ライフストーリー

公開日 2014.10.21

Story

「人と人をつなげるのが、私の使命だと思っています」

Earth Camp 代表 光永 奏者さん

「ありがとう」を求めて

ならば、どんな過去が今の光永を作り上げてきたのか。
「誰でもそうじゃないかとは思うんですけど、人に喜びを与えることが私の喜びなんです。だから、お客さんに幸せな体験を提供できる幸せを味わえる接客の仕事は大好きでした」

高校を卒業してから大学に入るまでの3年間、レストランの社員として接客の仕事をやっていた光永が、初めて「接客」にたずさわったのは8歳の頃のこと。夏休み従兄弟の家に遊びに行った時など、同年代の彼らと一緒に、道ばたで通行人相手にレモネードや自作のブレスレットを販売するようになった。

その後、光永がアルバイトとして「接客」を初めて経験したのは13歳の時のこと。アメリカの中学校で3ヶ月間の夏休みを迎えるにあたり、レストランを経営していた父からの勧めにしたがってカフェで働き始めたのだ。
「そしたらけっこう周りにも受けたんです」

当初、「無給でいいからお手伝いとして働かせてほしい」というスタンスで始めた光永だったが、いつしかオーナーから「奏者は使えるね」という評価が得られるようになると行き帰りの電車賃が手渡されるようになった。さらにもう少し経つと、時給換算による正当な労働報酬をもらうようになり、最終的にはオーナーが大人のスタッフをひとりクビにして光永を雇い入れるまでに至ったという。

「エゴだけど、大人に認められたというところで充実感はあったんです」

「学校よりも仕事というかアルバイトの方が好きだった」という光永は、高校(都内のアメリカンスクール)最後の年、スクールカウンセラーに「ふつうの授業はつまらないから、カフェテリアで働かせてほしい。そして、それで単位をとれるようにもしてほしい」と持ちかけた。彼をおもしろがったカフェテリアの料理長の計らいもあり、交渉は成立。昼食休憩時など週2、3回のペースで働き、単位としても認められた。なお、その学校でカフェテリアでの接客を授業にしたのは、後にも先にも光永だけだという。
「父の仕事場であるレストランで働くことへの憧れもあったので、15歳の頃には「将来はレストランかホテルで働く」と決めていました。だから、通っていた高校の生徒の大多数が卒業後アメリカの大学へと進学する中でも、就職することに一切迷いはなかったんです」

だが、高校卒業後、家を出た光永は、まず新宿に家を借りた。そして、取り急ぎ生活費を稼ぐため、語学教室と教材販売を事業の柱とする会社で働き始めた。20万を稼いだ日もあったが、半年で辞職。
「まず自身が商品の良さを信じられないし、会社の方針としても商品を売るためのテクニックばかり重視されている。働く意義を感じられなくて、嫌になっちゃったんですよね」

その後、レストランに就職し、接客業に復帰した光永。
「その時思ったんです。あ、これほどストレートで素直なサービスってないなって。みんな欲しいものだし、美味しがる「食」を提供してありがとうって言われる。被災地での支援活動で感じたのと同じように、人間の根源的な部分というか、大事なところに触れられたような気がしたんです」

10年前、光永が早稲田のAO入試で書いたエッセイのタイトルは「I love people」。
「接客業に復帰した時に抱いたなるべく透明というか、素直な形で人と関わろうという気持ちは今でも大事にはしています」

2012年10月。Earth Campの門出となる第一回の参加者は一家族のみ。全くの赤字で、参加者からも逆に心配されるくらいだったが、1泊2日の行程が終わってみれば「すばらしい。ぜひこれからも続けていってくれ」との言葉をもらえたという。
「(誰かを)がっかりさせたくないという思いがほかのどんな思いよりも先に立ってくるんです。でも、だからこそ作り込んだ企画で「え、これを考えてくれたの?」って思ってもらえることは本当にうれしい。何だろう、エゴなのかな…。人にありがとうって言われるのが大好きなんですよね」

 

目覚めた「起業家精神」

希望していた職にもつけ、やりがいを感じながら仕事をこなしていた光永だったが、社会人3年目、ふいに転機が訪れた。
「同じレストランで働いているのは私より20歳、30歳年上の大人たちばかり。なのに稼いでいるお金は私と同じ。しかも、結局は「言われたことをやらなきゃいけない」雇われの身にすぎない…。彼らに自身の将来を重ね合わせると、目の前が真っ暗になりました。そして、おれがやりたいことって何なんだろう…という迷いが胸を覆い始めたんです」

ただ、当時はまだ光永の中に眠る「起業家精神」は目覚めていなかった。ゆえに「起業」という選択肢が頭に浮かぶこともなかった。

その後「大学進学」に心が傾いていった光永は、早稲田大学国際教養学部を受験し合格。大学1年次に履修したビジネスの授業を受けて関心を惹かれたことが、「起業・独立」という目標を意識するきっかけとなった。

在学中は「アメリカ法」のゼミに入っていた。「ロースクールへの進学」か「起業」か心が揺れたこともあったが、最終的には「起業」を選択。卒業後すぐ同大MBAに入学した。
「父は色んなことを自分でやっている人だった(現在は、アメリカにて小規模の出版会社を経営)し、母は小さな英会話学校を経営。両親ともに小規模な自営業を営んでいるという家庭環境に育ったからでしょうか。自分でビジネスをやるという発想はしっくり来た一方で、サラリーマンになるという未来は全く描いたことがなかったんです。遡れば、従兄弟とレモネードを売ったり、高校時代カフェテリアで働くようになったのは、自分で何かを作り上げることが好きだったからでもありました」

