ライフストーリー

公開日 2015.2.9

Story

「強くないから、強さに憧れ、強さを追い求めるんです」

フィジー共和国 Free Bird Institute 理事長 谷口 浩さん

そこで谷口は、まず国内で他に例を見ない「全生徒への教科書の無償提供、学費無償化」から改革に着手。資金は(会社の健全経営が続けられるレベルの内部留保をしつつ)語学学校運営で生じた利益から調達した。すると、ちょうど「スクールゾーニング」という日本の学区制に近い制度が適用されるようになったことも追い風となり、2年でFSLCの平均点は70点に上昇した。

そうしたフリーバードの取り組みは、国を動かした。2014年1月、フィジー国内の小学校から大学まで全ての学校の学費が無償化されたのである。
「やっぱりヒューマニズムみたいなものがあるからダメなんですよ。「人間はかくあるべき」って言って、ライオンがしていないことをなぜ人間だけがしないといけないのか。そこに美しさとかを感じる必要はないんです。やるべきことは前進であって、前進しようと思ったら前進しない奴は引っぱるんじゃなくて突き放すべき。

本来、社会も個人も淘汰されるべきものなんです。だから、僕は一夫一妻制に反対です。強い男が複数の妻を持って、弱い男は一生独身でいる「強いもの勝ち」が自然だと思います。

実際、日本も明治時代、伊藤博文内閣によって婚姻法が制定されるまでは一夫多妻制の国だったわけでしょう。元を辿れば、憎きキリスト教の考え方である一元化、ワンワールド構想に感化されて作られた考えですからね。それに限らず、ギャンブルや売春も誰にも迷惑がかからないのだから規制する必要はないと思っています」

長らく揺らぐことのなかった谷口のこうした思想を揺るがしたのは、つい数か月前、フィジーでの選挙活動中に出逢った一人の老人だった。

2014年9月。8年ぶりに行われるフィジーでの総選挙に立候補した谷口は、出馬を表明してから立候補者の審査が行われるまでの2週間、票を獲得するため、フィジー国内を街頭演説に回った。フィジーの全国紙に谷口のマニフェストが掲載されたこともあり、谷口がスピーチを始めると人が押し寄せ、スピーチを終えると群衆からは次々と握手を求められた。5,000通近くのメッセージがFacebookを通じて谷口に届けられ、「政治家・谷口浩」のFacebookページはいつしか毎日15万を超える閲覧数を数えるようになっていた。

そんなある日、日本でいう限界集落のような場所を訪れた谷口。夜遅くにも関わらず、「谷口が来る」との知らせを受け、公会堂らしき場所に集まっていた地域住民たちは「水道を引いてほしい」と陳情した。5家族が暮らすその地域は、未だ川に生活水を汲みに行っている地域だったのだ。
「中には腰が曲がって、歯も抜けたおじいさんもいたんですけど、「あなたと握手するために起きていました」と言われるとやっぱりジーンときましたよね。このじいさんには何にもできないのかもしれない、僕と握手することしかできないのかもしれない。とにかく、めちゃくちゃ弱いということだけはわかりました。

僕も「ありがとう」と言われるのはうれしいし、たしかに「水道を引いてほしい」という彼らの気持ちもわかる。だから、この人らのために水道を通したろかなとは思ったんです。
でも、実際に水道を引くとなると、その集落の立地上、のべ10km近くの水道管を通す必要が出てくるうえに、工事を要する土地の地主の利権が絡むとなると、何百万もの金が必要になる。フィジーでたかだか5家族に水道を行き渡らせるためにそのくらいの費用をかける必要があるのかと考えると、押しつけにはなるけど「こんなところ、人が住むところとちゃうで。引っ越してよ」と言ってやった方がいいんじゃないかと。

要するに、民主主義というシステムをとる国家という生き物の中で、彼らはどういう存在なのかと。あえて血流――彼らとのコミュニケーションや彼らの心情――を遮断することはないけれど、壊死しようとしている小指ならちょん切った方がいい。言い換えれば、政治家としての務めは、彼らの希望を叶えてやることなのか、あるいは自分が思い描くとおりの世界を押しつけることなのか……。そのジャッジは難しかったですね」

