ライフストーリー

公開日 2015.5.19

Story

「踊ることによって、まちがいなく僕は幸せになったんです」

舞踏家 / 整体師 田中 誠司さん

一方、誠司にとっては学校がすべてだった。学校に行けないことは、とりもなおさず、ドロップアウトである。空き家から学校までは150mほどしか離れていないため、チャイムの音が聞こえてくるのだ。かといって、家にも戻れない。アイデンティティーを繋ぎとめておくものがない状態に初めて陥った誠司は、挫折感を胸に、何するともなくひとりの時を過ごしていた。

家から150mほどしか離れていない空き家を出たのは、辺りが薄暗くなった夕方5時頃だった。とぼとぼと歩いて家に向かう途中、玄関が見える道に折れると、黒山の人だかりが目に飛び込んできた。
「せいちゃんいたー!」誰かが声を上げると、辺りはにわかに色めき立った。

ほっとした顔の両親に出迎えられて、誠司は自宅へと帰ってきた。誠司の心境を斟酌したのであろう母親の声かけにより、警察や近隣住民は静かに立ち去った。一連の騒動について、両親から叱られることは一切なかった。

 

地獄の日々

しかし、小学校の頃に味わった“苦境”など、中高の6年間で味わうことになる“苦境”に比べればかわいいものだった。地元の公立中学に入った誠司を待っていたのは、地獄の日々だったのである。

誠司はもともと、背が小さかった。しかし、3つ年上の兄は中学生にして180cmを超えているのだ。よもや、自分が中学3年間のうちに、150cm半ば程度までしか身長が伸びないとは思ってもみなかった。

中学生の頃といえば、遅かれ早かれ、ほぼすべての子どもが声変わりなど第二次性徴を迎える時期である。最初は、人より成長が遅いのだろう、と軽く考える程度だった。

時期が時期である。周りでは、男どうしで「おまえ、まだ毛が生えてないんか」「ハハハハ」というやりとりがしょっちゅう交わされているのだ。焦りを覚えた誠司が、風呂上がりに父親の「育毛剤」を局部に塗ることを日課にしたのは、中1のときだった。

しかし、努力もむなしく、中2になっても、中3になっても、声がわりもしなければ、毛も生えてこない。いつからか、誠司は自身の体に異変が起こっていることを疑い始めていた。

もとより繊細で傷つきやすい誠司の精神が、思春期という多感な時期によってその鋭敏さを増したところに襲いかかった身体の異常である。焦りから姿を変えたコンプレックスは、誠司の心に巣食い、日常を侵食していった。
「かつての僕は、コンプレックスの塊でした。それがたぶん、僕の基礎にあると思うんです」

そう話す誠司に生まれて初めてコンプレックスを認識させたのは、兄の存在だったかもしれない。

小学校のとき、兄は少年野球チームでエースを任されていた。幼心に憧れを抱いていた誠司は、同じ少年野球チームに入ったのだが、練習がつらく1年ほどでリタイア。しばらくして、『キャプテン』という野球漫画を読んでやる気に火がついた誠司は、再びチームに混ざったが、半年ほどで辞めている。

中学校のとき、兄はサッカー部でエースストライカーとして活躍していた。兄に憧れていた誠司はまた、兄の後を追った。兄が高1のときに、誠司は中1である。エースの弟として鳴り物いりで入った誠司だったが、チビで鈍足、雨でグラウンドがぬかるんでいれば、足がボールに負けてしまうような華奢な身体なのだ。監督からは、期待はずれとでも言わんばかりに、「おっそい、なっさけないのぅ、ちび」とくさされたことが何度もある。小学生並みの体躯や体力しか持たない誠司にとって、ただでさえ厳しいサッカー部の練習はなおのこと厳しかった。誠司は結局、二軍の補欠という定位置から抜け出せないまま、3年間を終えたのだった。

兄は成績も優秀だった。奈良の県立高校から学年でただ一人、慶應大学へと進学した「努力の人」である。一方、誠司は勉強もからっきし。「必勝」と書いたハチマキを巻いて机に向かったらば、蕁麻疹が出てくるのだ。「お願いやから勉強しないでくれ。生きているだけでいいから」と親からも頼まれるほどだった。

中3のとき、校内のマラソン大会でぶっちぎりで優勝した兄と、最下位の自分。勉強も運動もできて、女子にもモテる兄と、小さくて勉強も運動もできない、ひょうきんなだけの自分……。追えば追うほど、自分のみじめさや出来の悪さを実感するだけだった。

