ライフストーリー

公開日 2014.4.29

Story

エネルギーシフトの実現に向けて2 〜東雲の期〜

庄司林業 / 山業ビジネス&プロジェクト 代表 庄司 樹さん

備わっている“強さ”

とはいえ、人間は複雑だ。いわゆる”煩悩”の中で常に揺れ動く不安定な生き物でもある。そう考えると、庄司は自戒の念が強い人間なのかもしれない。真の意味で“ブレない”人間なんてこの世にはいないはずだ。
「名誉欲もゼロじゃない。富も名声もあるに越したことはないと思います。でも、それよりも目標を達成することの方が僕にとってははるかに大事なんです。だから、結果に対して厳しいところはあるでしょうね。

人に褒められたいというよりは、できる自分になりたいというモチベーションの方が強いのかもしれません。今まさにエネルギー事業に挑戦しているように、できるかどうかわからないことができるようになった自分に満足を覚えるタイプなんでしょう。

だから、誰かに褒められたとしてもあまり響かないんです。むしろ、ダメ出しされた方が愛を感じます。だって、そこで満足してしまうとさらなる高みへと続く道が閉ざされてしまう気がするんです」
その言葉は、過去が証明している。

映画制作の現場は、ヤクザな世界だという。見習いの頃、先輩にグーで殴られてボッコボコにされたこともあった。気絶するまで殴られたこともあった。「おまえみたいな奴は辞めちまえ」「死んでくれ」と散々罵られることもあった。だが、庄司は挫けなかった。罵ってくる人たちに敵意を持つこともなく、自身の至らなさによるものとして原因を自分の中に探し出そうとしていた。そして最後までやりとげなくちゃとの信念のもと、最後までやりきった。後日談としては、撮影が終わった後に「途中で逃げるだろうと思った」と先輩から言われたという。
「最後まで好かれはしなかったけれど、“やりきった”というところで自己満足はありましたよね」

庄司と時を同じくして映画の世界に飛び込んだ者の多くは、厳しさに耐えかねたのか、軒並み去っていった。すぐにノイローゼになった者もいた。庄司は残ったひと握りの存在になっていた。
「いくらダメ出しされてもつぶれたことはないと断言できます。諦めたことも自身の記憶の中にはありません」

両者を分けたのは何だったのか。庄司は、その違いをこう説明する。
「監督という職業が目標だったか、作品が目標だったかの違いだと思います」

遡れば、庄司は小さい頃から職業はゴールではないと思っていた。
「僕はあんまり感じたことがないからわからないけれど、職業をゴールに設定してしまうとモチベーションを維持するのが難しいんじゃないかと思うんです。というか、まわりを見ていると難しいんだろうなと感じます。それを避けるために、その先を見据えて「その職業に就いて何をするか」を前もって思い描いていた方がいいと思うんですよね」

本来、職業とはあくまでも肩書きでしかないはずだ。あくまでも自分の一部でしかないはずだ。リリー・フランキーは『二十歳の君へ ―16のインタビューと立花隆の特別講義―』(東京大学立花隆ゼミ+立花隆 著)のインタビューでこう語っている。「「なるべく遠くの星を指しなさい」っておれはよく言うんだけど、それをこないだ茂木健一郎さんは脳科学的にもそうなんだって言ってた。近い星の方が光ってて、みんなわかりやすいからそっちの方向を指すかもしれないけれど、なるべく消えそうなものから指していく。世界を変えたいなって思ってて変えられないにしても、何かは変えられるかもしれないじゃん」(原文ママ)

庄司は子どもの頃から自分の中に軸を持った人間だったのか。であるがゆえにまわりに流されにくい、惑わされにくい人間だったのかもしれない。助監督をやり続けられたことからしても、庄司は“強い”人間なのかもしれない。高校を1年で中退したことも、ある種の“強さ”であろう。ただ、その“強さ”が常にいい方向に働くとは限らない。
「チャンスを自分からとりにいったとは思います。あくまでも自負でしかないけれど、そうやって労力を使って見つけたものに関しては愛着もあります。と同時に、それを試みてもいない人に対しては厳しい目を向けてしまうところがあるので、よくないなぁとは改めて思うんです」

助監督としてバリバリ仕事をしていた頃の庄司は、人に対して「何でそんなこともできねぇんだよ!」と言い放ったり、自身が言われて嫌だったことを平気で口にできるところがあった。
「悲しいかな、一度そういうものが身に付いてしまうと、辞めなきゃ、なくさなきゃと思っていてもなかなか抜け出せないもの。だから、自分は不完全だという認識は常に持っているんです。理性的に立派な人間でありたいという願望を抱いている一方で、理性を飛び越えてそういう感情を表に出してしまうもどかしさも感じています。

