ライフストーリー

公開日 2014.11.28

Story

「心の平穏が、ここしばらくの自身のテーマなんです」

石島気療塾 代表 石島 直樹さん

「お客さまの体にさわると、体内にある「悪いもの」が冷たく感じるようになったんです。その部分をぐいぐい押してみると、体の奥の方から冷たい空気がシューッと立ちのぼってくる感覚がありました。でも、何せ初めてのことなので、その正体がわからないわけです」

そこで、石島は実践で試してみることにした。施設でのマッサージは20分コース、40分コースなどと時間が規定されている。その中でできる限り客の体で冷たく感じる場所を押して「悪いもの」を取り除くように努めた。

すると、自身の感覚の中で冷たさが消えると同時に、客から「痛みがとれた」という反応が立て続けにあった。
「それが続くうち、これは間違いないんじゃないかと、自身の感覚を信じられるようになってきました。その後は、今まで先生から学んできた技術を一切無視し、自身の感覚のみに頼るという形で約1年続けてみたんです」

ただ、石島の仕事場は温泉施設に設けられたリラクゼーションコーナーである。
「それほどひどい症状を抱えたお客さまは来ないんですよ。ほとんどがちょっとした肩こりとか腰痛を持ったお客さまでした」

そこで「果たして重い症状でも効くのか腕試しをしたい」と考えた石島は「回復すればラッキー」と、椎間板ヘルニアで50mも歩けない状態の人にボランティアでの施術を依頼する。

結果は成功。来るたびに疲れの量を測りながら、施術すること約15回。期間にして約2ヶ月で、対象者のヘルニアは完全に回復したのである。

「1度の成功例だけでは心もとない」と、再度椎間板ヘルニアを持った対象者で試すと同じようにうまくいった。とともに、痛みや疲れなどを含めた体のしくみも徐々にわかるようになっていった。
「私が「邪気」と呼んでいる疲れのようなものが、対象者が痛いと感じるところに溜まり込んでいる。その「邪気」の量と痛みが比例していることに気づいたんです」

ツボ療法で回復することはわかった。ならば、一切体には触れずに「気」一本でどれだけ回復するか。それを調べるため、石島は約80人の対象者に試してみた。

すると、ツボ療法のみによる施術とほぼ変わらぬ成果を得られたのだ。けれども、「気」のみしか使わない施術だと対象者からの反応は「治る時期が来たのかな」などという懐疑的なものばかり。

そこで、足が痛くて歩けないという年配の女性に、ツボ療法を中心に施術を試みた。ボランティアという条件だったが、症状が治まって喜んだ女性は石島に1万円を手渡した。
「ツボ療法を入れるとこうも違うのかと実感した瞬間でした。私の指の感覚によると「気」だけでやろうが、ツボ療法を織りまぜながらやろうが、結果はさほど変わっていません、ただ、対象者からすれば、どうやら「指で押されている」という事実が大きくものを言うようで、「気」オンリーだとなかなか信じてもらえない。だから、施術においては、今でもツボ療法と気の両方を使っています」

気療塾でおこなう、一度の施術は60分。
「回復するとはいっても、一瞬で回復するわけではありません。1回でとれる「邪気」の量は決まっているので、(症状にもよりますが)ある程度回数を必要とします。ただ、触って確認した時に大体の見当がつくので、最初に来られた際にお伝えしています。

悔しいのは何らかの身体的な疾患を抱えて来塾した方が途中であきらめてしまうこと。それを避けるためには、1回目からある程度「症状が軽くなった」というような結果を残していかないといけない。となると、ツボ療法でやった方が確実なんですよ。

ツボ療法も入れると、抜ける「邪気」の量がある程度読めるんです。一方で、気だけの場合は、ちょこっとしか抜けない時とうまくいってたくさん抜ける時とケースバイケース。その方の治癒力まかせのようなところに加えて体質や年齢、性別など色んな要素も反映されるので、予測がつかないんです」

