ライフストーリー

公開日 2019.2.10

Story

「悩んでいる人を見ると、燃えてくるんです」

㈱営業会議 代表取締役社長 野口 明美さん

〈売れる人間には売れるなりの理由があるだろう。売れない人間には売れないなりの理由があるだろう〉

そんな仮説を立てて実行した作戦は大成功を収めた。売れている営業マンほど世間話がうまく、自分も含めた売れていない営業マンほど商品の説明をする。検証するまでもなく、両者の違いは明瞭だった。その1ヶ月間、自分の仕事は一切手つかずだったが、得られた収穫は捨てた売上の何倍、何十倍も大きかった。営業マン20数名の実態は、最高の「教材」となったのだ。

「霞がかっていた視界が一気に開けたような感覚でした。その発見は、いま経営している会社(営業会議)の根本となっている「リレーション構築(人間関係・信頼関係の構築)なくして、仕事は始まらない」という考え方につながっています。だからある意味、私の営業職人生はそこから始まったんです」

といっても、すぐに結果を出せるようになったわけではない。どういう世間話をすればいいか、模索する時期はしばらく続いた。天気や話題のニュースを持ち出したところで、会話はさほど盛り上がらない。結果的にたどり着いたのが、「昔、教師をやっていまして……」「子どもの頃は身体が弱かったんです……」などと、自分について語ることだった。その話をきっかけに相手が自分に興味を抱くようになると、「仕事はあげられへんけど、いつでもお茶を飲みにおいで」などと声をかけられることが増えていった。

「相手と接触する絶対数を増やせば増やすほど、成約の可能性は高まっていきます。そうやって成功体験を一つひとつ積み重ねていったことで自信がつき、売れるようになっていきました」

トップ営業マンでもない限り、マネジメント側がいかに動かすかが業績を左右する、というのが野口の持論である。だからこそ、野口は帰ってきた営業マンに自分から駆け寄っていき、結果を訊く。言葉だけでは伝わらない営業マンには、私が手本を見せてあげるからと一緒に行くことも厭わない。

『営業で結果を残すためには、とにかく数をこなす。それしかないんです。だからマネジメントの基本は、営業マンが気持ちよく動けるように心を配ること。私は上司から「おまえ、なんで50件回られへんかったんじゃ!」などと指導された身ですが、まずは褒めないと。注文をつけたい、直したいところがあったとしても、まずは相手を肯定する。それが鉄則ですね』

リクルート時代も含めれば、数え切れないほどの営業研修を行ってきた野口には、今も忘れられない参加者の感想がある。終了後のアンケートには、思わずドキリとするようなコメントが書かれていた。

「電車に飛び込むギリギリのところまで来ていたと思います。でも、先生の研修を受けて、明日から電車に飛び込むのではなくて、ちゃんとした飛び込み営業をしたいと思います」

本当に追い詰められていたわけではなかったのかもしれない。だが、心に深手を負っていたことは確かだろう。「お客さんから断られても、それはあなた自身がいらないと言われているわけじゃない。あなたの提案した商品やノウハウが『今は』いらないと言われているだけなんや」そんな野口の言葉が心に刺さったと、アンケートには書かれていた。
「自分の研修が、誰かの助けになっている。そのことがうれしかったんです」

挑戦するために、逃げ道を作る

「研修を受ける人たちにとって、研修は嫌なもの。だから、話も聞いてくれないし、寝てしまうだろう。その前提でやらないと、空気は作れません。聞いてくれるものだと思ってやると、腹が立つだけ。

営業マネジメントの仕事も同じで、根拠の乏しい「できるだろう」「売ってくるだろう」というポジティブな思い込みがあるから、結果を残せない部下に苛立つんです。

根本的にはネガティブというか気が小さいので、常に最悪の事態を想定してしまうのが私の性なんでしょう。先月よりもすこし研修の仕事が減っているだけでも「つぶれんちゃうか、うちの会社」と慌てて、社員になだめられます(笑)。経営が傾いたら会社をたたんだらええやん、簡単な話や。そう思うことで、自分を安心させているんです」

思えば、昔からそうだった。27歳でまったくの異業種となるリクルートに転職するときも、「30歳になったら結婚するだろうから、今のうちに」と予防線を張れたからこそ、思い切ることができたのだ。もしひとりで生きていく人生もあるのかも、と思っていたら、転職はしていなかったかもしれない。

41歳で営業会議を起業することができたのも、うまくいかなければどこかに転職したらいいだろう、という逃げ道を作れたからだった。事実、起業したばかりの頃の口癖は「ファミレスに就職して、地域一番店にしたらいいだけのことやから(失敗してもなんとかなるはず)」。最悪の状況を想定し、具体的な逃げ道を描いておくことで、自身の不安を鎮める。それが野口なりの心の整え方なのだ。

