長を遂げていく。高本自身、商談にテレビ出演にと日本じゅうを飛び回る日々がはじまった。

まさにブレイクスルーを果たしたような状態だった。だからといって高本には浮かれる様子は微塵もなかった。発注があれば絶対NOと言わないようにしよう。一度ほかの下請け会社に仕事を取られたらもう戻ってこないのだから。製造現場を存続させたければ、仕事を出し続けるしかない――。そんな気構えの裏には、ようやくついた火を消してなるものかという危機感がほとばしっていた。高本の脳裏には、調子のいい時にあぐらをかいて転落していった反面教師の顔がいくつも浮かんでいた。

「高本さんは熱い人」というイメージが周囲に定着していったのもその頃のことだ。「ほんまに買うてほしいんです。僕にベットしてください。絶対裏切りませんから」鬼気迫る様子で商談にのぞむ姿がよほど印象的だったのだろう。あるバイヤーの妻から「高本さんと会ってから、うちの旦那、家に帰ってきてからあなたの話ばっかりしてます」と言われたこともある。その熱意が引き寄せるかのように、スタッフの数も増えていった。

売り上げは上がっていく一方で、高本のなかには量産靴を作っていることへの抵抗感がわだかまっていた。裏腹にあったのは、たとえ数は少なくとも価値が伝わるようないいものを作りたいという思いである。

しかしとあるTV局から取材を受けたことを機に、高本の志向性は変わってゆく。生産現場を案内している際にひとりのスタッフから言われた「めっちゃおもしろいすね」という言葉が耳に残ったのだ。それは、よぼよぼのじいちゃんばあちゃんが物を作っている、汚くてみすぼらしい場所と思われたらいややな…という懸念を溶かしていった。

その体験は、生野で作る靴の価値を伝えなきゃいけないという意識を高本に植え付けた。結局、広がらなければ価値ってないのと一緒、量産靴でも思いは伝えられるんじゃないか、とぼんやり思うようになったのもその頃のことだ。

さらには会社の売り上げが町の人たちの生活を支えている実感を持つようになったこと。それがひいては家族、嫁にきた奥さん、孫…との関わりにもつながるという気づきもまた、価値をより広範囲に伝えなければならないという原動力に転化していった。

高本のなかではいつしか、地域に住む“家族”のために仕事をたくさん作ることが最優先課題となっていた。納期や価格などについて、材料メーカーや靴底メーカーと折衝し、例外なく主導権を握られる状態から 50-50 の関係への脱却を図りはじめた。

そうしたチャレンジングな若者の姿は周囲を動かしていく。地元の職人たちから「手伝わしてほしい」と声がかかったのだ。
「仕事がほしいのではなく、食うために稼いでるのがおもしろくなくなったんやと思います」

時代の流れも追い風となった。
「5年ほど前なら無理だったと思います。職人さんたちはそろって怖く、ヘソを曲げたが最後、追い払われることも少なくなかったですから。でも生産工場の中国移転が進むなかで仕事がなくなってきたせいか、職人さんたちは丸くなっていた。頃合いよく、ぼくと職人さんらの足並みがそろったんです」

作っている靴が売られている場所も知らなければ、履いている人の感想も聞いたことがない――。経済成長にともなう分業化が作り上げた「顔が見えない関係」は、「底辺・生野」というポジションと相まって、職人たちから誇りを奪い去っていた。
そんななかで高本のテレビ出演やインターネットの普及により拡散された情報は、「おじいちゃんが作っている靴、町で見たよ」「お父さん、この前テレビ出てたね」など、職人たちの心をともす光として還ってきたのである。

 

プレイヤーから経営者へ

2010年末。高本は父から会社を譲り受けた。黒字倒産しかねない危機を乗り越え、資金繰りが安定したあと、「ようやく成し遂げた自立」だった。その後も売り上げは順調に増加。国内外への靴やサンダルの卸、小売を担当する(株)Regetta Canoe(リゲッタカヌー)を立ち上げた2012年度の決算額は12億に達していた。2016年現在、自身と両親を含めて5人だったスタッフはパート・アルバイトを含め、100人近くまで増えている。

