ライフストーリー

公開日 2015.1.18

Story

「生きつづけること自体、本能なんです」

長本兄弟商会 代表 長本 光男さん

長本は自立を目指したのは仕事面に留まらなかった。長本夫妻の子供4人はすべて、産婆の立会いのもと、自宅で産まれている。
「医者に行くのは、任せるってことだから。もちろん、万が一のことも考えて病院には連絡をとっていたけれど、夫婦でできる限り出産のこととか体のことについて勉強していたんです」

ほびっと村2Fにあるレストラン・バルタザールの前身は、40年前、長本が八百屋を開くと同時にオープンした喫茶店らしき店だった。01年、事情があって前経営者が抜けてからは、長本が後を引き継ぐ形となり、同年9月にリニューアルオープン。階下にある八百屋の野菜を食材として使用した料理を提供している。

なお、レストランでは長本の息子(三男)が、階下の八百屋では長男と次男が働いている。つまり、すでに嫁いだ娘と妻を除く家族4人は一つ屋根の下で働いているということだ。「もうすぐ代を譲る予定」と話す長本だが、「八百屋を孫の代まで…」という個人的な希望を息子たちの前で口にしたことはない。後継者不足に悩む近隣の個人商店主からは、軒並みうらやましがられるという。
「各地で個人商店は、大企業のチェーン店に取って代わられてしまっている。でも、それはおかしい。やっぱり、個人個人が豊かであってこそ街に活気が出てくるし、おもしろくもなる。一方、個人じゃない企業は個性がないから、おもしろくも何ともないですよね」

かくいう長本は、大学を辞めて以来、「就職」という道を思い描いたことが一度もない。
「「就職」や「生活」なんて言葉を出そうものなら、周りからバカにされ、「生活のことは考えるな!もっと形而上学的なことを考えろ!」って言われるような変な世界に足を突っ込んでしまいましたから。(笑)そこで出遇った変な奴らにはけっこうパワーがあるから、生きることに向かうパワーはたくさん与えてもらいましたね。

旅をするときも、元々失うものなんて何もないというのもあったけど、よく言われるような将来に対する不安や心配はあんまりなかったかな。たぶん大丈夫だろうっていつも思ってた。それは生来の性格的なものだったりするのかもしれないけれど、「おれは大丈夫だ」とずっと信じて生きている僕がいたんです。

実際、長いこと旅を続けていたのは、自分が信じていることが本当かどうか確かめたかったからでもあるんです。経験を重ねていくうち、そんなに心配することはないんだと実感としてわかってくるし、結果としてやってよかったと思っています。

でも、“結果”を実感するのは後々になってから。旅のさなかは、色んな出遇いがあったし、びっくりするようなこともあったけど、自身の心のレベルは大して進歩してないなというのが実感でしたよね」

長本にとっての放浪の旅は、「20数年間で培ってきたものを捨てたり、築いてきた価値観をぶっ壊す旅」でもあった。それが、「ヒッピーをやる人間にとっての大きな変革」だったのだ。
「たとえばヒッチハイクをするにしても、誰かの家に泊めてもらうにしても、お金はかからないけど、人に頼まなくちゃいけない。となると、恥とかプライドとかは全て捨てなくちゃいけないわけです。もし、その時所持金が1000円でもあれば、ホテルに逃げ込めるし、少しアルバイトをしてお金を作れば、駅のベンチで新聞紙にくるまりながら凍死する恐怖を味わう夜を過ごさなくてすむ。10年間ずっと、そんな葛藤との闘いの連続だったし、「なぜ旅をするのか?」という問いを反芻してましたから」

放浪生活中、宿や飯はほとんど知り合いの世話になったが、自身で設けた「連泊はしない」というルールは一度も破らなかった。

1968年からは一転、仲間たちと飲み屋を始め、腰を落ち着けるも、「フレッシュさが薄れていくが故に、どうしてもくたびれてきた」

そこで、長本らは旅に出ることを条件に1人1ヶ月間の有給休暇制度を設けた。店で働くスタッフは7人ほど。誰かが旅から戻ってくると、また別の誰かが旅に出るという繰り返しの日々が始まった。
「誰かしら旅から帰ってきたばかりの奴がいるおかげで、店にはいつも新鮮な空気が漂っていました。だけど、しだいに1ヵ月だと物足りなくなり、有休の期間を1年に延長。僕が妻とアメリカを旅した2年間も、有休を活用したものだったんです」

ヒッピーたちとの共同生活も共用の財布を設けたのも、「修行」の一環だった。
「一緒に暮らして毎日顔を突き合わせている中で、お互いのエゴや本能をストレートに出し合うわけ。そこで切磋琢磨することが、精神面での成長につながっていく。自立した個人どうしが交われば、1+1が3にも4にもなって、より大きなものを生むことができるんです」

長本が語る言葉の中には、「おれたち」という代名詞が頻出する。
「本当の家族よりも、ヒッピー時代、部族時代の仲間たちの方が本当の家族っぽかった。余分なものがないところで裸で付き合う感じの関わり合いがすごく濃かったおかげで、彼らとの関係性は50年近く経った今でも続いてる。思えば、旅を続けていたのも、“本当の友達”と出遇うためだったのかもしれません。何はともあれ、それは、僕にとって一つの財産。旅のさなかに自身を支えてくれたのも、どこかで自分と同じように旅をしているであろう彼らの存在でしたから。

