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2019.6.2

知りすぎないほうがいい

すこし前に、20代半ば過ぎの女性歯科医師にインタビューさせていただく機会があった。印象深かったのが、どうして歯科医師を目指したのか、という質問に対する彼女の返答である。

「母親が独身時代から通っていた歯科医院の先生への憧れですね。家からは遠かったけど、私が小学生になる頃まで、母親は通い続けていたような覚えがあります。私は幼稚園の頃に連れられて行っていただけなので記憶は曖昧ですが、母と同じように遠方から来られている方もいて、いつも混んでいるイメージが残っています。

その先生は、遠方だとなかなか来られないからということで治療に時間をかけてくださったり、治療が完了するタイミングで、診療室から待合室に出てきてくださったり。どちらかというと、治療の技術とかいうより、人間的な部分に惹かれた感じですね」

ささいなことを大切にするその先生に魅力を感じたのは確かだが、それ以上に僕は、その気持ちを20年近く抱き続けたまま歯科医師になった彼女の人間性に惹かれていた。

「それが正解だったかどうかはわからないけど、それ以上にやりたいと思う仕事に出会わなかったんです。もしその先生が美容師だったなら、美容師を目指していたかもしれません」

そう語った彼女だが、患者としてその先生に診てもらったことは一度もないという。

「(くわしく)知らないからこそよかったんですかね?」

そう投げかけると、彼女は笑いながらこう言った。

「そうかもしれないですね。はっきりわからないまま、いいイメージだけで止まっていたのかもしれません」

幼き日々にありがちな現実味の乏しい憧れではなかっただはずだ。遠くから通っていた患者さんが他にいたことからしても、大人の目から見ても「いい先生」だったのだと思う。仮に彼女が大きくなってからその医院を訪れたとしても、いいイメージが壊れることはなかったのかもしれない。

だとしても、知らないままでいれば、そのイメージが崩れることはない。遠い存在だからこそ、アイドルのファンで居続けられるのと同じである。

以前、「相手のことをすべてわかってしまったら付き合えない。わかってしまうようなことは避けた方がいい。人と長く付き合うためには、すべてをさらけ出さない方がいい」という考え方に触れて、なるほど、と思ったことがある。

きっと彼女が憧れたその先生は、空想の世界でずっと生き続けていたのだろう。むかし見た風景への無条件の郷愁と溶け合って、その思い出は額縁に入れた絵画のように、彼女の心の片隅に飾られているのだと思う。その額縁を外さなくて済むように、彼女はその医院に通わない選択をしたのではないか、とすら思った。

遠い将来、彼女がどこで何をしているかなんて予測がつくはずもない。だが、ときに葛藤しつつも、その理想を追い求めながら生きている姿は見える気がした。