意思疎通が円滑に図れるよう組織体制を改善すべく、高本が会社のコアメンバー14名を集めて「MMC(ミニッシュ・マネジメント・チーム)」を結成したのは数年前のことだ。「管理という言葉はおこがましいけれど、『ひとりで人を管理できるのは8人まで』という本の一節が印象に残っていた」のが理由のひとつである。TEAMのスペルを勘違いしていたのはご愛嬌だ。

ミニッシュが掲げている経営理念「あしもとから世界に喜びと感動を⚪︎⚪︎⚪︎」は、MMCのメンバーと8ヶ月間、会議を重ねた末に出した答えである。

転機はそのさなかに訪れていた。「日本一の靴メーカーになりたい」そう発言した高本をまるで責めるような様子はなかったが、社員から「それって社長だけの夢ですよね。それでみんなついてきますかね?」と問いかけられたのだ。高本の意識の中に新たな視点が注がれた瞬間だった。

それはやがて、上層部の人間が自身に依存するようになり、社長がいないといけない状況を作り出していた――という気づきへと結びついていく。「群雄割拠の靴業界で勝ちつづけている」自身を基準に、「こいつらはぜんぜん仕事をしない」と、減点法で人を見る癖がついていたことも自覚した。高本の根底にあるのは「こいつらに飯を食わすために、おれががんばらなあかん、という拭っても拭っても拭い去れないような思い」だった。
「今にして思えば、極端な例では、お客さんのところに前もって一本電話を入れておくなど、転びそうな子にはみんな杖を渡していたんです。たしかに、労をねぎらったり、頑張りを褒めたりなど、仕事をしてもらいやすいような声かけをする「思いやりのあるいいリーダー」ではあったと思います。でもそれは本心から出た態度であるようでいて実は演技だったんじゃないか、100%の信頼を置いていなかったんじゃないか、と思うと自覚のない怖さを感じるんです」

その頃を境に高本は会社を自走集団に変えるための動きをとるようになる。実務、いわゆる生産労働から身を引き、危機的状況を除いて手足、口を出さないというスタンスへと移行していく。ピラミッド型の垂直組織から「公平で風通しのよい」水平組織への組み換えをはじめたのだ。

しかし何よりも高本の思考回路に影響を及ぼしたのは父の存在だった。

父が「肝臓癌で余命半年」と診断され、入院を余儀なくされたのは2014年1月のことである。以後、高本は6月に永眠するまで、ほぼ毎日のように病院に通い、会話を交わすようになる。

死期が近づいたある日のことだった。父が昔を偲びながらつぶやくように言った。
「こいつ(泰朗)があかんかったら諦めよ、それがおれらの人生やと思ってた。めっちゃ不安やったけど、任せる、代を継ぐというのはそういうことやと思う」

高本の胸裡では尊敬の念が湧き上がってきた。その言葉は、父の“解剖”を始めるきっかけとなった。

25歳から35歳まで、がむしゃらに飛び回っていた時代に、こいつなら失敗しても取り返すだろうと信頼しながら太い命綱を握っていてくれたのか。それなら成功して当然だ。叱咤激励するようなことが一度もなかった父は、放任していたのではなく、見守ることを徹底していた人だったのか――。

記憶を手繰り寄せるうち、高本のなかで「何もしてくれへん人」だった父親像が塗り替えられていく。「底辺の生野区にいながら闘いに勝ち抜けたのはすべて自身の手柄によるものだった」という武勇伝めいた物語が書き換えられていくのも自然な流れだった。

「息子であるぼくを含めたすべての人に笑顔を向けていた父は、周りから「会長はいつも笑顔で」と言われるような人でした。父が生きているときはあまり考えなかったけれど、それは不安を払拭して自分を奮い立たせよう、働いている子らの前で不安な顔をみせないようにしよう、みたいにいろんな意味を含んだ笑顔だったのだろうなと思うんです」

父の解剖は、経営者としての自身を顧みる機会をもたらした。

かつての自分は、営業なり何なりと自由に外に出させてもらうなかで、たくさんの失敗をさせてもらった。勝手に走って、勝手にこけて、傷薬を塗って、立ち上がって、ふたたび前進して……というプロセスを全部自分でやれたのだ。かたや、逆の立場に立った自分はそういう機会を奪っているのではないのか――。

父を“解剖”したことにより、父のような立ち位置にいる方が人は伸びることに気づいた高本は、場作りに徹する方へと足を向ける。そのおかげで、やる気満々な社員が多いことなど、プレイヤー経営者だった頃には見えなかったものが見えてきたりもした。

