Profile
※ 約45,000字
同居していた、二人の自分
子どもの頃から、孤独な時間は好きだった。誠司が放課後に“魂の休み時間”を愉しむようになったのは、小4の頃のことである。
生徒らがみな家路についた夕方、一人、校庭の片隅に座り、校庭を眺めるのだ。どんどん日が暮れていくさまをずっと見ていると、粗くなってゆく光の粒子に、自分の身体がゆっくり溶かされていくような感覚になる。静かになり、混沌としながら、辺りは闇へと向かっていく。何を考えるでもなく、何かの言葉を与えもしない。人や社会と関わっているわけでもなく、自然と触れ合っているわけでもない。何にも当てはまらない空白の時間めいたものを浴びるようにして味わった後、「孤独な自分」に心地よく浸りながら家に帰っていく――。いつしか誠司にはそんな習慣が生まれていた。
「その孤独や寂しさの中に甘さがあることを、子どもながらに何となく知っていたんでしょうね。でもそれは、ほんとの孤独でもなければ寂しさでもない。帰る家があるからできる、想像の中の孤独を味わう“孤独ごっこ”だったのでしょう。
そういう時間はけっこう大事にしていましたよね。魂の時間というか、心の中だけにピントが合っている時間というか…。まだ幼いから言語化したり、人と共有したりすることもできないけれど、その存在自体には気づいてた。覚醒とも夢とも違う。ただそこにいて、不確かさや心細さ、繊細さを味わうという、まるで生産的でも創造的でもない時間でした。幼い瞑想と言えるのかもしれませんね。
何であれ、そういうことをしている自分は好きでした。まったく気を張ることなく、ただの自分でいられる時間でしたから」
しかし、おそらく誠司のそういう顔を、当時のクラスメイトや学校の教師は誰も知らないだろう。学校という社会において、誠司はまったく別の顔を見せていたからだ。
誠司は「みんなを笑わせる元気な子」というキャラを確立していた。ことにモノマネは自他共に認める腕前で、すべての学校の先生をはじめ、ブルース・リー、一人全役をこなす『北の国から』までを網羅。キャラクターにブレがなかったからなのだろうか。大人になってから、小学校時代の友人に「当時を思い返しても、誠司はブルース・リーのモノマネをしていたという記憶しかない」と言われたことがある。
誠司が生まれ育った奈良、つまり関西地方は、おもしろいことが重視される風土である。おもしろさで色んな面をカバーできると自覚した上で、誠司はピエロに徹しつづけていた。もし窓から飛び降りて笑いをとれるならば、飛び降りようと思うほど、誠司は笑いに対して真剣で貪欲だった。
人を笑わせることによって自身の何かを満たそうとしていた、満たすことができていたのだろう。いつからか誠司は、心の片隅で「将来はお笑い芸人になりたい」という夢を人知れず育むようになっていた。
挫折が訪れたのは、小5のときだった。クラス内で「おもしろいランキング」を決める投票が行われた際、誠司は2位に甘んじてしまったのだ。
順位の問題ではなかった。渾身の努力をして2位になれた自分と、まったく努力せずに1位になったクラスメイト。笑いをとろうとしているわけでもないのに、彼が何かを言うたびに笑いが沸き起こるのだ。しかも、誠司にしてみれば、彼はさほどおもしろくない。なのに、誠司が彼に引けをとらない笑いをとれるのは、おもしろいことを最高のタイミングで言ったときだけ。
ネタの良し悪しの問題じゃないのか。彼と自分を大きく隔てているのは、彼の持っている存在感という“才能”なのかもしれない……。おぼろげながら、誠司の目には“現実”が見えていた。小さな学校の、小さなクラスで2位の自分が、どうしてプロの芸人になれようか。彼の才能に屈した誠司は、自らの手で可能性の芽を摘みとったのである。
「ひょうきん」は誠司の性分、すなわち先天的なものであると同時に、後天的に作られたものでもあった。
日本の大半の小学校と同じように、誠司の小学校でもクラス内では派閥ができ、いじめが起きることもあった。なかでも、誠司がとりわけ恐怖を覚えたのは、影響力がある人間の発言は、正しかろうが間違っていようが「正しい」と認識されてしまうこと。彼の気分次第で、いかようにも風向きは変わるのだ。彼自身よりも、彼に影響される周囲の心のありよう、いわば集団心理こそ、誠司が怖れを感じる対象だった。
怖れは感覚を研ぎ澄ました。どうすれば敵視されたり、嫌われたりせずに済むのか。どのポジションにいれば傷つかないでいられるのか。その意識が脳裏から離れたことはない。小学校6年間を通じて、背の順では一番前という“危ない”立ち位置にいるのだ。自分よりも明らかに背の高い同級生を、強引に前に行かせたこともある。「ひょうきん」な外面とは裏腹に、内心ビクビクしながら周囲を注意深く観察する毎日だった。
言うなれば、「ひょうきん」は我が身を守るための武器だった。笑いを取るのは学校社会で生き残るための処世術だった。そんな誠司にとって、笑いがとれるかどうかは死活問題。夜には受けそうなネタをネタ帳に書き留め、翌日には実践に移す日々。スベったときには、考えすぎて間がズレたなどと悔やみ、次回に生かした。