誠司のコンプレックスは家庭環境に由来するものでもあった。共産党の市会議員の父と、父の補佐的役割を果たす母。市民派として、近所の人たちが困ったら、どんな相談にも乗るような熱い人たちだった両親は人気もあり、尊敬もされているのだ。そんな両親を持っていることは誇らしかった。だが、立派な彼らとふがいない自身を照らし合わせたとき、誠司は自分が出来損ないだという感覚を抱かずにはいられなかった。学校のクラスメイトと比べても出来は悪かったが、それ以上に誠司のコンプレックスを膨らませたのは、地域の名士である両親の社会的評価だったのである。

それはさておき、兄が慶應へと進学した年、誠司は高校生になった。選んだ部活はハンドボール部。それでも、第二次性徴が訪れる気配はない。もう我慢は限界だった。

親にばれないよう、学校をサボって病院に行ったのは高1のときだった。が、血液検査の結果、医師の診断は「別段、異常はない。成長が遅れてるだけ」

しかし、待っても待っても、毛も生えなければ、声変わりもしない。だが、医師の診断を信じようにも信じられない現実が目の前にある。インターネットがない当時は、今のようにたやすく調べたり、情報を得られたりもしない。だとしても、たぶん一生、生えないだろうということが何となくわかるのだ。

次の夏までに毛が生えなければ自殺しよう。というより、次の夏までに毛が生えていないことがみんなにバレたら自殺しよう。高2の夏。誠司はそんなことを思うようになっていた。

バレた瞬間、あそこの廊下をつたって、屋上まで行って、悲惨さを纏うことなく華麗に飛び降りて自殺しよう。頭の中で何度、その経路をシミュレーションしたかわからない。

ただ、それは実のところ、死ぬための想像ではなく、生き延びるための想像だった。自殺という最後の手段を想像することによって、誠司は自身の中で張りつめたものを逃すことができたのだ。
「今考えたら、不思議ですよね。思春期って、自尊心のために死ねるんですね」
生来の強い自尊心は健在だった。下ネタを平気で口にしまくるというカモフラージュにいそしむ日々。自身が作り上げた虚像がひっぺがされることが何より怖かった。

だが、何となく感づいて、暴こうとする嫌な奴もいるものだ。誠司にとっていちばんの弱みであることを知った上で、わざとみんなの前で触れてみたりするのである。「おれの友達でさ、中3で毛が生えてない奴いてんで。おれやったら死んでるわ。ハハハハ」一緒になって笑う誠司の背中には、冷たい汗が流れていた。

高校生活において、彼と一緒に風呂に入らなければならない修学旅行は最大の障壁だった。

風呂場で奴は必ず確認しに来るはず――。誠司は半年前から計画を練りはじめた。

結果、考え出した対策は、髪の毛を切って、ライターで縮れ毛にしたものを陰部に両面テープで貼っつけるというもの。むろん、赤ちゃんサイズのブツは見られるわけにはいかない。そこはタオルで隠し、人からは複数本はみ出した毛が見えるような貼り方、隠し方を鍛錬した誠司は、きたるべき修学旅行に備えたのだった。結局、風呂には入らずにやり過ごし、事なきを得たのだが。

パンパンに張り詰めた心のしわ寄せは、強迫神経症、数字に対する強迫観念として表れた。
〈何かを飲むときは、コップの取っ手を2回触った後に、2回持ち上げ、2回口に当てて、2回置かなければいけない。もし3回目が行われてしまった場合、3×2=6回行わなければならない〉

日常におけるすべての行為は、こうした強迫観念によって支配されていた。しかも、それをしなければ母親が死ぬという暗示をかけ、よけいに自分を追い込んでいるのだ。馬鹿げているとは重々わかっていた。でも、もしやらなかったことで母親が死んでしまったら、自分はもう生きていけないだろう。母親の命が助かるならば、こんなことなど屁でもない……。そう思いながら、誠司は“愚行”を繰り返すのだった。

そこに加わるは、バレてしまえば、変な人に思われてしまうかもしれないという恐怖である。人からは悟られないようにその行為をすることに捧げるエネルギーにより、誠司の心はさらにすり減っていった。たまに悟られたときには、「今流行りのジョークやねん」とごまかした。

高校からの帰宅途中、学校の最寄駅の自動改札機で定期を入れる前に、2回改札機を叩くことも自分なりの掟の一つだった。一度、帰宅してからその行為を忘れてしまったことに気づいた誠司は、1時間かけてそれをするためだけに駅まで戻っていったこともある。

