ライフストーリー

公開日 2016.11.8

Story

「この会社に入って、すべてに感謝できるようになったんです」

RegettaCanoe RinCチーム 德重 総一朗さん

緩んできた心のブレーキ

兄弟会社・ミニッシュ&リゲッタカヌーが行動指針や理念を定めた背景には、「向かっていく的を明確にすることで、目的達成できるチームになろう」という意図がある。

「目的達成できるチームになるための取り組みのひとつが、「オポチャン(Opportunity Chance)」だ。国内、国外を問わず、高本や日吉の行先に鞄持ちとして同行して見聞を広めることが、将来的に何らかの価値を生み出すことにつながる。そんな思いで高本が発案したオポチャンの参加者は、参加の意思を表明したスタッフの話し合いを通じて選ばれることもあれば、高本や日吉から指名されることもある。

オポチャンは德重の前にも等しく用意されていた。高本や日吉の出張に同行させてもらったり、イベントや合宿にも参加できたり……。自分を高められる機会に恵まれている会社の環境に感謝しつつも、德重の中にはいつも、引け目を感じる自分がいた。興味があるだけの自分でいいんだろうか、適役は他にいるんじゃないか……。

そんな德重に新たな視点が芽生えたのは2ヶ月ほど前。自然豊かな環境で自分を見つめ直すことを目的とするイベントに、高本や藤尾(シューズミニッシュ専務取締役)をはじめとした有志とともに参加したことがきっかけだった。

「ありのままの自分ではいられない」

そんな悩みを持つ参加者に対して、場の進行役であるファシリテーターは問いかけた。

「じゃあ、ありのままの自分って何ですか?」

親しい人といるときの自分、家に帰ってくつろいでいるときの自分が“ありのままの自分”。一方で知らない人としゃべっているときの自分は無理をしている……。德重の胸に浮かんだ“ありのままの自分”を代弁するかのような答えを返した参加者に、ファシリテーターは問いかけるように言った。

「知らない人としゃべっているときの自分も、ありのままの自分じゃないですか?」

その瞬間、目の覚めるような感覚を得た德重のなかで、まずは自分を受け容れる、認めるという意識が芽生えていた。

「『自分なんかという意識は捨てて、まず「Be here」そこにいることが大事だという意識を持つことが大切です』ファシリテーターの方からそう言われたことで救われたというか、許された感覚はありました。大幅に性格が変わったわけではないですが、肩の力が若干抜けて、もっと気軽にいろんなことをやってみてもいいんじゃないかと思えるようになったんです。

思えばずっと、「参加する限りは何かを持ち帰らなきゃ……」と気負っていたというか、固定観念に縛られていた自分がいたのかなと。もともと行動するより先に考えすぎてしまうきらいがある僕は、この会社特有の「しっかりとした目的や目標を持とう」という方針にとらわれすぎていたような気がするんです。

だからといって参加さえすればいいというものではないけれども、その場に行かないことには何もはじまらない。許されるのであれば、いろんな挑戦機会に参加したい。そう思えるようになったことで、自分を卑下することも少なくなってきました。今はまず、今いる場所で自分が必要とされる存在でありつづけること、このチームには德重がいるから大丈夫、という信頼を置かれるような人間になることを目指しています」

「控えめだけど、彼の発言にはみんな耳を傾けるようなキャラクター」(日吉)、「いい意味で期待を裏切ってくれた存在。最近、だんだん肚が据わってきたように感じられる」(高本)という德重だが、自身を形成する根っこの部分はさほど変わっていないという自覚もある。

淡々とした口調をはじめとして、大阪人気質のようなものがあまり感じられないからだろう、これまで来店客からも「どこの人?」と度々訊かれてきた德重の生まれは鹿児島県。大阪に身を落ち着ける小学4年のときまでに、宮崎、長崎と2度、父の転勤にともなって住環境の変化を経験している。宮崎しかり長崎しかり、里山に囲まれた住環境も多分に影響していたのか、友達と連れ立って虫やカニを捕まえたり、先生からもよく怒られたりと、腕白ぶりを発揮していた当時の自分も、“ありのままの自分”だったのか。

ともあれ田舎でのびのびと育った德重にとって、まだ見ぬ大都会・大阪は怖い場所だった。「阪神タイガースのファンでなければ殺される」「午後8時以降に出歩いていたら殺される」……。大人から聞いた、尾ひれどころか尻尾までついた噂話を信じ込んだ德重のなかに、変化の兆しは訪れていた。

事実、大阪の地で9歳の德重を待っていたのは、おのずと自身の存在が薄められるような濃厚な世界だった。1聞けば10返ってくるような豊饒で過剰なコミュニケーション。吉本新喜劇に代表される土地に根付いたお笑い文化……。大阪という風土が育んだ強烈な個性に圧倒されながら、德重はいつしか周囲の環境に自分を順応させていくという性質を身につけていた。

「今となっては、九州時代の腕白さは鳴りをひそめているのか、消えてしまったのか……。(笑)ただ、そういう環境で図らずも体得していった振る舞いや身の処し方が、のちに販売職という仕事で生かされたというふうには言えると思います。もし大人になるまでずっと九州で過ごしていたら、きっと販売職に携わることはなかったでしょうから」

趣味やライフワークと呼べるものもなければ、自分自身の代名詞となるものを持っているわけでもない。そこに調和性を重んじる特徴も相まってか、涼感ただよう雫のような存在感を醸し出す德重はいま、白波が立つ大海へとオールを漕ぎ出している。

「この会社からいろんな人とお話させていただく機会をもらって気づいたのは、自分の知らない世界を知るのが大事だということ。人見知りだからといって避けたり、蓋をしていたりしたら成長は見込めないし、もったいない。羽ばたくチャンスがたくさん転がっている会社に、せっかくいるわけですから」