光永は中学生の頃からやっていた英会話講師や翻訳のアルバイトの経験を踏まえ、大学卒業後、友人と言語コンサル系の会社を立ち上げた。現在は「Common Earth」の事業の一環として、翻訳や通訳の仕事も請け負っている。
「通訳はおもしろい仕事です。通訳の中でもプレゼンの通訳よりはアテンドの通訳、ある商品の詳細を通訳するよりはある人物の感情や思いを通訳すること、端的に言えば直訳より意訳の方がおもしろいというか自身の強みを生かせます。

震災後の活動においてコーディネーター役を務めていた際、たとえばアメリカ人は「おれたちは○○をするために来た」「持ってきたTシャツをどこに持って行けばいいか?」みたくけっこう直接的。かたや日本人は「こういうものがありますけど、必要ですか?」みたく婉曲的と、両国を隔てる文化の違いを痛感しました。その間に入り両者の関係を取り持つためには微妙なニュアンスまで伝えることが求められるので難しい課題ではありました。でも、だからこそすごく楽しくて腕が鳴る瞬間でもあったんですよね。

そう考えると、「熱い思いをもった人」にスポットライトを当てているEarth Campのツアーにおいて、その思いを参加者につなぐのもある意味「意訳」なんだろうなと。そこは誰も答えを出していない微妙なところで、パンフレットを作っても絶対に伝わりませんから」

「意訳」に感じるやりがいと「起業」に感じるやりがいは、光永のなかで近いものがあるのかもしれない。

光永は大学時代に二度、「起業」らしきものには挑戦しているが、その時の失敗も今に生きている。
「おかげで、自分が追い求めたいのはお金じゃないなと思えるようになりました。

その経験も踏まえて思うに(成功しているわけではありませんが、)成功と失敗を分けるのは、ある程度の基本が備わったうえで「どれだけ自分が(そのサービスや商品を)欲しているか」なんじゃないかと。だから、今は失敗する気がしないんです。なぜなら、形(仕事)が変わったとしても成功するまで追い求められるものをつかめたと思っているから。逆に言うと、私はそうしかできない人間なのかもしれませんけどね」

 

「人と人をつなげる」という使命

「仕事というのは自身の思いやビジョンを表現する形だと私は思っています。なので、今は「ツアー」を扱っていますが、「人と人をつなげる」という軸さえぶれなければ、いずれそれが「シェアハウス」や「カフェ」になってもいいのかなと。

それから、住む場所を選ぶうえでも、思いやビジョンを表現することを第一義に置いています。事実、私たちのベストな立ち位置ってどこなんだろうということは、支援活動を始めて以来ずっと考えていました。南三陸一筋で現地の人になるべきなのか。あるいは、東京に拠点を置きつなげることに専念すべきなのか…。

悩んだ末、やっぱり私たちがやるべきなのは後者だなという結論に落ち着いたんです」

仙台のコワーキングスペースを事務所としている「Common Earth」だが、今のところ、光永は多くの時間を東京で過ごしている。
「たくさんの友達やメンターもできたし、自然がきれいな南三陸は私にとって特別で大好きな場所です。でも、故郷のカリフォルニアも大好きだし、山なら谷川岳も大好き。だから、南三陸だけじゃなくて、世界でも有数の大自然があるカリフォルニアやジャングルのあるスリランカなど、色んな国に行ってきた中で特に惹かれた場所についてもっと知ってほしいし、連れて行きたいんです。なので今後は、Earth Campの活動を継続できる形にした上で、色んな地域を舞台に色んな形で人と人、人と自然をつなげられればと思っていますね」

アメリカ人の父と日本人の母をもつ光永は米国カリフォルニア州生まれ。2歳の時から日本で2年、4歳の時から毎年2、3回両国を行き来しながら過ごすこと約10年。その後、アメリカで過ごすこと2年。以降は、基本的に日本で過ごしている。

「アメリカでは日本のことを、日本でもアメリカのことを現地の人たちにわかってほしい、伝えたいと思っていました。食べ物を例にとれば、(今は違うけれど)アメリカでは「日本人って生魚食うんだよね。野蛮人かよ」と言われたし、逆に日本では、アメリカ西海岸地域において美味しいと評判のメキシカン料理の認知度はかなり低いというギャップを感じていました。

人はそれぞれ自国の文化や宗教、国籍、経験などを自分のアイデンティティとするのだと思います。アイデンティティを持つことはすばらしいことだし、必要なんだけど、誰かとの間に隔たりを生む「枠」にもなりうるもの。だから「枠」を越えるチャンスは必要ですし、そのチャンスを作ることに私は強いパッションを感じます。というか、人と人をつなげることが自分の使命だとは、ずっと前から思っていたんです。

Earth Campにおいて「自然と共に生きていくことって大事だよなという意識を持った人のコミュニティをみんなで作っていくこと」というふわっとした目標を掲げているのも、「枠」を作りたくないから。頑固にならずオープンマインドで、色んな人のつながりを作っていきたいからなんです。孔子の言葉にもあるようですが、他人に賛同する必要はないけど、他人を知ることは大事。究極的には、それが世界平和につながっていくのだろうと私は思っていますね」

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