ライフストーリー

公開日 2015.2.23

Story

「おもしろい人間でありつづけたいんです」

コピーライター / 写真家 / セルフ祭顧問 日下 慶太さん

「享楽」を追いかけて

セルフ祭とポスター展。両者に通じるところがあると日下は分析する。
「セルフ祭には(クオリティはおいといて)「表現したい!」という思いに溢れています。無名のアーティストのが作った1stアルバムの方が、ポール・マッカートニーの16枚目よりおもしろかったりするように、色んな1stアルバムの寄せ集めみたいな感じがよかったんです。

で、ポスター展の肝も実はそこやと思うんです。若手クリエイターたちの中でたまっていた表現への欲求不満が爆発した感じがよかったんじゃないかなと」

ポスター制作の際に日下が設定したルールは、自身の過去に裏打ちされたものでもあった。
「広告制作の場では、純粋に表現に対して力を注ぎ込めない。そんな中で自分の思うような表現をできる場所として求めたのが、写真だったんです」

社会人になった後も趣味として写真を続けていたとはいえ、国内外を問わず旅行に行った時に撮る程度。当然ながら、会社員として働いている限り、毎日旅行に行けるわけはない。

そこで考えついたのが、日常を撮るというやり方だった。08年4月。現在6歳となった写真ブログ『隙ある風景』が生まれた瞬間である。ちなみに、ブログという手段をとったのは、言葉を身につけるためでもあった。08年にTCC最高新人賞をとった時、「コピーが書けないというか、言葉が全くついてこない感覚があった」からだ。

だが、生まれたときの名前は『Photoday』。『隙ある風景』と名乗るようになったのは生後4ヶ月目のことだ。
「最初は特に意識することなく、自分がおもしろいと思う風景をただ撮っていただけでした。でも、ある時、ふと気づいたんですよ。たとえば駅や道端で寝ている人に自然と目がいったりというように「隙」が気になる自分がいることに。まぁ、それまで色々めんどくさかったりするのかな~と思って日本では人を撮るのを避けていたんですけど、意外とバレずにこっそり撮れることがわかったというのもありますね。(笑)

でも、どうして「隙」が気になるんでしょうね…。人の目に触れる場所でも堂々と自分の世界に入り込んでいたりする“変なおっさん”とかに惹かれるんですけど、その人の人間模様が出てるのがおもしろいんかなぁ…。

その辺はわからないけれど、東京なら新橋とか五反田。大阪なら新世界とか釜ヶ崎。アンテナを立てていれば、撮れる時間が限られていても、ようけシャッターチャンスはある。被写体に出逢った時の感覚は、釣りをしている時の「うわっ、大物釣れた!」に近いかな。とにかく、色んなドラマがあっておもしろいですよ」

日常に目を向け始めたことで、新たな発見もあった。
「日本もけっこうおもしろいなと思い始めたんです。新世界や釜ヶ崎のみならず、祭りなんかも好きでよく行っています。各地で行われている祭りをひも解いてみると、伝統とかおもしろいことがいっぱい発見できますからね。何でしょう…、広く浅く知るということに加えて、深くせまく掘るってことも覚えてきた自分、そういうのも楽しめる自分が出てきたのかな。あとは、日本各地の変わったところを紹介している都築響一さんや周りに複数いる日本文化を掘り起こして、作品づくりに生かしているセルフ祭の仲間たちの影響もあるのかも。

いや、釜ヶ崎や新世界のようなディープな大阪は10年以上前、長旅から戻ってきてから大好きになったんです。古い神社があったり、因習が残っていたりと、中国大陸ないしは朝鮮半島から続くアジアを感じられる。釜ヶ崎のカオスな感じはインドを思い起こさせる。たしかに柄は悪いけど、人情にも溢れてます。人間くささみたいなものというか、人が生きてるって感じがあるのがいいんでしょうね」

そんな風に独自の表現を追いかける姿勢と「誰でもわかるものを…」という視座が、日下の中には同居している。後者の視座は、仕事を通して培ったものだ。
「企画のプレゼンをするにあたっては、世代が違えば価値観もかけ離れている人たちを相手にすることがほとんどなんです。いわば、もし学校で同じクラスにいたら絶対に同じグループにならなかった人たちに、これおもろいでしょって説明しないといけないという感じなんですよ。

