ライフストーリー

公開日 2016.9.27

Story

「会社の遊び心そのものでありたい」

シューズミニッシュ 企画部長 福瀧 賢一さん

Profile

1982年生。香川県出身。地元の工業高校を卒業後、兵庫県の専門学校にて、 Photoshop や Illustrator などの実践的な活用法を学ぶ。同校卒業後は、宝石のネット販売会社での勤務などを経て、2005年9月、23歳のとき、タカモトゴム工業所〈現・シューズミニッシュ〉に入社。楽天市場(現・Alto Libro)での販促を担当する。2010年より企画部所属。現在は靴の底型づくりを手がけている。こよなく愛するガンプラ(ガンダムのプラモデル)との同棲生活を送ること15年。

※ 約7,000字

ものづくりの新境地へ

こんな世界もあるのか、すげぇな……。1体250,000円、500,000円。原価と照らし合わせれば、破格の落札価格である。10数年前、あるモデラー(ガンプラ制作者)が作った、群を抜いてかっこいいガンプラに21歳の福瀧は目を奪われていた。

感動めいた驚きはやがて自分もチャレンジしてみたいという思いに変わり、心を燃え立たせていく。肩のボリュームを足したり、塗装を変えてみたり。自身の至らない点などを検証しつつ試行錯誤を繰り返しながらガンプラづくりの腕を磨く日々がはじまった。「面識はないが、自分の人生の一部を変えた人」との出会いは、福瀧をものづくりの新境地へと連れていった。

思えば小さい頃からものづくりは好きだった。学校の授業で意欲が湧くのは図工だけ。ガンプラのかっこよさに心惹かれることも変わらない。しかし当時は、各パーツを説明書通り組み立てたものを眺めるだけで満足だった。

本格的に取り組みはじめた趣味を通じて、福瀧は「ただ単にいいものを作るだけではダメ。背景や被写体の撮影アングル、ポージング、陰影のつけ方など、どう見せるかによって他者の評価が変わってくる」ことを学んでいた。

「何を扱うかにかかわらず、見せ方によって売れ行きが左右されるのは、ネット通販でも同じです。そういう点では基礎を学べたいい機会だったかなと思いますね」

さいしょは小遣い稼ぎが目的だった。ひとところに定まった興味や関心が功を奏したのか、はじめてYahoo! オークションに出品したガンプラは47,500円で落札された。はじめてにしては上々の結果である。自身の作ったものが評価されるという成功体験は、福瀧をガンプラづくりの世界へとますますのめり込ませていった。

ヤフオクでの福瀧史上最高落札価格は97,500円。そのガンプラは、上司からの理不尽な解雇通告により宝石販売会社を去った22歳のとき、糊口をしのぐために作ったものである。それがきっかけとなり、副業としてガンプラの制作代行サービスをおこなうモデラー軍団からスカウトされた福瀧だが、ミニッシュへの就職を控えていたため断っている。

件の1体25万、50万で売るトップモデラーですら、趣味の域を超えない世界なのだ。プラモデル本体に加えて紙やすりや塗料など、かかった原価はトータルで6,000~7,000円程度にすぎない。だが2ヶ月ほどの間、自宅にこもって明け暮れるように制作活動に費やした時間を考えれば、いくら苦にならないとはいえ、それを生業とすることなど考えるにも及ばなかった。

現在も趣味でガンプラ作りをつづけている福瀧だが、ミニッシュに入社して以来、ヤフオクに出品したことはない。完成したもの、いまだ箱のなかで眠っているものを含めて、100体ほどのガンプラが妻と2歳の娘と暮らす自宅で同居している。

「娘が大きくなったときに「キモい」と言われたとしても、それはそれでいいというか、自分の趣味は貫くつもりです。

子どもの頃から、惹かれるのはなぜかロボットばかり。おそらく、ビジュアルがかっこいいかどうか、という感覚的なところだけで選んでいるんだと思います。

まぁ、ただのヲタみたいな感じですよね。通っていた工業高校でも、わかり合えるのはヲタ系の人たちだけ。ウェーイみたいなノリで女子とからんで遊んでいるサッカー部系の人とは、まったくわかり合えなかったですから(笑)」

そんな福瀧にとって、オタク密度の高い専門学校は居心地がよかった。「カリキュラムなどそっちのけで、WordやExcel、ホームページ制作など、実用的なパソコンの使い方を教わった授業があまりに楽しすぎた」高校時代の記憶を引き連れて入学した同校には、プロの漫画家のアシスタントをしていた子がいたり、ロボ好きの女子がいたり……。在籍したマルチメディア学科では、ホームページ制作のみならず、写真撮影やCG制作、デザインソフトの扱い方など、メディアにまつわる内容を幅広く学んだ。

