ライフストーリー

公開日 2015.5.19

Story

「踊ることによって、まちがいなく僕は幸せになったんです」

舞踏家 / 整体師 田中 誠司さん

今は、その人自身の生きる力を信頼しています。人間は誰しも、生きる力、元気になる力を持っている。元気がないのは、本来持っている力を発揮できない状態を自分で作ってしまっているから。実際、「自分は元気になれない」と思っている人の身体って、自分自身を信じられない身体になっていたり、環境に対して閉じて硬くなっていたりするんです。

そこで「開いてください」「柔らかくしてください」と言葉で言っても無理なんですけど、身体をほぐしてあげれば、実際にほぐれていく。そして、「元気になれない」という思い込みをほどいていってあげるだけで、意識や身体は必ず外に開いていくんですよね」

 

虚構を生きたからこそ

誠司は決して怠惰な人間ではなかった。努力のベクトルは定まらなかったが、努力をしなかったわけではない。かつて毎晩ネタ帳をつけていたように、探究心や向上心には富んでいた。映画を浴びるほど観た中学高校時代に、芸術的な感性の基礎が造られたのだろう。映画の自主制作をしていた頃に本を読み漁ったことで蓄積されたものも今に生きているだろう。どん底にいた頃とて、家から出ずに人との関わりを持たなかったわけでもない。つまるところ、異様に傷を恐れる誠司の心のオートフォーカス機能は、おのずと傷を負わせてきそうな対象にばかりピントを合わせていたのだ。誠司はいわば、自身の心の中に引きこもる“精神的引きこもり”だった。

だが、それは同時に、誰にも侵すことのできないひそやかな場所でもあった。その場所のありかを知ったのは、小学生の頃、ただの自分でいられた“魂の休み時間”である。
「当時の感性と、大人になってからモノを作っているときの感性には、チャンネルとして近いものがあるんです。みんな、子どもの感性が捉えた曖昧な感覚を忘れているだけなのかなと思うんですよ。大人になって子ども時代を振り返るときに、論理的なストーリーは思い出しやすいけど、そういう感覚は思い出しにくいのかなと。当時はまだ、言語化できない領域のものをたくさん抱えつつ、自己も、社会との関わりも確立されていない。でもその分、五感で世界を捉えようとするから、光や風を豊かに感じられるんじゃないかなと。ただ、それは言語化できないから、記憶にも残らない。僕はたぶん、それを忘れないでいられたんだと思うんです。

思えば、僕はきっと、自分が自分でいるままで映画に取り組めなかったから、いい映画を作れなかったんだろうなと。映画を作っているときは、自分が捉えている世界の独自性を見せたい、自分のすごさを見せたい、という自意識を表現しようとしていたのかなと。

自分が自分でいられたのは、ストーリーを語っている間に限ってのみ。だから、それだけで成立しうる表現、たとえば映画漫談みたいな分野があったら、成功していたかもしれない(笑)。

とはいえ、“映画漫談”で味わっていた喜びとか感動って、今やっている舞踏で味わえるそれの欠片ほどしかないんですよ。だって、映画のプロットを語っているときは、自分の全存在を賭けていないんですから。酒の席という日常の中にある愉しみの一つとして、受けたら続けるけど、受けなければ辞めればいい、くらいの感じでやっていた。

かたや、踊りはしっかり準備して、人にお金を払って観に来てもらって、全存在を賭けてやっている。生きている中で、自分の生命を、全存在を使い切ろう、さらけ出そうとできる時間、いわば嘘のない時間ってあります? むろん使い切ることはできないんだけど、少なくともこの瞬間に死んでもいい、という思いで全存在を賭けられる。しかも、それを観てくれている人がいる。それほど幸せなことはないですよね。

でも、一番の違いは、“映画漫談”の場合、相手に感動してもらう、相手を楽しませることが主軸にあった一方で、踊りはエンターテインメントでありながら内部告白。自分の魂であり恥部をさらけ出しながら、芸術として成立する際(きわ)をやっているんです。

とはいえ、いくら曝け出そうとしたところで、人にどう思われたい、みたいな自意識が混ざってしまったりする。やっぱり、自意識から自由になることは難しいもの。でも、それをできる限りはがして、深く深く降りていって、より裸に近い状態で踊りたい。私という自意識を捨てて、私という存在だけで僕は踊りたい。私という意識がなかったとしても、私は私。ほんとに美しいものは「存在」そのものだと思いますから。

或る場所に、人が人を想う気持ちだけが混じりっけなく存在している時って、人間の一番美しい瞬間だと思うんです。親子愛とか家族愛もすばらしいけど、それだけじゃない。自分の力をはるかに超えたものに触れられているというのかな。