それでもやっぱり言いたいのは、否定するなら代案を出すべきだってこと。そして、代案を出せないなら簡単に否定すべきじゃないってこと。それは横着ですよね」

人間は歩んできた過去によって作られるところがある。庄司は骨の病気という、生まれつきの身体的なハンディキャップを持っていた。小学校3年生のときに発覚したその病気ゆえ、マラソン大会に出られなかったり、ドッジボールでは外野専門だったりと、他の子どもたちのように運動ができなかった。そんな環境で抑圧されたエネルギーを解放させられる場所や機会を欲していたのではないか、と庄司は振り返る。
「わりと前向きな一方で、コンプレックスの塊みたいなところもあります。かつて、映画の世界に飛び込んで夢中になったのも、そのコンプレックスがバネになっていたからなのかもしれません」

庄司は努力してきた人間である。だからこそ、努力していない、あるいは努力できない人間に歯がゆさを感じてしまうのだ。
「会社の経営って難しいですよね。まだまだ自分にはできる気がしない。助監督時代は、ある程度語気を強めれば何とかなっていたというところはあったんですけどね…」

庄司はまだ経営者ではないが、すでに準備を進めている。頭の中では、すでに理想の経営者像が繰り広げられているのだろう。

 

挑戦という生きがい

とにかく、庄司にとって映画は欠かせないものらしい。16歳のときに飛び込み、10年以上どっぷり浸かったその世界で、庄司はすごくいい思いもすごく嫌な思いも経験してきたという。
「振り幅の大きな人生だったんじゃないかと思うんです。短期間でどん底と絶頂を体験できたことは、価値観が180度変わるためには申し分ない条件でしたよね」

勉強のおもしろさに目覚めたのも、助監督になってからだった。たとえば医療モノの仕事をしているときに、「この事典にこう書いてますけど、こういうことでいいんですか?こういう芝居は正解ですか?」と医療関係者に尋ねると、「病院によって正解はまちまちなんで」という答えが返ってきた。
「正解が一つじゃない問いに対して、何通りもの方法を考えること自体が勉強なのかなと思うようになれた。大事なのは答えでなく解き方かなと。20代前半でやっと、勉強の仕方が分かった気がしました。物事をうのみにせず、常に疑問を持ち続けることの楽しさや重要性も知りました。

すくなくとも井の中の蛙を脱したところで、色々経験できてよかったなと。映画のいいところは、医師や弁護士、刑事といった色んな業種の人たちと仕事ができるところですね」

映画制作の現場はまさに挑戦の連続だった。安定的に仕事を確保するために、有名な監督の一派に属す者もいた。だが、庄司はその道を選ばなかった。いろんな監督の下で作品づくりを経験した。独身で守るものが自分以外になかったからこそ、心おきなく挑戦ができたのだ。
「おかげで、監督のあり方にも正解はないことを知りました。たとえば、僕が助監督として最後に関わった映画の監督はイラン人。彼は日本人ならば総スカンを食らうような不条理を、翻訳できないレベルの汚い言葉で捲し立ててるような変な監督でした。でも、その作品はかなりとんがったいいものに仕上がり、今まで観たことのない映画を作れた気がしたんです」

とにかく、映画に対する思い入れは人一倍深い。
「僕自身、映画で人生が変わった人間でもあるので、不特定多数の人の気持ちや行動を変えるだけの力が映画にはあると信じたいところはあるんですよね。だから、いつの日か、エネルギー事業が上手くいったあかつきには一本撮りたいと思っているんです。観た人に深い余韻を残して、行動を起こす引き金になるような映画をね。
本来、映画は産業の一部であるのがいい。それが引き金となって、その映画のテーマの周辺産業が活気づくという形が理想的かなと思っています」

だが、そこに至るまでの道のりはまだまだ遠い。
「まともに考えれば、エネルギー事業なんていう複雑極まりないことはできないだろうと思いますよね。でも僕は、逆にどうも無理っぽいなとわかっているからこそ燃えるんです。自分でも笑っちゃうのが、無理っぽいってわかってきて余計にエンジンがかかってきたこと(笑)。僕にとって挑戦は生きがいなんです」

オーストリアで出逢ったバイプレイヤーたちにも挑戦意欲をかき立てられた。
「バイタリティ溢れる彼らが明確なビジョンを持ってアクションを起こしていたのはさることながら、何より心に残ったのはすごく楽しそうに挑戦していたこと。そんな彼らをを見ていると、こっちまで幸せな気分になったんです」

どんな大企業にも、どこの地域にも黎明期はあったはずだ。注目されようがされまいが、後世に残ろうが残るまいが、時代は新たな幕開けと幕切れを繰り返しながら流れているのかもしれない。そして、それぞれの幕開けをお膳立てした人物がいたことはいつの時代もきっと変わらない。おそらく今も、地球上のあちこちで黎明期を迎えている場所があり、奮闘している人たちがいる。

きっと庄司もそのひとりであり、山形もそのひとつなのだ。20年後、30年後、庄司や山形がどうなっているか楽しみだ。

 

 

おわりに

副題とした「東雲の期」。「期」という漢字には、「一定の時間」という意味の他にも、「期ふ」と書いて、「一定の時と所をきめ約束してあう。ちぎる」という意味をもたせることもあるらしい。つまり、期するということは、それが起こることが前提として待つということだ。明けない夜はないように、東雲の時代にある今、僕たちは来るべき世界を雲の彼方に予感しているのかもしれない。