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2019.1.22

人生はドラマだ、と言うけれど…

人生はドラマで、自分はそのドラマの主人公なんだ、とよく言われる。人によってそのドラマ性には違いがあるだろうが、自分の人生にドラマ性があるのかどうかを問うのではなく、ドラマを視聴する立場で捉えてみるといいのではないかと僕は思っている。

ひとことで言えば、視点を変えるということだ。自分の人生を生きている自分は、言わずもがな、自分の人生の当事者である。自分の身に不幸があれば、悲しい、悔しい、辛いといった感情が生まれて当然である。人間である限り、そういった負の感情をシャットアウトすることはどだい無理であろう。問題はその感情をどう処理するかだ。

その手だてのひとつが「ドラマのプロデューサーになること」だ。古今東西、ヒットしたドラマには共通点がある。主人公を応援したり、支えたりする「味方」と、主人公をいじめたり、妨害したりする「敵」が必ずセットで出ている。大和田常務の登場しない「半沢直樹」が果たして、視聴率40%超えのヒットを飛ばしただろうか。バイキンマンの登場しない「アンパンマン」が、果たしてこれだけの支持を集めただろうか。

現実世界に照らしてみると、前例のないことを始めるときを例にとれば、必ずと言っていいほど周囲からの反対を受ける。そこで気勢を削がれるのは仕方ないが、引き下がったり、辞めてしまったりするのは、連続ドラマで言うところの「2話で打ち切り」のような状況に等しい。ここからがおもしろくなっていくところなのになぜ、と視聴者は思うはずである。

「絶対に無理だよ」と言われた。「辞めておいた方がいい」と忠告された……。自分にも心当たりはあるが、きっと本人には忘れがたい話なのだろう。そういった類の話をインタビューで何度も聞いてきたが、おもしろいドラマを作りたいプロデューサーの視点で見ると、反対する「ヒール役」はドラマを盛り上げるためには欠かせない役どころなのだ。そう考えると、自分の行く手に立ち塞がろうとする人と遭遇したときには、「私を主人公とするドラマへの出演が決まりました。ありがとうございます」と心の中で礼を言うべきなのかもしれない。

人間の感情は相対的なものなので、その振れ幅を「喜び」や「怒り」として知覚する。たとえば、毎日のように異性から求愛されていたら、いつしかその状況に慣れて、何も感じなくなるだろう。納得のできないフラレ方をしたり、相手にされなかったり、手ひどい裏切りに遭ったりといった経験が、恋が成就したときの「喜び」を深く、大きくしてくれるのだ。

「いい」と「悪い」は、片方だけでは存在し得ない。「中庸とは、良い悪いの両方が同時に存在している地平を探すこと」という考え方に触れて、なるほど、と思った。視聴者として自分の人生を観る訓練を積み重ねていくと、だんだん、あるがままを受け容れられるようになっていくのかもしれない。