開業して9年。口コミで広がっていることもあり、今では来塾者が途中であきらめるケースはほとんどないという。
「ツボ療法もいいんですけどね。やっぱり「気」はもっとすごいものですから。具体的には「気」でやった方が本人の自己治癒力を覚醒させやすいんです。

たとえるなら、ツボ療法での施術は川の本流に注ぎ込む支流にたまっているものを掃除しているにすぎません。一方で、「気」を入れると、本流に流しこまれた「気」が支流を経て体全体にめぐることで、たまった支流の疲れが抜けていくという仕組みになっている。破壊力が大きい分、効果も大きいので、好転反応という「反動」も出やすいんですけどね。でも、好転反応が鎮まったあとは、必ずよくなりますから。

とはいえ、まだまだ「気」の認知度は低いので、時代に合わせてやっていかないと、とは思っています」

 

「本質」を求めて

自身の力に確信を得ていた石島が、「気」一本で勝負しようと気療塾を開いたのは2005年のことだ。

石島は自塾のホームページを作っていなければ、広告も出していない。当初、広告を出すことは考えていたが、口コミでどんどん広がり、あっという間に経営が軌道に乗った結果、出す必要がなくなったのだ。
「自分が回復させられると思った症状は絶対回復させられます。癌や先天性の病気など回復させられないものもありますが。

そもそも、疲れの量に応じて何らかの症状が身体に現れてくるというのが本来の体のしくみです。たとえば、疲れがたまり健康レベルが低下した結果、年中ひどい頭痛や肩こりに悩まされる。さらに健康レベルが低下すると、鬱っぽくなってくる…というように。逆に考えると、たまった疲れを抜いていくことで、健康レベルは自然と上がっていく。要するに私は、来塾者の体を元の状態に戻しているだけなんです。

現状として、自身が生活に困らないくらいは、来塾していただいています。でも、気の本質を捉えてそれをうまく生かした技術が全くもって広まっていないことに限界を感じています。

結果が出ると信用してもらえるだろう。そこを目指してやれば気療というものの存在が世の中に徐々に知れ渡っていくだろう。そんな当初の見込みは大きく外れました。9年間やってきても、「気」どころかツボ療法すら一般的にも業界内でもまだまだ認知度は低いまま。実際、未だに同業者からは「なんであいつに治せるんだ?」と言われますから」

石島がある時、特殊な力を手にしたのは、果たして青天の霹靂なのか、過去に布石が敷かれていたからなのか。

温泉施設での仕事を開業するための「修行の場」と捉えていた石島は、「疾患を持った方の完全回復」を目標に、「絶対回復させてやる!」という意欲に燃えていた。

だが、そもそも「リラクゼーションコーナー」を標榜する運営側は「回復」を目指していない。「肩は2回、背中は2回…」というようなマニュアルに沿ったやり方以外やってはならないと規定されていた。
「頭痛で悩んでいる方にも肩こりに悩んでいる方にも同じやり方を適用する。その矛盾がいたく気になりました。もどかしさも感じていました。

さらには、従来の技術では症状の回復に持っていけないことも大きなストレスになっていました。自身も最初はお客さまの体を触ったところで、全くわからなかったわけです。だから、お客さまから訊かれて一番つらかったのは「どっちが肩凝ってる?」という質問でした。

本当にツボに入っているかどうかは押されている方にしかわからないし、実際その箇所が疲れているかどうかもこちら側には全くわからない。それでいて、同業者に訊いたら、「固くなっていると疲れている」の一点張りでしかない…」

そのうち、「五感での施術には限界があるんじゃないか」との疑念を抱いた石島は、「ならば第六感でやるしかない」と直観。そこで独自に編み出したのが「第六感マッサージ」だった。
「マッサージの最中は何にも考えずに、押したいと思ったら押す、押したくなくなったら辞めるみたいな感じを繰り返していました。ぼやっとしながらただ何となくやっていましたね。「ツボの位置はここ」というような概念や知識を使ってしまうと第六感が働かなくなってしまいますから」

