ライフストーリー

公開日 2015.5.19

Story

「踊ることによって、まちがいなく僕は幸せになったんです」

舞踏家 / 整体師 田中 誠司さん

だが、飲み屋から帰宅し、脚本を書こうと机に向かった瞬間、さっきまでの生き生きと躍動していたスピリットはどこへやら。飲み屋で迎えたピークを境に、そのスピリットが勢いを取り戻すときは二度とやってこないのだ。まず脚本を書くことが苦痛、というのが何よりの証拠である。しかも、時が経てば経つほど、内容のおもしろさに対する自信はよりあやふやになっていくのだ。
「今思えば、飲み屋で僕がやっていたのはパフォーマンスなんですよね。パフォーマンス自体がゴール。ライブにて自分の中にあるイメージを、今、その瞬間、目の前の人に伝えることに賭けていたんです」

誠司が得意とするのは、瞬間芸術だった。語っているのは、完成した物語ではなく、即興で織りなす物語。目の前にいる観客に向けて語っているストーリーは、彼らの反応によって変幻自在となる“生もの”なのだ。誰かが目の前にいてナンボ。誰かが目の前に居続けてくれるとき、誠司は最大限の力を発揮できるのだった。

一方、映画では一度、脚本という設計図を書いて、それにしたがって緻密に組み立てていくという地味な作業が要求される。登場人物として自分がその瞬間、進行形で生きていなければ、誠司の才能はとたんに宝の持ち腐れとなってしまうのだった。

しかしながら、「映画監督になれなければ死ぬ」と宣言している身である。「誠司はすごい。絶対すごい映画を作れる」と手放しに褒めるのは一人や二人でもない。自他共に認める才能を自ら手放してしまうのがあまりにも惜しかったというのもあるだろう。結局、29歳で舞踏に出逢うまで、誠司は約10年間、自身にまったく合わないことにこだわり続けたのである。
「客観的な設計図をもとに共同作業をしながら作る映画では、数学的、建築的な感性が求められます。今にして思えば、詩的な感性を強みとする僕には、努力では埋められないほど、その感性や能力がどうしようもなく欠落していたんです。地図の読めない旅人、設計図を書けない建築士のような感じでしょうか」

とはいえ、自身が映画監督に向いていないのではないかと薄々自覚し始めたのは、20代後半頃のことである。映画監督としての成功を信じこんでいた誠司は、専門学校卒業後、警備員のアルバイトをしながら自主制作を始めていた。

それから約2年。うまくいかずに苦しんでいた時、大好きな是枝裕和監督がドキュメンタリーのワークショップ(以下、WS)を開くという情報を偶然手に入れることができた。

藁にもすがる思いで、誠司はWSに参加した。週に一度、映画美学校にて開催されるWSは、1年間かけて4本の作品を作るという公開WSのような形式だった。選ばれた4人の作り手は、是枝監督から色々とアドバイスをもらいながらドキュメンタリーの作り方を学べるのだ。出来がいいものはユーロスペースという小さな映画館で上映されるという。大学生やサラリーマンなど20名近くが参加する中、誠司が出した企画は見事、選ばれたのだった。

是枝監督に自身の才能を見せられる最大のチャンスが到来した。1年遅れではあるが、「25歳のときにはインディーズ映画のコンテストでグランプリ」という目標も達成できる。しかも、是枝監督直々の推薦つきで――。誠司の心は舞い上がっていた。

とりあえず企画を通すために語ったプレゼンだったが、好感触を得た。「無謀な企画だとは思うけれど、非常に興味深い」という監督のコメントからは、自身への期待もうかがい知ることができた。

だが、いつものように、誠司のモチベーションはしゃべり終えた時点で潰えているのだ。

結果は惨敗だった。ついに、ありのままの実力が白日のもとに晒されてしまった。こんな小さいWSにおける上映会ですら、一人も感動させることができないのか……。1年間、全力を賭けて取り組んだだけに、落胆や失望も大きかった。巻き込んだスタッフや役者などの頑張りもフイにしてしまったうえ、大好きな映画監督の期待も激しく裏切ってしまったのだ。

後になって思えば、人間の真実を描くと言いながら、自分はたっぷり着こんだ自意識の服1枚すら脱がないような映画なのだから当然の結果である。是枝監督からも自己矛盾を抱えている自身を見抜かれていただろう。