そういった努力を続けていると、おのずと禅や仏教といった東洋的な宗教と重なってきた。だからある意味、僕らは放浪の旅を通して、お坊さんがやっているのに近い“苦行”のようなことをする、いわば自己を高めることを目指す修行僧の集まりのような存在だったんです。ヒッピーってすごく軽そうに見えるけれど、その実、けっこう重いものを背負ってやっていたんですよね。実際、「仕事をしない」という自分への約束を守ること、つまりより自由な状態を目指すことがどれだけ大変か、どれだけ鍛えられるかを身をもって知りましたから」

ただ、“苦行”とはいえども、苦痛を伴うものではなかった。
「なぜなら、本能として持っている積極性に従っているから。理由はともかく、生き続けること自体、本能だから。それがわかれば、くたびれるということが考えられない。

たとえば消極的に貧乏になった人と積極的に貧乏になった人の違いって大きいですよね。前者に当てはまる人は環境などに対してものすごく恨んだり、他人のせいにしたりするけど、後者に当てはまる坊さんはそういうことをしないわけで。

旅もある意味、うんざりするほどの孤独を体験できる“チャンス”なんです。そういうのは見逃しちゃいけないと思うし、見逃さずにほんとの孤独を感じてきたからこそ、ヒッピー仲間で連れ立って歩いている時にふと感じたりするようなほんとの幸せを味わう瞬間が自身にはたくさんあったんだと思うんです。

とはいえ、積極性はエクササイズしないと、なかなか持続しません。本能は磨かないとダメになってしまう。そのためにはいつも、刺激、すなわち「緊張感と責任を伴う自由」を得られる状況に身を置いておく必要はあります。自分勝手が許されて、緊張感のない状況から生まれる自由なんておもしろくないですから」

現在、74歳の長本はほびっと村ビル1Fにある八百屋と2Fにあるカフェ・レストランBALTHAZAR(バルタザール)を経営。接客等の実務もこなしている。
「たぶん本能が壊れていないからでしょう。仕事は嫌いじゃないし、一生やっていくつもりです。八百屋を始めてから40年経ったけれど、マンネリはあんまり感じていません。まだ好奇心がある証拠として書き物もやったりするし、いつも刺激的なことをやらなくちゃとは思ってる。まぁ、そう考えること自体、少しマンネリになっている証なのかもしれませんけど。

でも、いずれはどこかで自身の中にある古いものをぶち壊さなくちゃいけないんだろうし、そのことに怖れはないですね。古いものを後生大事に抱いているから、新しいものが入り込むスペースが空かないわけで。そもそも、自分を安心させるために(財産などを)守るわけですよね。本来、元々持ってる自分のものなんて何にもない。家族を守るなんていうのも、余計なお世話。「守るものは何もない」ってことを知るのが一番の救いだし、欲を排除して気楽にならないと楽しく生きられないんです。

いずれ僕らは死ななくちゃいけないのなら、死ぬまでずっと本能を磨き続けるしかないですよね。言い換えれば、精神と肉体を磨き続けるということ。そして、精神で感じることと肉体で感じることが一緒になるという本来の状態に戻して、解放された感覚を持つこと。

人間の本質は、どんな形であれ、人間らしく生きれるかどうかだと思うんです。なるべく心をオープンにして色んな人を受け入れてという感じで、いつも元気にいられるのがいい。つまるところ、人生の最期、充実した生を生ききったと感じながら死ぬことが、命をもらったことへのお礼じゃないかと思うんです。

だから、食っていかなきゃいけないというのは人間の屁理屈じゃないかと。確かに、生きてくためにお金を稼がなきゃいけないという理屈はわかります。でも、稼ぎ方は色々あるはず。そういうふうに考えられると、どれほど楽になることでしょうか。実のところ、八百屋になった僕らが普通の人に受けたり、自分もやりたいという若い人がたくさん来た秘訣って、大変なことがあったとしても、一つも嫌な顔をしていない「楽さ」だったと思うんです。で、その「楽さ」を得るためには“苦行”が必要なんですよね」

自身の原点となるドストエフスキーの小説やランボーの詩と出遇った高校時代から、50年以上が経った。
「それらにはふつうの小説とかより人間のずっと深いところが描かれているから、どうしても惹かれたわけ。気になったわけ。となると、やらざるを得ないですよね。あんまり触れたくないところに触れなくちゃいけないから“苦行”なんだけど、そういう世界にいったん足を突っ込んだら抜け出せなくなったんです」

長本はヒッピー時代のリアルな心境をこう振り返る。
時には流し目の女の口が目の前に浮かぶ

この幻影が自分の財布と気力の貧困さを思い知らせる

うろつき廻るのも うんざりだ

良い職につけないものか 家族を持つことは、暖かい夕食、テーブルはどんなに楽しいことか…と

苦々しいことばかりやってきた しかし何もかも希望を失った訳でもない

少しばかりの金と心やさしい友でもひょっこり出くわせば 多少は気分もあがる

「我は死から甦りしラザロなり 来たりしいざ語らむ」

神の子ジャンが現れるのはきまって午後二時

新宿風月堂の前、「分け与える友情がなければ人生は悪夢だ」

と、タバコとコーヒー代をねだる

僕らの頭の中は不条理で自分勝手なプレリュードを叩いている

青春は残酷 後悔なんて知らない

絶望だけの時の中 みょうに安らいでいくこの街 新宿
「“苦行”を通して得られる満足感って、エクスタシーに近いものがあるんです。あったかさもさみしさもよろこびも、じんわり心に染みわたってくるようなものになる。だから、貧乏ではあっても、かなり贅沢な生き方をしてこられた僕はラッキーだったなと思うんですよね」

 

 

【参考文献・引用文献】
長本光男『就職しないで生きるには⑤ みんな八百屋になーれ』(1982)
矢崎栄司『危機かチャンスか 有機農業と食ビジネス』(2003)