指に冷たいものを感じるようになったのは、第六感マッサージを始めて半年ほど経ってからのことだ。
「それが功を奏したのかどうかはわからないですけどね。でも、きっと人間って元々「気」や「体の悪いところ」がわかっていたはず。さもなければ、これだけの技術体系が今に伝えられているはずがない。一方、「現代人」は文明の発達に伴って、本来持っている人間の感知能力を退化させてしまっているんじゃないかと。その中で、私はたまたまあまり退化していなかっただけなんじゃないかと思うんです。なぜなら、10年、20年とキャリアを積み重ねてきたわけじゃなく、半年やそこらでそういう力を持てたわけですから」

石島は自身が手にした力を「授かった力」と呼ぶ。神沢の下で学んだ百数十名の中でもそういった力を持っているのは、知る限り1人だけだとか。
「でも、絶対に人間の中には眠っているはず。神沢先生が開発されたトレーニング方法を1000人、1万人単位で実践すれば、半年後、1年後くらいには力を手にする人間が出てくる可能性はあると思っています」

 

「気」の自己開発

そもそも石島が人生で初めて「気」を意識したのは、まだミュージシャンを目指していた24歳の頃だった。

ふと気づくと、小中学校の頃からずっと続いていた「どんな音楽を聴いても脳や体がものすごく興奮するというか躍動する感じ」がパタッと途絶えたことが一つの要因だった。
「これほど音楽を愛しているのに何を聴いても今までのように心が躍らない…。焦りましたよね」

自分なりに原因を調べた結果、「思春期が終わったから」という結論に達した。関連書籍には「思春期が終わると同時に脳内から分泌される快感物質も徐々に減っていく」と書いてあったのだ。

そこで、石島は独学で気功や瞑想を始める。
「まださほど「気」を扱った本がない時代でしたが、本屋で見つけるたびに買って読んでいました。すべてはギターのため。10代の頃の感性を何としても取り戻すため。ある意味、幻想に囚われていたのです」

石島はバンド活動において作詞、作曲を担当していた。メロディや詞は突然降ってくるため、できる限りカセットテープは手の届くところに置いていた。出先では、公衆電話から家の留守電に吹きこむこともあった。
「たとえば、風呂に入っていい気持ちになっている時に、ーーα波なのか何なのかはわからないけれどーー脳の中の本能を司る部分と通じる扉が開いて、フレーズがわき出てくる。ただ、そこで「録音しよう」という意識を持ったり、うまく流れに乗れなかったりすると、カセットレコーダーのスイッチを入れた瞬間、現実の思考に引き戻されてしまうんです。

だから、押すのはとても難しい。予知できないうえ、その瞬間を逃してしまうと、似たようなフレーズが出てくることはあったとしても、しっくり来るものはもう現れてくれないですから」

気功や瞑想を始めたのは、脳を活性化することで「降りてくる」回数を意図的に増やせないかと考えたからでもあった。
「決まりきったフレーズを弾くときは関係ないんです。差が出るのは、アドリブパートなどを弾くとき。「気=体力」みたいなところがあるので、疲れていたりして気のめぐりが悪いと、無難にこなせはしても全然降りてこないんです。逆に、乗っている時というか降りてくる時は手の先までエネルギーが充満してくるような感覚がある。1つのフレーズから湯水のごとく湧いてきたメロディを、手でなぞるだけというんでしょうか。

自己流ながらに気のトレーニングをコツコツやっていたり、瞑想をしていたりしたからかどうかはわからないのですが、演奏がうまくいくかどうかその時の体のコンディションで何となくわかるようにはなりましたね」

神沢はよくこう言っていたという。「「気」を使う時は、一切(運動野や言語野などの中枢がある)大脳を使うな。もうあるがままだよ」と。
「今になってみると、なるほどと思いますね」