だから、否が応でも、誰もがわかる企画を作らないといけない。逆に言えば、否応なしに偏りとか独りよがり(個性的)な表現は排除させられたわけです。でも、制作段階で「これは誰もがわかるものなのか?」というチェックを自分で入れるようになったおかげで、客観的な視点を持てるようになりました。加えて、(質はおいといて)笑いとか感動とか色んな引き出しもできました。そういう意味ではいい訓練ができたからすごくよかったし、現に、写真やセルフ祭でもそのスキルは生かせてるのかなと。アーティストが多いセルフ祭では、一歩引いたところから「シュールでぶっ飛んでる」と「誰もがわかる」の両岸を見渡そうとする視点を持てているのかなとは思いますしね」

日下はブログ開設以来ほぼ毎日欠かさず写真を撮り、書き続けた。
「誰かに見てもらうというより自分の訓練のためだったように思います。最初は、続けることが目的でしたから」

大きな原動力となっていたのは、「自分がおもしろいものを作れていないという苛立ち」だった。
「どうしても大きなお金とかタレントに頼りがちになってしまう広告業界にいる身として、ある時ふと気づいたのは、仮に広告制作者が業界を抜け出してフラットな場所で周りと表現を戦わせるならば、業界内で有名な人すらさほどおもしろいものを作ることができないのかもしれないなと。だとすれば、自分でおもしろい表現を追い求めていかんと頭がくさっていく……。そんな危機感に駆られていたんです。

何はともあれ、毎日書いているとやっぱり力がついてくるんですよ。写真、言葉ともに質は上がっていったし、それらが出てくるスピード、選ぶスピードともに劇的に速くなっていきました。何よりやっていて楽しいし苦にはならない。おまけに見てくれている人も多いとなるとモチベーションも上がり、めきめき力がついていく感覚はありましたよね」

続けていくにつれてアクセス数は増加。始めて5年目には、仕事にもなった。写真家の都築響一から声がかかり、氏が編集する有料のメルマガ「ROADSIDERS’ weekly」にて隔週で連載するようになったのだ。今では1000pvを超える日もちらほらあるという。
「うれしいですよね。今となってはライフワークとなっていますから。90年代半ば頃のブームと「写真をやればモテる」という空気に乗っかるようにして始めた写真やったけど、15年以上続いていますからね。

ほんまは仕事を辞めて写真だけやっていたいんですけどね。まだあまり行ったことのない中央アジアや南米の国のように知らない国にも旅をしてみたいし、小説とか文章も書きたいかな。というか、アホなことをしていたいんです。楽しいことをしていて生きれたり、遊んで暮らせたりしたらいいじゃないですか。

ただ、「遊び」とはいっても、TVゲームをしたり、カラオケに行ったりというのは違うんですよ。そういう遊びにも喜びがあることはあるけど、知れてますから。一番おもろいのは、誰もしたことのない遊びをすること。

僕ってたぶん、すごい「享楽主義者」やと思うんです。満足できるハードルがけっこう高いというか、そのハードルがどんどん高くなってきたというか…。かといって、快楽だけを追い求めているわけじゃない。その過程で色んな努力や苦労があってこそ最高の快感が得られるわけで、簡単に手に入ったらおもしろくない。とはいえ、ストイックでもないんですけどね。

そういう意味では、自分たちで作るセルフ祭なんかはこの上ない遊びですよね。思いっきりアホなことをするために、みんなけっこう一生懸命話し合ったり、準備したり、時にはケンカをしたりするわけですから。

不真面目なことに真面目になる感じは大事だと思うので、そこは一生懸命やっています。不真面目なことほど真面目にするというんでしょうか」

 

主役となれる舞台を探して

「そういう感じでやってきたのに、商店街ポスター展が当たったことがきっかけで「町おこしの人」みたくなってきている自分がいて、あれれ?っていう。(笑)求めてくれる、喜んでくれるのはうれしいんですけどね」

ここ最近、日下は忙しい日々を過ごしている。商店街ポスター展は、2014年11月より開催されている兵庫県伊丹市西台地区、2015年2月21日からの開催を予定している宮城県女川町へと波及。日下のもとには地方自治体などから「事例を紹介してくれ」という依頼が相次いでいる。町おこし関連のセミナーに講師として呼ばれることもある。
「そういう時に僕が期待されている役割って「自分たちでも出来ますよ」みたいなことを参加者の人に言うことなんじゃないかなと思っています。実際、「特別なことじゃない。自分たちでもやったらええねん。国とか行政に頼らなくてもできる。自分たちが主役になればいい」とは毎回のように言っていますし、これからも言っていきたいなと」

