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2020.6.22

大切なものに気づくために、人は限りある時間を生きている

昨年、高校球児の球数制限が議論を呼んだ。「投手の肩を守るために必要だ」という賛成派の意見も理解できるし、「それで本物の投手は育つのか」と疑問を呈する野村克也のような反対派の意見も理解できる。いずれにしても、時には自分の未来を犠牲にしてでも、二度と訪れることのない「今」に身を捧げる姿が見られなくなる。そう思うと寂しくなるのは、高校野球ファンの身勝手だろうか。

元プロ野球選手の片岡篤史はPL学園時代について「そのまま大事に取っておきたい、おとぎ話のような3年間だった」と振り返っているが、高校球児はきっと、大人になると同時に手放さざるを得ない「ひとつのことに打ち込めるかけがえのない日々」の象徴なのだ。

そんな高校球児と重なるのが、幼い頃から抱き続けてきた「宇宙に行きたい」という夢を叶えようとする『ふたつのスピカ』の主人公・アスミである。アスミが宇宙飛行士を養成する高等学校「東京宇宙学校」に進学し、そこで出会った仲間とともに夢の実現を目指す過程が本作では描かれている。

まっすぐで純粋で健気。打算がなく、駆け引きもしない。人間のきれいな部分だけ選りすぐって作り上げたような主人公でありながら、不思議と現実感がある。紛れもないファンタジーでありながら、作り物っぽさをまったく感じないところが、本作の魅力である。

それはおそらく、こんな世界があったらいいな、という作者の祈りにも似た願いが強く込められているからだと思う。逆に言うと、ここで読者を感動させてやろう、こうすれば売れるだろう、という狙いや戦略を一切感じないのである。否、戦略はあるのかもしれないが、それが霞むほど作者の真心にあふれている。頭ではなく心で創っていることがひしひしと伝わってくるのだ。

ファンタジーでしか描けない世界を真正面から描ききったこれほど眩しい作品には、しばらくお目にかかれそうもない。眩しすぎるくらいに眩しいストーリーなのに、思わず目を背けてしまうこともなく、素直に受け入れられるのはどうしてだろう。

それはきっと、いくつかの別れや喪失がバックグラウンドになっているからだと思う。その別れや喪失が悲しくてつらいだけの出来事として描かれていないところに作者のメッセージが隠れている。

もう二度と手に入らないからこそ、思い出はより鮮やかになり、生きていくための糧になる。失ったものは取り戻せないけれど、いつまでも変わらない思い出を抱きしめて生きることはできる。終わることではじめて、永遠が生まれるのだ。

思えば、大切なものに気づくために、人は限りある時間を生きているのかもしれない。甲子園を目指して野球に打ち込んだ日々も、百年の恋に身を焦がした日々も、そのさなかには「いかに貴重で、いかに尊い時間を過ごしているか」を本当の意味で実感することはできない。『世界中の誰よりきっと』の「目覚めてはじめて気づく つのる想いに」「ずっと抱きしめていたい 季節を越えていつでも」という歌詞が改めて胸に響いてくる。

この先、どれだけテクノロジーが進化しても、人間の生命に「限りがある」ことは変わらないだろう。限りがあるからこそ、人生は愛おしい。『ふたつのスピカ』は、そんなことをしみじみと感じさせてくれる名作である。