印象深いのは、社員に一任してから3度目くらいの展示会だ。夏物なら砂浜を作ったり、冬物なら雪を散らしたりと、予算を抑えながらも、かつての自分よりセンスのよいレイアウトを見せた彼らのパフォーマンスに高本は舌を巻いた。「若い子をなめたらあかん」との思いが寄せてくると同時に、彼らが持ち合わせている表現力をスポイルしていた自身への反省が促された。
「自分のことしか考えてなかった昔の自分がめっちゃ恥ずかしい。そういう自分がいたことを認めたくない気持ちはあるけど、それも通るプロセスかなとも思うんです。もしいまでもトップダウン型経営を続けていれば、いつまでもひとりで勉強せなあかんと思い込み、うちのスタッフは全然働かへんという愚痴をこぼすようになっていたかもしれませんから」

とはいえ、高本なくしてミニッシュの躍進を語れないことは紛れもない事実である。

ここ3年、商品企画、デザインの仕事はしていないものの、売れ筋の商品はかつて自分が生み出したものばかりである。
「絶対これで勝ったんねん、これ売れへんかったら死ぬという悲壮感や切迫感。そこに怨念とかが絡みついた泥臭くてグロい感情がこもった重い靴ですから。1点ごとにそれぞれ、当時の思いや背景をとうとうと語れるくらい思い入れは深いんです」

ギフトショーへの出店を機に、日の目を見るようになってからは「高本さんって天才ですね」と言われたこともあるが、自己評価とはほど遠い評価だった。
「世界中の誰よりも靴を見てるし、24時間靴のことを考えているという自負はあります。たしかに子どもの頃、絵を描いたり、モノを作ったりするのは好きやったけど、10段階でいえば8程度。突出したものを持たない凡才でした。おまけに生活がかかった状態で下手すれば人の足を壊しかねない靴を作るのはわけが違う。若い頃の自分を思い出したら、かわいそうで抱きしめたくなるくらい努力してましたから。

展示会も毎回、命をかけていましたしね。什器や棚は自前のものを使って、床には芝生を敷いて……みたく場違いに奮闘するぼくの姿を見た周囲から「あいつアホちゃうか?」と嘲笑されたこともあるけど、そんなん関係なかった。だから、若い子らが作ったセンスのいいレイアウトを見たときは、正直さびしさも感じたんです。

失敗したらつぶれる、という悲壮感が幸いしたんでしょうけど、なんでそれほど切羽詰まっていたんでしょうね。どこかに働きに出るという選択もできたわけだし、餓死することはなかったと思います。でもそういう問題じゃなかった。社会という闘いの場で打ち負けることは、ぼくにとっては死を意味していたんです。

長男が生まれる前、八方ふさがりになって人生でもいちばん辛かった30歳の頃には、突然、このままやったら死んでしまうとの思いに襲われて、泣きながら「おとん、頼むから辞めさせてくれ。このままやったら、おれ死んでまう」と告げたこともあります。そんな時期を乗り越えてきたことはひそかに勲章やと思っているんです」

15年前、生野の町中を行き交っていた、屋号の書かれた軽トラックを見かけることはめったになくなった。失われた10年のさなか「この時代にメーカーをやるのは自殺行為」という外野からの声にも屈することなく、底辺から這い上がった高本の生き様は、戦国武将の下剋上を彷彿とさせる。まさに死と背中合わせの状態で駆け抜けた怒涛の10年は、高本にとっては生命の鼓動を感じる日々でもあった。
「経営側に回ったとき、スポーツではないにもかかわらず選手生命があまりに短いことに一瞬、愕然としたんです。つらくとも、成功体験も失敗体験も独り占めできたおかげで否が応でも成長できた、おもしろみを感じられたプレイヤー時代に比べて、経営の仕事は物足らなさすぎた。それで「経営はおもろない」とこぼしていたら、同業界の先輩から「わがまま言うな。そらそうや。営業で1番のやつは管理に回される」といさめられたんです(笑)」

自身の強みを測る性格診断テスト「ストレングスファインダー」は、当たりすぎて怖い占い師のように高本の資質を指摘している。最大の強みは【競争性】。スポーツ選手が持っている、競争相手や比較を必要としている、必ず勝者が生まれるコンテストを好む、などの特徴は一も二もなく肯んずるところだという。

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