極めつきとなる“事件”は、ハンドボールの公式戦にて起こった。

誠司はチームのレギュラーとして、切り込み隊長的役割を担っていた。ハンドボールでは、カウンターアタックに備え、キーパーしか残っていない相手陣内で待機していることもできる。

相手チームがシュートを外した後、速攻を仕掛けるため、相手がシュートを打ちそうな時点で、相手陣内に向かって駆け上がり、フリーでボールをもらってシュートを打つ。それが誠司の役目であり、チーム得意の攻撃パターンでもあった。

その試合の終盤。相手がシュートを打つと見るや、誠司は自陣からスタートを切った。相手のシュートは外れた。キーパーからのボールをどフリーで受け取れそうだ。敵はまだ追いついてきていない――。速攻が決まるはずだった。

だが、誠司は走っている途中、スタート前に“つま先を地面に2回あてる掟”を忘れてしまったことに気がついた。大事な公式戦であろうと関係がなかった。キーパーの手から放たれたボールの方へと、敵も味方も一斉に走るなか、誠司はひとり真逆の方向に走りだしたのだった。
「田中―――!! 狂ったか―――!!」

監督の叫び声が耳に届いたとしてもお構いなし。誠司は自陣に戻り、“掟”を守ったのだった。

身長は150cm台、体重は40kgにも満たない小学生並みの体躯である。それでいて、並の高校生ですら厳しさのあまり退部する部活にて、中学のサッカー部での練習に輪をかけて厳しい練習が課されるのだ。コンプレックスや身体的なハンディを跳ね返させたのは、人一倍あふれる気迫だった。

今日生きて帰れますように、と願いながら練習に行くような毎日である。それほどの覚悟で練習に臨む“小学生”と、まぁ楽しくやろうよというスタンスの高校生。軍配が上がるのは、前者だった。誠司は部活での最上級生となったとき、監督から主将に任命された。

だが、いつも一緒にいると、異常を異常とも思わなくなるのだろうか。家族や友人たちに身体の異常性を指摘されるようなことはなかった。

それが顕現するのは、練習試合などでよその学校に行ったときだった。試合前、180cmをゆうに超える相手チームの主将と頭ひとつ分以上低い誠司が握手をする様子や、ボーイ・ソプラノでチームに活を入れる様子、乏しい運動能力ながらに切り込み隊長的役割を務める様子は、さぞかし周りの目をひいたのだろう。大きい選手にふっ飛ばされても、すぐに立ち上がる様子を目にして感動した相手チームの監督が、試合後、特別にTシャツをくれることもあった。

私生活では、絶対いつか生えてくるという希望の光を絶やすことなく、誠司は父の「育毛剤」を根気よく塗りつづけていた。背が伸びない要因となりうるものは排除すべく、筋トレは一切やらなかった。とはいえ、成長が遅れているかどうかという次元の問題ではないことはわかるのだ。学校の女子からはてんで相手にされないという現状もある。おれは一生異性に愛されることもないだろう。セックスもできないだろう……。小学校の頃に心に棲んだ、落ちこぼれという感覚が誠司の中で決定づけられていた。

だが、自尊心は一丁前である。そんな悩みを友人に漏らすわけにはいかなかった。親に打ち明けるのも恥ずかしかった。元来、傷つきやすく、人にどう思われるかを異様に気にして生きる人間なのだ。秘密を隠さなければいけないという意識に苛まれるのみならず、厳しい部活で主将を務めながら、強迫神経症に悩まされつつも、人から不自然に思われないように強迫行為をおこなわなければならないという“四重苦”。まさに、地獄の日々だった。

破裂しそうになる精神を持て余した誠司は、高2の秋、1年ぶりに同じ病院を訪れた。誠司は医師の言葉より自分を信じたのである。
「去年、大丈夫って言ったやろ」

当然の対応である。違う病院に行ってみる、という発想は誠司の頭にこれっぽっちもなかったのだ。

だが、医師はなおも不安がる誠司を見かねたのか、大学病院を紹介してくれたのである。

そこでホルモン治療に明るい医師と出逢えたことは僥倖だった。検査の結果、先天性の成長ホルモン分泌不全の難病と、原因が特定されたのだ。誠司の諦めない魂が実を結んだのである。

診断後、すぐに投薬治療が開始されたが、効果が表れるまでには少し時間を要した。

Pocket