しばらくの間、谷口の心は揺れ続けたが、最終的にある結論に落ち着いた。

「弱者である彼らの頭の中には、水道を引くという発想しかない。彼らは教育を受けていないだろうから、たぶん僕の方が優れている。弱い人間をもうちょっと直接的に守ってやらないかんのかなとも思ったけれど、最終的には、後者の道、つまりこちらの理想を押しつけないといけないなと」

谷口がそうした「理想の社会」を思い描く上で、忘れられない出来事がある。それは90年代前半、谷口が大学生の頃、留学先の中国で遭遇したものである。

「たぶん国からあてがわれていたんだと思うんですけど、町中を走るタクシーのような役割を担う電動三輪車の運転手は、みんな手はあるけれども足のない障害者の人たちだったんです」
よくそのサービスを利用していた谷口は、一度ある中年の運転手から自宅のある団地に招かれたことがある。

谷口は最初、自分がその運転手を部屋まで抱えていかないといけないのかと思っていた。だが、思いもよらぬことに、団地の住人たちが当たり前のように出てきて、彼を抱きかかえて階段を上っていったのだ。そして、妻が待つ部屋に到着し、車椅子に彼を乗せたところで、彼らは“役目”を終えたのである。
「障害者であるおじさんが納税している上に、生き生きと働いている。そして、お互い助け合いながら生活している。その事実が多くを物語っているでしょう。

かたや日本では、そういう人は施設に行き、税金は1円も払っていなければ、死んだ目をしている。人に手を差し伸べた結果、人をダメにする典型例だと思うんです。

当時の中国は、人権なんてなきに等しい国だったのかもしれません。生活保護はないし、町中で人が野垂れ死んでいるなんていうのもざら。例年より冷え込みが厳しかった93年の冬には、上海の地下道で地方から出稼ぎに来た人たちが凍え死んでいる光景を何度か目にしていました。

でも、足のない運転手にまつわるその一連の光景は目からうろこでした。すばらしいなと思ったし、日本よりもはるかに人間的だと思いましたね」

 

好きなものと嫌いなもの

小学校時代、いつしか谷口は「ノーベル賞をとる」という夢を描くようになっていた。
「僕は小さい頃から図鑑などを見ながら「世界最小の魚はパンダカ・ピグミア」みたく、固有名詞を頭にインプットするという行為はさんざっぱらしていたんです。クモの名前に至っては2万種類は覚えていましたよ」

だが、ある時、谷口はその行為が不毛だと感じる。きっかけは、アメリカの物理学者リチャード・ファインマンの本との出逢いだった。
「リチャードが幼い頃、父親と一緒にバードウォッチングに行った時のこと。彼が父親に鳥の名を尋ねるたび、父親は「あれは○○」「あれは○○」というように全て答えてくれたんだとか。ところが、帰り道で、父親は「リチャード。実は、今日言った鳥の名前、全部デタラメなんや。でも、モノの名前って、たとえそれが正しかったとしても、お前が外国に行ったら全く通じない。お父さんはそんなことに時間を費やしたくなかった。だから、名前は知らない。でも、各々の鳥がどんな声で鳴いて、何を食べて、何月頃には何色の羽が生えてきて…ということは知っている。それがモノの本質や」と言ったそうな。

その話を聞いて、彼は物理学の方に進んだようですが、僕も全く一緒でした。その本を読んで、物理学の方に進もうと決めたんです。と同時に、僕はOS(オペレーションシステム)、すなわち思考パターンを完全に入れ替えました。

そういう時期を経て、高校2年の頃には、この世の中の全ての事象を表す数式を自分なりに構築できていたんです。今で言う「ポリゴン宇宙論」に近いものですね」

高校3年の頃は、ノーベル賞への想いが最高潮に達している時だった。そして、谷口は中国・上海にある同済大学応用物理学部に進学する。
「大学1年の時、クルト・ゲーデルの「不完全性原理」に出逢って、その夢は打ち砕かれました。「原理」を前に、僕は反論出来ないどころか、逃れることすらできない。だから、そういう世界で生きることが嫌になりました。死にたくなりました。実際、物理学を志す友達で「不完全性原理」に出逢って自殺した奴もいますからね」

それがきっかけとなり、谷口は2年の時、友人の勧めにしたがい建築学部に転部した。
「とはいえ、今でも物理学は好きで、友達や部下、彼女などとの人間関係も数式化してExcelで管理しています。彼女を例にとれば、メールの数と文章内容、あとは生理の周期。それから彼女が働いているならば、残業がいつ多くて、どこでどうストレスを抱えているのか…ということは全て数式化して自分なりに分析していくわけです。逆に分析もせずに付き合ってるなんて、それこそアホちゃうかと。

たとえば、剣術の試合をやる上で、相手の小手を叩くと見せかけて胴をとるというような戦術とか戦略ってあるわけじゃないですか。対戦相手の過去の試合模様が記録されたデータを集めて「この相手にはこれ」という戦略を組み立てて、それを事前にインプットした上で試合に挑むわけでしょう?

