ライフストーリー

公開日 2015.5.19

Story

「踊ることによって、まちがいなく僕は幸せになったんです」

舞踏家 / 整体師 田中 誠司さん

歳は70歳頃だろうか。誠司は劇場で見かけた、車椅子を押していたスキンヘッドの男性と相対して座った。
「では、写真を拝見いたします」

誠司は風呂敷を広げ、写真を手渡した。たちどころに男の表情が険しくなった。

部屋に沈黙が流れること数分。その間、男は1秒たりとも、写真から視線を外さなかった。殺されるのではないか……。誠司は恐怖に包まれていた。

ふと、男は額を置いて顔を上げると、おもむろに口を開いた。
「あなたがこのお写真を撮ってくだすったこと、私たち家族にとってこんなに幸せなことはございません。ありがとうございました」

深々と頭を下げた男は、しばらくの間、頭を上げなかった。

訪れた自分の真剣さを、真剣でもって応えてくれた。まっすぐに受け取ってくれた――。目の前の男に、誠司は惚れていた。その男が大野慶人だということを、誠司はまだ知らなかったのである。

その後、誠司は大野一雄が床に臥している隣の部屋に通された。二人きりになり、彼の手を握りながら、誠司は自分の生い立ちから今までを30分ほどかけて語った。息子の大野慶人曰く、話すことはもうできないが、意識はしっかりしているらしい。彼の呼吸からそのことは伝わってきた。空想の中で恐れていた人に手を触れ、しかも肯定されながら話を聞いてもらっているなんて……。何ともいえない雰囲気の部屋で、誠司の心は静かな喜びに満ちていた。

台所へ戻ると、誠司は大野慶人から手作りの特製牛丼、そして酒を振舞われた。緊張で胃が縮こまりながらも、誠司は大野家流の大歓待を受け、帰路に着いたのだった。

とはいえ、舞踏に関わりたい、舞踏家になりたいとはつゆほども思わなかった。ただ、この人と離れちゃいけない、この人との出逢いがラストチャンスだ、という思いを誠司は直感的に感じていた。

翌日もまた、誠司は研究所を訪れている。その日たまたま開催された研究生の公演に招待されたのである。

すごい世界だな、というのが最初の印象だった。そこにいるのは、過去の人生で出逢ったことがないような前衛芸術家ばかりなのだ。

彼らには心地よさも感じた。身体を張って、晒して生きているから、言葉で嘘をついても意味がないことをよくわかっているのだろう。強がることのカッコ悪さも、強がらない素敵さも、等身大の自分を見せられる人が一番素敵であることもよく知っている感じなのだ。とにもかくにも、彼らの存在はあたたかかった。

自分が生き延びられる何か。それが何かはわからないし、映画と舞踏との接点もわからない。でも、ここにあるかもしれないし、何より大野先生との関係を続けなくちゃいけない……。そう思った誠司は、稽古の見学を申し込んだ。

見学に通うようになっても、誠司は踊りたいとも思わなければ、踊れるとも思わなかった。かといって、見学という目的だけで通い続けるのは不自然である。

そんなある時、誠司は稽古場のドキュメンタリーを撮るという関わり方を思いついた。埋み火のように残る映画監督という夢はまだ燃え尽きていないのだ。実際、大野一雄舞踏研究所は、格好の被写体だった。すごくおもしろいことが行われているということを、誠司はわかっていたのである。

とはいえ、端から見ている分には、何が行われているのかわからなかった。唯一わかったのは、大野慶人先生はすごいということ。生徒が何をやっているのかは、さっぱりわからないのだ。

しかし、自身と彼ら、両者には決定的な違いがあった。彼らは正々堂々、わけのわからないことを自分の意志で、責任を持ってやっている。かたや、自分はといえば、我が身を晒さずに安全なところからカメラで覗いているだけ。先生の弟子として晒されず、外部の人間としてもてなされるポジションに甘んじているという自覚もあった。

自分はどちら側にいたいのか、誠司の心は揺れていた。彼らを見て、先生と比べれば未熟だな、などと思っている自分がいる。つまり、撮らせてもらいながら、ジャッジを下しているのだ。一方、彼らはそんな自分を責めることなく、我が身を晒しつづけている。なんて自分は卑怯なんだ。彼らの方がよっぽど誠実ではないか……。