「気」に対する意識が向かうベクトルは、うつを患ったことを境に「音楽」から「体」へと移行していったが、石島の中に根を下ろした存在であることに変わりはなかった。
「独学で気功や瞑想を始めたときから、何となく将来すごく役に立つんじゃないかとは感じていたんです」

それから約5年。音楽の道を諦め、帰郷した石島。
「一度たりとも音楽以外の道を描いたことはなかったので、何をすればいいのかわからないのです」

突破口を求めて、毎日のように本屋に通った。
「ただやみくもに通うのではなく、「気になったものを手に取ってみる」というルールを設けていました。「第六感マッサージ」をやった時と発想は同じですね」

本屋全体をまわる中でパッと目についた本を手に取り、ななめ読みして棚に戻す。また歩き出して、目についた本があると手に取って…という行動をほぼ2年間くらい続けた石島。
「やがて、おおむね「釣り」「格闘技」「気」の3つのコーナーで足が止まることに気づきました。中でも、ひときわ目をひいたのが「気」のコーナー。何か無限な可能性を感じるというか、知りたいという欲求がしだいに募っていったんです」

そうして、「気」の関連書籍を買いあさっていた石島は、いずれは「気」の治療家に…という目標を漠然と描き始めたのである。
「ただ、色んな先生の本を読んでも難しすぎたり、仰々しすぎたり、偉ぶっていたりしてピンと来なかった。そこで出逢ったのが神沢先生の本だったんです」

「気」の自己開発により、石島は漠然とながらに「流れ」を感知するという”副産物”を得ていた。
「振り返ってみれば、流れに乗ったことでうまくいったように思います」

石島が東洋医学研究学院に通っていた時のことである。練習として講師の足裏をマッサージしていた時、一本の電話がかかってきた。のちに就職へとつながる、温泉施設からの「年末から年始にかけて、人が足りないから誰かよこしてくれないか」という要請だった。
「傍でやり取りを聞いていて、何となく卒業間近の自分に話が来そうだなと感じていました。でも、これまでがんばってきたから、正月くらい10日~2週間程度の休みをとりたい。もう何年も正月は休んでいないから、今年くらいは…。そんな本音があり、断る理由も用意していたんです。

昔の自分ならそこで絶対断っています。でも、(もし声がかかったら)今回は流されてみようと切り替えたところに、案の定声がかかったので引き受けたんです。

いざ行ってみると、その温泉施設を経営する会社の社長とも肌が合わず、こういう人の下で働くのはイヤだなと感じました。やはり、昔の自分なら、絶対行っていません。でも、これも流れだから…と乗ってみたんです。

結果的には、忙しい社長が店長に任せきりで口を出されることもなかったことも幸いし、「第六感マッサージ」をやり通せたので、そういう選択をしてよかったと思います。まぁ、店長には「一人だけ変なことをするな」と毎日のように厳しく怒られていましたけどね(笑)」

とはいえ、客の反応は上々だった。石島を指名する客も増え始め、ほどなくして売上げは他の従業員に大きく水をあける。すると、最初は冷ややかだった周りの態度はガラッと変わり、石島の真似をするようになった。
「お客さまに喜んでもらえればいいじゃないかと心中ひそかに反発していました。そこに関しては我慢しながらやっていましたね」

タトゥーを消したのも然り。アメリカに渡った24歳の時、石島は「一生ロックをやるつもりで」右腕にタトゥーを入れた。山形に帰ってきてからしばらくの間は、サポーターで隠しながら仕事をしていたが、いたって常識的な考えを持つ両親からは「バレると仕事にものすごく影響するから消してくれ」と求められた。そこでも石島は、反抗せず「流れ」にしたがい、腹部の皮膚を右腕に移植する。
「20代の頃も、「流れ」に乗ればうまくいくことはわかってた。でも、「こうやりたい」「これはイヤだ」などの意識を持った我(が)が勝るがゆえに、流れに乗ることを頑に拒む自分がいたんです」

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