しかし、希望していたWeb制作関連の職種の求人がなかったため、福瀧はやむなく専門分野にはかすりもしない印刷会社に新卒で就職。3ヶ月で自主退職したのは、好きな仕事ではないというのが大きな理由だった。

漠然とした将来設計すら描いてなかった当時、胸にあったのは「田舎(香川)には帰りたくない」という思いだけ。以後、福瀧は食堂と友人が働くWeb制作会社でアルバイトを掛け持ちするフリーター生活を経て宝石販売会社に就職。1年半後、同社から解雇通告を受けた後、ガンプラ制作にいそしみながら求職活動をする福瀧の胸裡には、すこしでもまともな職場で働きたいという思いが宿っていた。

 

ミニッシュと出会って

ネット販売事業部を立ち上げるに際して、人材を募集していたミニッシュはそのとき出会った会社のひとつだった。

「商品の写真撮影に加工、楽天市場での出品から梱包に発送、顧客対応、売上集計まで。前職の宝石会社では、仕入れを除いたすべてのプロセスをひとりで処理していたから、扱う商材が変わるだけで十分やれるやろ、受からんわけないやろという変な自信があったんです(笑)」

いくつかの会社で面接を受けた福瀧は、ミニッシュにどこか違う匂いを感じていた。高本の生家でもある旧社屋は「家族経営であることが目に見えて明らかなところ」。居心地がよさそうな雰囲気は「アットホームな職場です」という求人誌のキャッチコピーを裏切ることはなかった。

福瀧の面接を担当したのは、現在社長を務める専務の高本泰朗である。ガンダムのアニメの話で盛り上がったその場で合格を通知されたり、求人情報誌の「180,000~200,000円 ※ 経験・能力を考慮」という条件どおり、「自分の経歴やったら20万からやな」と正当な評価を与えてもらったり。いまだかつて経験したことのない会社や人間との出会いに福瀧はいたく興味をそそられていた。

かくしてミニッシュに入社した2005年9月、福瀧を待っていたのは「自由すぎてかえって不安になる」ような職場環境だった。それもそのはず。楽天市場の立ち上げにどのくらいの作業時間を要するのか、見込みを立てられる人間が誰ひとりとしていない状況だったのだ。

福瀧が翌月にオープンさせた楽天市場の売上は6万/月。20万という給料にはまるで見合わない成果である。かといって、叱咤されるでもなければ、尻を叩かれるわけでもない。それどころか入社3ヶ月でボーナスもしっかり支給されるのだ。そんな待遇のよさに後ろめたさを感じつつも、結果を出さなあかんと気を引き締めた福瀧は、入社後半年以上経ってから、損益分岐点を上回る100数十万 / 月を超えた売上にようやく到達。ひそかに胸を撫でおろしていた。

「当時はお互いに様子をうかがっているようなところがあったんです。のちに高本に聞いたところでは「会社にはじめて入った赤の他人だから、どう接していいかわからなかった」らしくって」

当時、ミニッシュの従業員は8名+ミニッシュの社名の由来ともなっているミニチュア・シュナウザー(犬)1匹。そこに加わった福瀧は高本の家族や高校時代の友人で構成されているメンバーの中に「新しい血を入れる」という方針のもとで採用された第二号スタッフである。

 

「無い」を見つけて、無いなら作る

まだ「企画部」には高本しかいなかった時代、それまでは高本が一手に担っていた靴底の木型削り、サンプル作りをやってみないかと声がかかったのは2010年頃のこと。2012年には、高本以外手がけたことがなかった展示会のレイアウトを一任された。ミニッシュにおいて福瀧は、高本が切り拓いた道を轍へと変えていくような役割を担ってきた。

大阪市生野区にあるミニッシュ本社には、会社の「ミッション」と「行動指針」が記された額がところどころに掛けられている。いずれも2015年に中期経営計画を策定した折、MMC(ミニッシュ・マネジメント・チーム)のメンバーで選りすぐったものだ。そのうちのひとつ、『「無い」を見つけて、無いなら作ります』というミッションを提案したのは福瀧だ。

「案が採用されたこと、そういう考え方が社内で共有できることがすごくうれしかった。ふだん心に留めているのは、「絶対できへん」とは言わず、とりあえずやってみること。なにか方法を探してみて、手を尽くした結果、できなかったとしても「今はできへんけど、将来的にはできるかもしらん」という考えは持っておきたいなと。

社長(高本)がよく「チャレンジもしてないのに「できない」と言われるのがすごく嫌、というか考えられへん」と言っているのを聞いているうちに、同じような考え方が根付いてきたのかもしれません。

ただ、何ができて、何ができないかを把握していないと、「できない」と言われたところで盛り返しようがないし、「できない」ことにも納得できない。だから、そのあたりの理解はできるように日頃から勉強していたいなと思っています」