観察者と実行者。誠司が胸に抱える負い目は、それらを「ジャッジを下す立場」「生き様をさらして堂々と生きる立場」と映し出していた。

誠司の人生は分岐点を迎えていた。だが、カメラを置くことは、映画監督を目指している人間にとってはアイデンティティー・クライシスに他ならない。10年ほどの間、せっせと薪をくべてきた心にくすぶりつづける埋み火は、燃え上がる希望は薄くとも、そう簡単に消えやしないのだ。ほかの可能性が見えないだけに、一発逆転を信じるしかないという胸の裡もある。著名な人々も足を運ぶような、大野一雄舞踏研究所を題材にしたドキュメンタリーを撮るという特権を与えられている。そんな状況に自尊心をくすぐられたりもした。未だ、是枝監督からの返事を期待する気持ちも残っていた。

そのまま約1年の時が過ぎた。

映画を作るかどうか以前に、お前はどう生きていくのか。自分自身とどう対峙して生きていくのか。これだったら、せっかくここに来た意味がないじゃないか。こんなに素晴らしい人と出会えて、己と向き合う芸術を目の前にしているのに、それでもまだ卑怯な立場でジャッジしつづけるのか。向き合うなら今だぞ――。葛藤はごまかしきれないほどに膨らんでいた。誠司はついにカメラを置くことを決心した。

そんなある日、誠司は大野慶人に相談を持ちかけた。
「お話があります。・・・僕も踊っていいですか?」

しばしの沈黙の後、大野慶人は誠司をじっと見つめて言った。
「はい。お待ちしておりました」

誠司は大野慶人の弟子になった。29歳の春だった。

 

舞踏と出逢って…

大野慶人に出逢い、舞踏に出逢ったとき、誠司の直感は確かな答えを見つけていた。これは絶対人が生きていくために必要なものだ。ある特定の分野で秀でた才能を持った表現者や、前衛的な表現が好きな人たちだけにわかるようなことじゃない。もっと普遍的で、もっと大きなところに訴えかけるものがある――。

自分が踊るようになってからは、その答えに間違いがないことを、何度も何度も確かめてきた。他ならぬ誠司自身が生きていくために必要なものだった。誠司にはもう、映画をつづける理由がなくなっていた。

実際、稽古をすれば、立つことも歩くこともできなかった。精神的にも肉体的にもまるで自立していないという現実を突きつけられたのである。

誠司は、事を成し遂げることへの執着を捨て、30歳まで死ななかったのはすごいことだと思考をがらりと切り替えた。まさしく、ゼロからのスタートだった。

多くの人が向き合ったり、乗り切ったりした時期に、逃げたり、ごまかしたりしてきた。心の“借金”は、返しようがないくらい、怖くて向き合えないくらいに膨らんでいるのだ。おれはこのまま、“借金”に押しつぶされたまま、生きていかなければならないのか……。

そういった心の重荷のようなものを、舞踏という世界では、すべてモチベーションに変えることができた。むしろ、重荷が大きければ大きいほど、踊りのすごみとして表れてくるのだ。
「心の借金って、心が決めているものだと思うんです。たとえば、嘘をついちゃいけないと思って、嘘を見たら、嘘は借金になる。だけど、嘘をついてしまう人間の弱さに寄り添ってみようと思った時点で、嘘は借金じゃなくなる。むしろ、彼ないしは彼女を理解して寄り添うための財産に変わるんですよね。

要するに、何が起こったかじゃない、起こったことをどう肯定して生きていくか、なのだと思います。その過去があったから、人間を深く理解するための視座を獲得できる、と捉え直せば、自分の人生に起こったすべてのことは豊かなものになる。その視座に到達しようと思えば、忘れたいと思う痛み、経験しなければよかったと思う後悔を含めた過去の全時間が、余すところなく必要なものに変わるんです。

舞踏は自身の克服すべき課題が、そのまま作品になるんです。克服したら踊れる、じゃない。克服できていない状態の自分を、ごまかさずにそのまま舞台の上に乗せてしまって、踊ることによって克服していく、あるいは克服するという行為を踊っているのかなと。