それは、日下自身が会社という組織に身を置きつつも、自分(たち)が主役となれる舞台を求めて通ってきた道程でもあった。

コピーライター界には、「成功への王道」があるという。それは、「〈企業を担当していいコピーを書いて、評価される〉というサイクルを繰り返すうち、おもしろい企業から声がかかるようになる。とともに名前が売れていった後も、ヒット作を生み出しつづけていく」というものだ。入社後約10年間は“王道”にてごった返す人波をかき分けながら前に進んでいた日下だったが、病気を機にその気力を失い、足が完全に止まる。

そんなときにふと見つけたのが、商店街ポスター展という“脇道”だった。震災を機に生きている時間の短さを実感し、照れや遠慮といった自意識の“ブレーキ”を取っ払ったことも、“脇道”への脱線を促した。
「ふらっと抜け出した感じなので、これからどこへ向かうのか、どこにたどり着くのか全くわかりません。システム化されていないし、ノウハウも共有できない。用意された道はなく、やることすべてが手探りなので大変です。でも、その分おもしろかったりするし、オンリーワンの土俵は確保できますから。

そんな今思うのは、広告が持つ課題解決の力を使って、シャッター商店街を活性化したり、被災地を元気にしたり、制作者も元気づけられたりするのは、まだわからないけれど、僕なりの広告の答えなのかなということ。もう少しお金にしないといけないという課題はあるけど、意義のあること、ほんとに必要なことのために動けているのはいいかなと思うんです。

組織の一員として見れば、一般的な企業が有する「プロフィット部門」と「研究開発部門」のうち、後者に籍をおいている感じでしょうか。だから、(営利企業ではあっても)僕のような存在をちゃんと囲ってくれてたり、無理に引き戻そうとはしなかったりする会社の懐の広さにはありがたみを感じています」

経験を重ねるにつれ、広告や表現との付き合い方には幅が出てきた。
「今は“ボランチ”のポジションでプレーすること、いわば「器づくり」がおもしろい。セルフ祭やポスター展のように、みんなが楽しんだり遊んだりできる器を作れたらそれでええわ~と思うんです。“フォワード”に専念していた20代の頃は、自分で点を取ることしか考えてなかったんですけどね。

とはいえ、今でも“フォワード”として点を取りたい気持ちが一番を譲ることはないんです。たしかに前よりは仕事が楽しくなってきているし、新たな領域に踏み込んでいくワクワク感もある。やりがいもあるっちゃあるし、食べていく手段として悪くないとは思います。そうはいっても、自分の作品づくり(写真)に費やす時間が削られていくことは本意じゃない。要するに、「広告」というピッチでの“ボランチ”という役割もあるけど、“フォワード”として点を取れる「写真」という自分にとっての聖域をまず確保していたいんです」

だが、かつて胸中でくすぶっていた苛立ちは、いつの間にか姿を消していた。
「現状に満足しているわけではないんですけど、今はそれなりにおもしろいことができつつあるし、おもしろい人間になれたのかなと。実際に人からそう評価されたり、そういう認識のもとで仕事が来たりしているという「結果」が伴ってきたからでしょうか。これからも、“おもしろい”という部分でもっと上を目指していかないといけないなとは思っているんです」

時とともに歩む道や周りの風景は変わってきた一方で、方向感覚は物心ついた頃からずっと変わらない。“脇道”にそれ、社内で「確実にマイノリティー」となった日下は以前、親しくする先輩から「日下は絶対合わしにいかない。ヒットを打つために当てにいくことはせず、いつもフルスイング」と言われたことがある。
「意識してやっているわけでもないから、そうしかできないのかもしれない。不器用なのかもしれない。その辺はわからないけれど、自分がずっとわくわくしていたいというか、自分がおもしろいと思うものに対して純粋でありたいという思いはいつもあります。言い換えれば、おもしろいことを考えたり、作ったりできる人間でありつづけたいんですよね」

 

 

【参考資料】
・「コピーライターに訊け!」(第105~112回)
・ 電通報「Communication Shiftについての往復書簡 #01」

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