そうはいっても、人間関係には長けていないと思います。人とのコミュニケーションは難しい。人間関係ほど、数式化しにくいものはないですから。相手が何者なのかはわからないし、演じているかもしれないわけで。それでも、接点を何度か持つ中で、徐々に相手の癖とかが見えてきて、アルゴリズムみたいなものが推測できるようになるにつれ、自分の思い通りに相手の思考を進めることには長けてきましたけどね。

とはいえ、例外はありますよ。相手として一番難しいのは、論理的にモノを考えられない人とかかな。こっちは剣道をやろうとしているのにピストルを出してこられたら、そら無理でしょうと。だから、子供の相手も出来ません。

あとはバカ。僕はバカの相手はできません。たとえお客さんであっても、もう何を言ってもあかん、あまりにもバカでこいつはもう治らんと思うと「死ね」とかって言ってしまいますから。(笑)たぶん僕はうちの会社で一番クレームに弱いんじゃないかな。だから、クレーム対応には出て行きませんし、社員もみんな僕を出したくないから必死でがんばるんです。

実際、世の中の2割くらいの人間は究極にバカでもう治らないんじゃないかと思っています。そういう人間とは、もう、同じ空間にいるだけでも嫌ですから。たとえば、居酒屋とかに行って、隣の席でアホな会話が繰り広げられていたら「うわ、嫌やわ~。ちょっと店出よか」となる。あとは、下ネタも嫌です。
それから、正しくない話も嫌。たとえば、不倫をしてる云々といった内容の話が聞こえてきたら、気分が悪くなってしまう。「浮気をする」という前提で結婚している人は別でしょうけど、約束を破っているうえに、子供とか奥さんとかいっぱい被害者も出てくるわけですから。僕はそういう人と一緒に仕事をしたくない。言ったことをやっていないとかも大嫌い。とにかく曲がったことは大嫌いですね」

20代半ば頃、谷口は施工管理技術者として就職したタイの建設会社にて初日から社長と衝突。1ヶ月ほどで辞めている。
「その会社の社長は下請け会社にお金を払わない上、賄賂で警察を味方につけて裁判を起こさせないようにした結果、財を成したみたいな「悪行」をしていましたから。まぁ、ひどかったですよ。

その時思ったのが、そういう人間の下で働く自分に与えられた選択肢は「会社を変えるか」「自分もそれに合わせて悪人になるか」「辞めるか」の3つだなと。当初は「会社を変える」ために正そうと試みましたが、結局は去るしかないという結論に至ったんです。

現実として、経営者の8割は普通の人以下ですよ。そいつらは自分だけいい思いをしようという悪人ですから。社会を良くしようと考えている人はせいぜい2割くらい。

たとえば、金融とかでうまいこと儲けた人がテレビで「成功者」としてよく取り上げられたりしますよね。そこで美人の彼女が何人もいて、スーパーカーに乗って、六本木ヒルズに住んで…みたいな「幸せのステレオタイプ」を見せられても僕は何にも思わないし、むしろアホちゃうかと。頭の中空っぽの奴の幸せってそんなもんなんやと思いますから。

僕の中で社会を良くしていこうと思うのは「善」で、私(だけ)が幸せになると思うのは「悪」。言い換えれば、利他的なのか、利己的なのかということですね。

たとえばAKBのメンバーの一人ひとりの出身地やスリーサイズまで完璧に覚えている連中って、そこに自負を持って日々それを鍛錬しているわけでしょう?なぜその時間とかエネルギーを違うところに向けて社会を良くしようとしないのか、僕には理解できません。そもそも、テレビの中の住人がこれほど社会的影響力を持ったらあかんものだと思いますけどね。

Pocket