運動能力は低かったが、ある種の運動神経には恵まれていた。木登りやバク転をすることができた。小6のとき、自宅の部屋でケガをしないよう布団を積み、約1ヶ月間、こっそりバク転の練習をし続けたのは、校内行事の劇で披露するためだった。ジャッキー・チェーンのセリフのみならず動作も完コピすれば、観客席は沸き立つだろう。小学生でバク転ができれば、神扱いをされるはずだ――。思惑はどんぴしゃりだった。何がウケるのか。どうすればおいしいか。外れることはあったが、そのことに対する天性の嗅覚は、誠司に勝負どころを見極める力を与えたのである。
そんな努力の甲斐あってか、誠司はクラスで人気があった。女子からは男扱いされず、「ちょっと静かにして」と邪険にされるような感じもあったが、児童会の役員を決める投票では、副会長に選ばれたりもした。
だが、自分と二人だけでは誰も遊びたがらず、三人いれば、必ず一人になってしまうのだ。下校のときにも、「一緒に帰ろう」と自分から声をかければ混ぜてもらえたが、相手から誘われたことはまったくない。一度、自分から声をかけなければどうなるのか、実験してみると、見事に誰も声をかけてくれなかった。おれは集団の中でのマスコットどまりなのか……。誠司の心には、いつも風の又三郎のような寂しさや疎外感がつきまとっていた。
もしここで、ピエロを辞めてしまえば、自分は完全にあぶれてしまうだろう……。胸に押し寄せてくる得体の知れない恐怖と不安から逃れる術はただ一つ。気を張りつづけ、ピエロをやりつづけ、しゃべりつづけることにより、常に場の中心にいて周りの関心をひきつづけることだった。
「それが思い込みなのか、過剰な自意識なのかはわかりません。それが固有の孤独だったのか、周囲も多かれ少なかれ感じていた孤独だったのかもわからない。
ともあれ、生き延びる方法はそれしかない、というくらいに深刻な感じはありましたよね。でも、今考えたら、状況が深刻だったのではなく、僕の心が状況を深刻に受け止め過ぎていただけなのかなと。深刻に受け止める感性を持っていたというんでしょうか。
きっと、生来すごく自尊心が強かったからでしょうね。自分は特別な存在だと思いたいのに、現実は落ちこぼれ。学校における立場として、自分で自分を認められるところが何もないような状態だった。でも、それを認めたくはないわけです。感受性が豊かというか、とにかく傷つきやすかったというか」
ところが、家に帰れば、誠司は「ひょうきん」という顔のほか、「マザコンで母親に甘える」という別の顔を覗かせていた。母親のおっぱいを触っていたのは小5まで。さすがにまずいと、触りおさめの儀式を行ったのは11歳の誕生日のことだ。先だって、家の大掃除中に出てきた小学校時代の作文を読んだときには、あまりの幼稚さに衝撃を受けた。芸術家の片鱗など微塵も感じられなかったのである。
「だいぶ精神的に幼かったんだろうなと。ひょうきんに振る舞う躁状態の自分も「本当の自分」だったし、すごく気が弱くて、孤独で傷つきやすい甘えん坊の自分も「本当の自分」だったとは思いますけどね」
当時から二人の自分が同居しているという自覚はあった。だが、後者の自分を社会において晒したことはない。むしろ、絶対に悟らせないという意識は常にはたらいていた。
誠司は学校にいる限り、「躁」スイッチを入れっぱなしにしていた。気持ちが休まる暇などない。そんな無理を続けていては、しわ寄せが来ない方がおかしかった。
気を張っている証拠なのか、学校に着くと腹痛が起こった。だが、敏感な年頃でもある。トイレに駆け込むなんてもってのほか。自分は笑わせるキャラであり、笑われるキャラではないのだ。便意のストッパーとなっていたのは、頭をもたげてくる自尊心だった。誠司はいつしか、学校が嫌いになっていた。
毎朝、登校前になると鬱っぽくなったのは小3の頃からだったろうか。
そんなある日、事件が起こった。朝、熱が出たふりをして、寝床でぐずっていた誠司を母親が呼びに来た。一度は休んでもいいという雰囲気になったが、母親の気が変わったのだろうか。「やっぱり行き!」と強く言われた誠司は、渋々ランドセルを背負い、学校へと向かった。
家を出て、ほんの1、2分経ってからのことだった。歩いている誠司の後ろからタッタッタッと元気な足音が近づいてきた。すると突然、ランドセルを力強く叩かれた。誠司はその衝撃で前につんのめった。顔を上げると、近所に住む友人の姉だった。
「あんた何してんの! お兄ちゃんもお姉ちゃんもとっくに学校行ってるで! あたしは忘れ物を取りに帰ってきたんや!」
何事もなかったかのようにそのまま駆けて行った彼女には何の悪気もなかっただろう。言っていることも真っ当である。だが、気持ちが弱っているときにランドセルを叩かれた上で聞かされる、あまりにも健康的な言葉は威力十分。誠司の目には涙が滲み、身体は金縛りにあった。あれこれ考える間もなく、誠司は傍の空き家に飛び込んでいた。もはや学校に行く気力など残っていなかった。
学校に行ったはずの誠司が、学校に来ていない――。空き家の庭にあるガレージの上で身を潜める誠司をよそに、警察も出動するなど、周囲では騒ぎが広がっていた。
誠司の父は市会議員だった。町中を回る選挙カーから「田中誠司くんを探しています」という声が何度聞こえてきたことだろう。血眼になりながらバイクで自分を探している母も、眼下を通り過ぎていった。「お母さん、ぼくはここにいるよ!」そう叫びたい意思とは裏腹に、声はまったく出なかった。
児童の誘拐が世間の耳目を集めているという世相もあったのだろう。外では緊迫した空気が漂い、大事になっていることは感じ取れた。