「営業会議の事業は、人件費と賃貸料くらいしか経費がかからない身軽な商売。銀行からの借金もないし、やってみてダメならちがう道を行けばいい。そう思っているので、決死の覚悟などとは無縁なんです」

とはいえ、ピンチのときこそ真価は問われるものだ。「こんな人生いやや!」と心の中で叫んだ小学校1年生のときしかり、土壇場に追い詰められたときの野口は、一発逆転ホームランを放ち、その状況を覆してきた。

クラス全員から無視されるイジメに遭ったのは、中学3年のときのことだ。どうやら、揉めたリーダー格の男子(A)の「野口を無視せえ」という指令が行き渡っていたらしい。人から拒絶されることに免疫がなかったこともあり、野口は深く傷つき、落ち込んだ。遺書を残して自殺しようとまで思い詰めたが、ただでは終わらないのが野口の本領である。

どうせAの名前を遺書に書くのであれば、本人に一発かましてから死んでやれ。そう奮い立った野口は、体育館の裏に呼び出したAに「おまえの名前を書いて死んだるからな」と、呪詛のごとく宣告したのである。その時点でもう、決着はついていただろう。翌日からイジメがパタリと止んだことは言うまでもない。

仕事=自己表現の場

「野口さんとしゃべっていると、「勝った」とか「負けた」とかいう言葉が随所に出てくるよね。それがすごく引っかかるわ」

当時はピンとこなかったが、高校時代、担任の教師から言われた一言はやがて訪れる未来を暗示していたのかもしれない。「どれだけ性格がよくても、売れないやつはカス。どれだけ性格が悪くても、売れてるやつが勝ち」そう言い渡されていた(1980年代〜90年代当時の)リクルートの文化を違和感なく受け容れられたのは、自身の中に潜むサバイバル精神が熾烈な生存競争にさらされる“サバンナ”を希求していたからだろうか。

「営業の仕事は、契約件数や売上高として明確に結果が出る単純明快な世界。それが私の性に合ったんでしょう。バブル景気という、モチベーションを高めるのに苦労しないイケイケドンドンの時代背景も手伝って、リクルートの仕事はすごく楽しかった。年頃の男女が2人で行動しても色恋沙汰に発展せず、仕事の話に没頭できる。そんなふうに“純粋に”結果を追求する人たちに囲まれていたことも、充実した時間を過ごせたひとつの要因だと思います」

売れている営業マンには人が集まる、というのがリクルートの「あるある」だった。夜になると、彼ら、彼女らのもとにはひっきりなしに他の営業所から電話がかかってくるのだ。人から盗めるものは盗んでやろう、結果を出してやろうという溢れるほどの気概が、社内に熱気をもたらしていた。

そんな環境に身を置いていた野口には、専業主婦という道など考えられなかった。30代半ば頃に結婚を考えた相手はいたが、「僕は収入が少ないので、働いてもらったほうが楽です」というタイプの男性だった。

「社長になりたかったわけではないので、社長のポジションはいつでも譲るつもりです。実際のところ、研修なり営業なり、今でもずっと現場に出ているので、社長であっても経営者ではありません。でも、仕事を手放すということは考えられない。仕事は、私にとってなくてはならない自己表現の場。今、認知症の両親の介護ができているのも、仕事が支えになっているからなんです」

営業の仕事を極めてきた野口は近年、新たな道を模索している。2018年、マスター自分史活用アドバイザー」の資格を取り、自分史活用アドバイザーの認定講座を主催しているのもその一環だ。

「おこがましいようですが、自分の営業哲学のようなものは確立できたと思っていますし、どんな質問が来ても即答できます。ただそれは、「営業」というせまい領域だからできること。今後は自分のスキルやノウハウを応用できるような仕事にも取り組んでいきたいと思っています。人間関係など、仕事以外の部分も潤さないと人生はおもしろくない。遅まきながらそう気づいたというのもありますね(笑)」

目立つ機会が少ない人たちに光を当てるようなことは、知らず知らずのうちにやっていた。中学校の国語科講師時代、授業参観当日にやる授業は、事前にまるっきり同じ内容で予行演習をやった。勉強が苦手な子は、手も挙げないし、発表もしない。それがわかっているからか、親もあまり来ない――という状況をなんとか変えたかったのだ。わが子が自ら挙手して発言し、先生に褒められている。そんな光景を親に見せてあげたかったのだ。

「自分で考えて動ける人にはあまり興味が湧きません。すでに動けているんだから、サポートはいらないじゃないですか(笑)。逆に、売れずに悩んでいるこれからの人間ばかりを集めて、売れる部隊に仕上げるのとかが大好き。未完成というか、悩んでいる人を見ると、私は燃えてくるんです」