たとえば、僕が撮ったピナと大野一雄先生の写真の中に、僕の力なんて何もないんです。表現しようというような意識もない。ただ目の前にある美しさを切り取らせてもらっているだけ。美しいのは私じゃなくて、世界の方。そして、その世界に私も含まれている。

出逢ったあの日以来、大野一雄先生という存在の奇跡の中で今も生きている、みたいなところはあるんです。そういう奇跡が僕だけじゃなくて、先生と関わる色んな人に今も起こり続けている。こんなに美しい時間が人生に存在するのか、と思える時間があるなんて、たまらなくうれしいことですよね」

誠司は舞踏と出逢ったことにより、ただの自分でいられる時間をその手に取り戻したのだった。
「客観的に言えば、かつての僕は虚構を生きざるを得なかったのかもしれないけれど、主観的には虚構を生きることができたんです。たしかに背景としては現実への挫折があったでしょう。でも、僕にとっては虚構を生きているときが、一番自分らしくいられたような気がするんです」

もし背が伸びたら、女の子に愛されるだろうし、思い描いた夢はどんどん叶っていくだろう……。苦しかった中学高校時代、誠司は夢を見ることによって生きていた。だが、身体が治ったことで現実が虚構の世界に追いつき、追い抜いてしまったのだ。背が伸びた後、女の子から告白されてもまるで嬉しくない自分がいたのがその証拠である。それどころか、自身が大きくなったから好きになったのであって、小さいままの自分なら好きにならなかっただろうと、猜疑心をはたらかせてもいた。実際、その子が背の低い男に対して冷たい態度をとっているのを見ると、気持ちは急に冷めた。

映画の道を志してからも、「25歳のときにはインディーズ映画のコンテストでグランプリを獲得する」という虚構があったからこそ、25歳まで頑張れたのだ。25歳になり、警備員のアルバイトをしている現実に追いつかれたときには、「30歳までに世界的な映画監督になる」と新たな虚構を生み出したのである。
「でも、プレイヤーとしての自分はいっこうに想定していた虚構に追いつく気配がないどころか、むしろ差が広がっていったわけです。その差が広がれば広がるほど、現実の自分では到底生きられないような、より壮大な物語を設定し、一発逆転しか願わない無謀さや狂気が生まれていったのかなと思うんです。

なまじ、過去に1日で強迫観念を克服したという成功体験がありましたから。自身の内面を変えたことと、外の現実を変えることをごっちゃにしてた。少年期や青年期も、虚構によって生き延びられましたしね。

虚構を生きた、生き続けたんですね、僕は。だから、神様のいたずらなのか、虚構を積み上げてきたなかで磨かれた技術が生かされる舞踏に出逢えてよかったなと。虚構も生ききれば、真実になる。人にとって価値のある虚構であれば、意味がある。突き抜けないといけないけれど、虚構によって生み出される感動は本当ですから。

僕は舞踏と出逢ったことで、もはや埋まらなくなっていた現実と虚構の乖離をゼロに戻すことができた。センチメンタルに人生を捉えていた自分を自覚し、かっこつけないありのままのみじめな自分から始めていいよ、と言われたような感じがあったんです。

逆に言うと、舞踏はゼロにならないと通用しない世界なんです。一見優しいけど、おれってすごいだろ、みたいな自意識を持ち込んだ途端、バーンと跳ねのけられてしまうような厳しさや尊さを内包してる。だけど、幼いゼロの魂で、むき出しの心でその場に立つならば、何度でも踊っていいよ、というような大きな優しさも併せ持っているんです。

僕は、踊るという行為を通して、豊かな心を魂の海の中に還そうとしているんだろうなと。踊りを通して、よりスケールの大きな視座で世界や人生を捉えたい、より大きくて深い海に自分も入っていきたいんです。それができれば、より大きなスケールで自分や世界を捉えられるようになっていくはず。

自分の弱さを知れば知るほど、そういう大きなスケールに出逢えるというか、「私」というものを手放せば手放すほど、星の綺麗さに出逢えるというか。自分で綺麗な星を描こうとしなくても、星は存在している。だから、その星を描けばいい。そうやって自分を手放して大きなものと出逢っていくことで、「私」に出逢っていくというのかな。

とまぁ、調子に乗ってこんなことを言った後に限って、妻と一番ひどいけんかをしてしまったりするんですよね。もちろん、全力で仲直りしますけども。(笑)

舞踏と出逢って、自分を赦していく作業をし始めたことで、僕の気持ちは大きく変わりました。今はなんて素敵な人生なんだろうって思えるし、こんな素敵な人生が訪れるなんて想像だにしなかった。踊ることによって、僕はまちがいなく幸せになったんですよね」