だから、克服すべき問題や劣等感があることが、踊るモチベーションなんです。逆に言うと、克服すべき問題がなければ、僕は踊れない。でも、ありがたいことに、僕はそんな問題が山のようにあって、生涯なくならない自信がある。(笑)それこそが僕の才能なのかなと。

かといって、そんな問題がありさえすれば踊れるわけじゃなくて、それと対峙しつづける強さが必要です。それに、矛盾するかもしれないけれど、歳を重ねて、克服すべき問題がだんだん少なくなっていったとしても、踊るモチベーションが失われることはないと思っているんです」

誠司の心には近年、新たなモチベーションの種が育ってきている。
「自分を愛してくれる人や関わっている社会、いつか出逢うであろう守っていきたい生命など。自分以外のものに対して、見返りを求めることなく与えていくことに手を尽くし、与えようとしたものがちゃんと相手に届いたという実感を得られたとき、死んでもいいというほどの喜びを味わえることを知ったんです。ともかく、そういうものが踊りになって作品になるというすごい表現に出逢えたことは幸運だったなと」

舞踏は、誠司が持つ瞬間芸術の才能を生かせるものでもあった。
「僕なりの解釈ではありますが、舞踏は「直感で描いた大まかな見取り図の中に、身体ごと入って冒険していく。その冒険を通して出逢った風景を一つひとつ見て、感じて、影響されながら生きる行為」というのかな。プランを綿密に立てすぎたら、冒険におもしろみはなくなってしまいますからね。

そうはいっても、最低限必要なプランもあるんです。たしかに、映画のストーリーを語っていたときと同じく、舞踏をやりながら湧き出てくる直感やひらめきもあるし、それが作品の出来を大きく左右します。でも、それらが湧き出すために必要な骨組みもあるというか、用意しておくべきことがある。その点、映画に関わっていたとき、苦しみながらも設計図を組み立てていたことは、今に生きているなと思います。

冒険に出る前にどれくらい準備を整えて、どれくらい即興にすれば、もっともひらめきや直感が訪れやすいのか、いつも意識してやっているというのかな。いつもひらめける自分、ときめける自分でいるために、準備をしない準備をする、みたいな感じでしょうか。

理想は、ありとあらゆることを想定しておいて、かつその想定に縛られないこと。だから、本番前にすべて想定は捨て去るんですけど、本番でピンチになったときに助けてくれるのも想定なんです。インスピレーションと思いきや、一度想定していることだったりもしますからね。

公演などには、心と身体が最高の状態で臨めるように努めます。でも、最高の状態だからといって、いい踊りができるとは限らないんですよ。むしろ最悪の状態のとき――たとえばあばらにヒビが入っているときや母親が危篤状態のとき――に、最高の踊りができたりする。

よけいなことを考えないからなのかな。火事場の馬鹿感性じゃないけど、身体的、精神的にハンディがある分、生き延びることに集中しようとして意識は覚醒するのかもしれない。余裕があるときって、ロジックとか観念で捉えがちですからね。かといって、それを狙ったらダメなんです。

そんなふうに舞踏は、非常に繊細で、触ったらすぐに消えてしまうような曖昧なものを扱っている芸術だと僕は思っています。実際、踊り手である僕の中に、いい踊りができる保証なんてまるでない。もしかしたら大恥をかくかもしれないというリスクの中に、裸で身体をさらしていくことをやり続けている。でも、だからこそ、ライブを見ている人もハラハラドキドキするんじゃないかなと。

観客という実存、ダンサーという実存。二者が共鳴することによって現れてくるものや動く心は、非常に不思議なものなんです。たとえば、観客の深いところにあって忘れ去っていた潜在意識がダンサーのある動きに喚起されてよみがえり、思いもよらない出会いを心にもたらしたりする。そんな自由で、むちゃくちゃ興奮するコミュニケーションが起こりうる舞踏は、どう考えても一番おもしろいと、僕は声を大にして言いたい。映画や音楽も愛してるけど、ぶっ飛びますよ、ほんとに」