しかし、映画監督になれなければ死ぬ、とまで思い詰めている身なのだ。深い挫折感に打ちひしがれながらも、挫折という現実を認めるわけにはいかなかった。

眼下に絶望の海が広がる崖っぷちに立たされた誠司は、しだいに目の前にある現実を歪めていく。

小さな小屋で上映した自分の映画が、どこかで誰かの耳に入って、流出したテープがフランスに渡り、カンヌ映画祭の審査員の目にとまって、極秘で新人賞が決まっている可能性はないとは言えない。毎週読んでいた『チケットぴあ』にて、その年のベルリン映画祭、ベネチア映画祭の受賞作が掲載されていた際も、本気で自分の名を探した。

カンヌからの招待状が届いていないかどうか、胸の早鐘を打ち鳴らしながら家のポストを確かめる日々だった。出品すらしていない状況である。名前などあるわけがない。頭の半分では狂っているとわかっていた。だが、もう半分では信じていた、というより、信じずにはいられない自分がいた。

今にして思えば、現実と妄想の区別があいまいになっている自覚がないままに病んでいくというヤバい状態だった。それほどまでに都会で孤独に夢を追い続けることは辛かった。叶いそうな見込みがないという現実は、さらに誠司の精神を追い詰めていった。
「当時は、一歩間違えば人を殺していたかもしれないくらい、自己愛がとんでもなく肥大化してた。その源は、社会全体に対する憎しみ。といっても、結局、自分のふがいなさへの憎しみであり、やるせなさなんですよ。

自覚はしてるんだけど、自身の不甲斐なさを認めたら自分が崩壊してしまうんじゃないかと思っているから、矛先が外に向く。外を否定することによって、何とか自分を肯定していたんじゃないかな。それくらい、自我が貧弱だったんですよね。

だから、ほんとに、周りに迷惑をかけたと思います。それでも、よくみんな僕と関わってくれたなと。当時は「触るものみな傷つけた時代」と呼んでいるんです(笑)」

 

訪れていた出逢い

上京して7年目。誠司は26歳。是枝監督のWSにて一緒に映画を作ったひとりの友人は、誠司の不安定さを感じていたのだろう。いつも誠司の語る夢に耳を傾けてくれていた。

ある時、彼からこんな提案があった。
「田中くん、映画のことばっかり考えて苦しんでるから、一回、息抜きに映画以外のものを観てみたら?」

怪訝な顔をした誠司に、彼はドイツ人のダンサーであるピナ・バウシュの名を挙げた。
「彼女のカンパニーの踊りが、僕はほんとに好き。僕の人生を変えたくらい素晴らしい人なんだよ。きっと田中くんも好きになると思うから」

だが、誠司の心の針が触れることはなかった。
「いつか田中くんには観てほしい」

彼の言葉でその話題は終わった。ありふれた日常の一コマとして、そのやりとりは誠司の記憶の奥底へと沈められていった。

誠司はそのとき、袋小路に迷いこんでいた。映画監督になるという未来に絶望し、都会で自己実現する術を完全に見失っていた。かといって、生まれ故郷にも帰れない。これまで、無理やりにでもふかして何とか走り続けてきたけれど、ついにガス欠だ……。自暴自棄になり、浴びるように酒を飲む毎日。バイト代では足りなくなった酒代を、親の仕送りから調達することもままあった。焼酎一本を飲み終えて帰宅するさなかには、朦朧とする意識の中、駅のホームの柱にしがみついてゲロを吐いたり、線路に落ちたり。死の淵の近くまで行きつ戻りつするような状態である。もはやポストの中も見なくなっていた。

そんなある日のことだった。たまたま朝日新聞で、「明日からピナバウシュのブッパタール舞踊団が来日。5日間、新宿文化センターにて公演」という記事を目にした。ほどなくして、誠司は記憶の中に埋没していた半年前の友人との会話を探り当てた。おれにはこれしかない! すがるような思いで、チケットカウンターに電話をかけた。
「ごめんなさい。売り切れです」
「あ…、そうですか」

気落ちする誠司の耳に、口早に話すワントーン高い声が聞こえてきた。
「あ、ちょっと待ってください!」

何やら、電話口の向こうでは確認を取り合っている様子である。
「今、一席空きました。最終日、S席、13,000円のお席ですがいかがでしょうか?」

アルバイト代が振り込まれる2週間後まで、手元には15,000円ほどしか残っていないのだ。だが、捨て身の誠司に怖いものはなかった。ダンスというものを一度も観に行ったこともなければ、興味があったわけでもない。それでも誠司は、ためらいなくチケットを確保したのである。

