5年ほど前に、自費出版で本を出したことがある。内容を一言で説明するなら、山形県西川町という小さな田舎町で暮らす人びとのインタビュー集だ。僕がそこに身を置いていたときに直接聞いた話をまとめたその本は、これをきっかけに町を訪れる人が増えれば、と考えてつくったものでもある。
内容はさておき、つたない文章のあちこちに出現するカッコつけた自身の姿は、身にまとったオシャレな衣服の丈が合っていないにもかかわらず、得意げにランウェイを歩いているかのようで、とても恥ずかしい。話の聴き方も浅く、黒子でありながら、黒子に徹しきれていない甘さも見受けられる。
それゆえに家の物置きで長く眠っていた本をふたたび開くきっかけとなったのは、一本の電話だった。かけてきたのは、西川町で出会い、お世話になった80代の男の人。もともとひとり暮らしをしていたその人は、以前から膝の痛みのせいで歩くのに難儀されていたが、来るべきときが来たというのか、この度、施設(サービス付き高齢者住宅)に入ったという。
「施設に引っ越すときに、(その本を含めた身の回りのものは)家に置いてきた。今、自分の手元には、過去を思い出せるものが何もない。思い出を振り返りたいから、本を送ってもらえないか」という頼みだった。たしかに、本にはその人がよく知っている人たちが多く登場している。
写真や忘れ形見のように、言葉や文章は、会えなくなった(会わなくなった)人との思い出を呼び起こすための有力な手がかりになる。ときには、写真やモノよりも多くのことを語りかけてくる場合もあるだろう。いわば思い出の森を案内するガイド役として、森のなかでよりよい時間を過ごすためのよきパートナーになってくれる場合だってあるはずだ。会うことが叶わない、あるいは難しい人たちと、思い出の中でいつでも「会える」ことにこそ、形に残す価値はあるのかもしれない。
フランスの哲学者マルセルはこんな言葉を人に贈っている。
「人間が人間に贈る最大の贈り物、それは『よい思い出』です。どれほど立派な品物でも、いつかは壊れます。壊れなくても色が褪せてしまいます。でも、よい思い出は一生かわることはありません。壊れることもなければ色褪せることもない。一生続きます。そしてそれを君が語り継いでいけば、その次の世代の心にも残るでしょう。よい思い出を人からもらうようにしなさい。それと同時に、よい思い出を人に与えるような人間になりなさい」『ものの見方が変わる 座右の寓話』より引用
戦火を逃れる形で北朝鮮から日本(東京)に引き揚げてきた13歳の頃以来、「逃げたり、隠れたり、反発したり」した末に、70歳で山形県西川町に移住。山あり谷ありの人生を送ってきたその人にとって、西川町で過ごした晩年はよい思い出を重ねることができた時間だったのか。
僕にとってもよい思い出になるであろう一本の電話だった。
最近の記事