友人の人生を変えたのならば、自分の人生も変わるかもしれない――。当日までの5日間、期待に胸を膨らませながら、抑えきれない興奮とドキドキと共に時を過ごした誠司は、まともな睡眠を取れなかった。

当日、客席に着いたとき、誠司のドキドキは最高潮に達していた。これで人生が変わるかもしれないのだ。

そして、ついに幕が上がった。舞台に照明が当てられた。さぁ、始まるぞ――。

安堵の波が一挙に押し寄せたからなのだろうか。その瞬間、誠司は眠りに落ちていた。
「ピナ!」「ピナ!」

何やらあたりが騒がしい。ぼんやりとした意識のまま目を開けると、周囲はスタンディング・オベーションを送っていた。とりあえず誠司も立って拍手をし始めることにした。

やがて意識がはっきりしてくるとともに、自分の身に何が起こったか、誠司は理解し始めていた。2時間の公演、まるまる眠っていたのか……。うそやろ……。

舞台の上では、ピナらしき女性を中心にずらっと横一列に並んだダンサー達が客席に向かってお辞儀をしている。一方、観客はみな涙を流し、なかには「ピナ、ありがとう!」という声を飛ばす人もいる。会場は、過去に味わったことのない熱狂に包まれていた。

ダンサーたちの顔や身体から発せられている湯気やオーラを見れば、彼らがどれほどのパフォーマンスをしたのかもわかった。会場の熱気だけで、その公演がどれほど素晴らしいものだったのかもわかった。状況への理解が進めば進むほど、誠司の心はどっと押し寄せてくる後悔に飲み込まれていった。
これだけ誠実で、これだけ多くの人の心を打つ表現なのに、寝てしまうなんて……。最後のチャンスを自ら手放してしまったのだ。おれはこんな瞬間を寝てしまう、逃してしまう間の悪さなのか、感性なのか、誠実さなのか。そもそも、自分には表現者として生きていく資格すらなかったのではないか……。もうこの世に未練はない。おれは死のう……。

思えば、「映画監督になりたい」と豪語してきたにもかかわらず、まるで何ひとつ実現できていないのだ。誇張でも何でもなく、両親に仕送りをもらって、人に迷惑をかけただけの嘘に塗り固められた人生だった。

生まれて初めて、ありのままのみじめな自分と対峙したひとときだったのかもしれない。これまで自分を誇示するために身にまといつづけていた鎧を脱いだとたん、堤防は決壊した。張り詰めていたものが涙として溢れ出し、誠司の頬をつたい落ちていく。

ロビーの隅っこでどのくらいの時間泣いていたのだろう。あまりにも存在感がなかったからなのか、観客も係員も自分の存在に気づかなかったのかもしれない。ハッと顔を上げると、ロビーには誰もいなかった。

ホールの入り口に目をやると、係員が鍵を閉めようとしていた。慌てて誠司が立ち上がったとき、向こうから黒服を来たスキンヘッドの男性が、おじいさんの乗った車椅子を押して、こちらの方へと歩いてくるのが見えた。二人の周りには家族らしき人たちが取り囲んでいる。その集団には、どこか異様な雰囲気が漂っていた。

もっとも、そのおじいさんはものすごく素敵だった。あのおじいさんの側に行きたい――。なぜかそう思った誠司は、泣きはらした顔で、足がおもむくまま、彼らの方へと歩を進めていった。

彼らは何も言わずに、誠司を輪の中に入れた。なぜ自分を受け入れているのだろう、なぜ自分は彼らについていっているのだろう……。訳も分からぬまま、誠司は彼らの後についていった。彼らはそのまま、劇場内へと入っていく。

劇場にはもう誰もいなかった。ややあって、ピナらしき人が舞台の上手からすっと現れた。彼女は客席に飛び降り、こちらに向かって階段を駆け上がってきた。そして、目の前まで来たか思うと、車椅子に乗っているおじいさんの口にキスをしたのである。

雷に打たれたかのような衝撃が誠司の身体を貫いた。目には涙が溢れ、いっせいに鳥肌が立った。

まるで意識はなかった。1mほどの距離である。そのおじいさんが誰かも知らなければ、彼女はピナかどうかも定かではない。が、気づいたらカメラを取り出し、シャッターを押していた。後々振り返ってみても、理由はわからなかった。撮らされたというしかないのである。